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「そんなマイナーなサイト作るの?」NHK記者たちが「最高裁の国民審査」サイトを作った理由

「一票の格差」「夫婦別姓」などの大事な問題に判断を下す最高裁判所。

その裁判官にふさわしいかどうかを「私たち」が審査するのが、国民審査。

大事な一票なのに、衆院選に比べていまいちどころか相当影が薄かった国民審査について、今回初めて特集するサイトを作ったNHK記者たちの思いとは。

(サイトはこちらです)

記者にも「秘密のベール」に包まれた最高裁判所

社会部で最高裁判所の取材を担当している私、田中常隆。記者として11年目で、最初の水戸放送局では主に原発と行政の取材を担当して社会部に異動してからは、政治家の汚職事件などを捜査する東京地検特捜部を担当(業界では“P担”と呼ばれる)。2018年からは裁判を担当(こちらは“J担”)し、去年の夏から最高裁を担当している。

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最高裁の裁判官ってどんな人たちなんだろう。担当になって初めて挨拶した裁判官たちの印象は、「物腰が柔らかく」「偉そうな印象はまるでない」、街の喫茶店で隣にいるような普通の人たち。法廷で最も高い所に座って真っ黒な法服を着ている厳かなイメージとは全然違った。

一方で最高裁という組織自体は、私たち“J担”の記者にとってもどことなく「秘密のベール」に包まれた存在だ。

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地方裁判所や高等裁判所で行われる裁判の大半は公開の法廷で審理が行われる。でも最高裁ではほとんどが、「上告棄却」を告げる書類が当事者のもとに届いて終わる。実は法廷が開かれることはめったにない。日常的に裁判の取材をしている記者でも、最高裁の動きを肌で感じる機会はそう多くない。

そして最高裁の取材は「勉強」の毎日だ。どの裁判も当事者たちの生活や尊厳がかかっている。死刑事件ならまさに命がかかっている。

それぞれの裁判の1審・2審で提出された証拠や書類だけでも山のようにある。過去の同種裁判の最高裁判例なども参照しながら裁判に向き合う必要があるから、読み込む資料の分量は以前よりけた違いに増えた。

それに地裁や高裁と違っていつ結論が出されるか事前にわからないことが多いため、日頃から関係者や専門家に取材を進めておくことも必要だ。

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判断によって「社会のルール」だって変わる

私が最高裁の担当として迎えた最初の大きな裁判は2020年10月に相次いで判決が出された、いわゆる「非正規格差訴訟」だ。

有期契約社員やアルバイト社員が正社員との待遇差が不当だと訴えた裁判で、このうち日本郵便で働く契約社員たちの訴えについて最高裁は、一部の手当などが「不合理な格差」だと判断した。

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日本郵便の契約社員数は当時でも18万人。裁判を起こしたのは一部の契約社員だが、最高裁の判断は日本郵便という大組織に、待遇に関する制度の見直しを迫ったことになる。

さらに最高裁のこうした判断は「判例」として後世に残り、同じように待遇の改善を求めているほかの裁判や、さまざまな職場の労使交渉に影響を与える可能性もある。

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建設現場でのアスベストの健康被害について元労働者たちが国などを訴えた裁判では、全国各地の裁判が次々と最高裁に上告されていた。

建設現場でのアスベスト被害は、裁判を起こしている人だけでも1200人以上、そして今も毎年500人を超える人が健康被害の労災認定を受けている。国内最悪規模の健康被害だ。

被害者の救済はどうあるべきかが問われた裁判で、最高裁はまず「国の敗訴」という方向性を示した上で、判断の理由を示す「判決」をことし5月に出すことを決めた。

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司法としての最終的な結論に向けて最高裁が次々と動きを見せる中で「政治」も動き出し、与党内で救済法に向けた動きが本格化していった。その結果、最高裁の判決の言い渡しとタイミングを同じにするかたちで、国は救済法の創設や総理大臣の謝罪に動いた。

「司法」と「政治」が、まさに生き物のように動いていくダイナミズムを体感した瞬間だった。

でも「国民審査」って影薄いね

ことし6月に注目を集めた「夫婦別姓」を巡る裁判もそうだが、ふだんは秘密のベールに包まれた「最高裁」は、実は「私たち」と密接に関わっている。判断によっては国が動いて社会のルールが変わる。

一方で裁判の当事者たちを取材していると、「『国民審査』で私たちの意思を司法に示すしかない」という声をしばしば耳にする。

大きな影響力と権限を持つ最高裁。
その裁判官を私たちがチェックする「国民審査」。

でも正直にいうと私自身、これまで国民審査についてはいまひとつ要領を得ないまま「なんとなく」投票していた一人だ。最高裁の裁判官とはどのような人で、どのように社会を見つめ、ひとつひとつの裁判とどのように向き合っているのか?

司法担当の記者でさえ大したイメージが持てないのに、一般の有権者は何を基準に投票すればいいのだろう。

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国民審査の投票用紙には、やめさせたい人に「×」をつける。「×」ではなく「○」をつけたら投票自体が無効になる。白紙投票は全員信任になる。そんな基本的なことも、あまり知られてないんじゃないだろうか。

この制度が始まって以来、罷免された裁判官は一人もいない。
ある最高裁の裁判官に挨拶に伺ったとき、「何に関心がある?」と尋ねられて私が「国民審査」と答えたらとても驚かれた。おそらく思いもよらない答えなのだったと思う。

つまりは司法の世界に生きる人たちにとっても、国民審査の関心が高いとは思っていないんだろうな、そう感じた。

制度の重大さに比べて、そして同時に行われる衆議院選挙に比べて、あまりに影が薄いんじゃないだろうか。それは私たちメディアの責任でもある。既存メディアで国民審査についてネットで細かくわかりやすく解説したページは、私たちがサイトを作った時点では見当たらなかった。
そして総務省のサイトには、制度のポイント程度しか載っていなかった。

投票の前に各世帯に配られる「国民審査公報」には、裁判官の略歴と「関与した主要な裁判」が載るが、大抵の人にはよくわからないと思う。

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判決の日付とその裁判官が下した判断の内容が書いてあるが、そもそもどんな裁判か知らない人には、法律の条文と専門用語の羅列にしか見えないんじゃないかと思う。ちなみにこの公報、裁判官がそれぞれ自分で書いている。

あまりに判断材料が少ない。これじゃ影が薄いのも無理はない。ほかに無いならもう自分たちで国民審査のサイトとか作るしかないんじゃないか。サイトとか作ったこと無いけど。

そう思っていたところに「国民審査のサイトをつくったらどうでしょう」と後輩の記者から声があがり、最初にオンラインでミーティングをしたのが8月終わりのこと。そこからがまあ大変だった。


初めてのサイト作り

デザイナーなどをまじえて本格的にサイト制作が始まったのは9月に入ってから。

まずは多くの人が何を知りたがっているか調べてみようと、「最高裁」と一緒に検索されているワードを調べたところ、圧倒的に「夫婦別姓」が多く、「ふるさと納税」「一票の格差」「同一労働同一賃金」などもあった。

最高裁に関心がある層は、人権や多様性、働き方などの問題に関心がある人が多いようだ。いずれも最近ニュースになることが増えているテーマだから、ということは最高裁の国民審査への関心は、実は結構高いのではないだろうか。

・裁判のニュースを見て、最高裁に関心や疑問を持った人
・衆院選にあわせて国民審査についても知りたい人
・「最高裁」自体について知りたい人

サイトの目的は、こうした人たちに役に立つ情報を届けること。

そしてサイトに掲載する内容は、

1)「国民審査」とはどんな制度か
 ・ 制度の目的や、○は無効、×をつけることなど基本的な注意点の説明も。
2)今回の審査対象となる11人の裁判官の紹介
・略歴と、最高裁で関わった「主な裁判」での判断内容。
・「主な裁判」は、NHKがニュースで報じた裁判から選ぶことにした。あわせて30件になる。
・審査対象の裁判官に報道各社が共同で行う「最近読んだ本は?」などのアンケート調査の結果。
3)「主な裁判」の内容
・例えば「一票の格差」や「夫婦別姓」といったテーマに興味がある人のために、それぞれの裁判で審査対象の裁判官がどのような判断を示したかを解説。
4)「最高裁」とは
・裁判官はそもそも誰が選ぶのか?最高裁は傍聴できるのか?女性の比率は?など、最高裁についての豆知識、こぼれ話などを掲載。

みんなでアイデアを出していくうちに結構なボリュームになってきたので、整理がつかなくなる前に、早めにポリシーを決めた。

「実用性を最上位に置くこと」
国民審査について知りたいと思った人が、このサイトを開いてすぐに判断の材料を得られること。そのためには

「デザインに凝りすぎないこと」

そして言わずもがなだけど
「情報を間違えないこと」

データ集めと原稿作成にあたったのは記者が3人と、司法取材の経験豊富な解説委員。もちろんサイト専従では無く、各自が日中はメインの別の仕事をして、合間を見て少しずつ作業を進めていった。

デザインどれにする?


「実用性第一」「デザインに凝りすぎない」と言いつつ、「国民審査」というなじみ薄い対象に関心をもって、サイトをスクロールしてもらうには見た目のおもしろさも大事だから、デザイン検討には時間をかけた。

最初に示されたデザイン(初校)がこちら。

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現在のサイトにかなり近い。

「これでいいんじゃない?」という意見もあったけど、
「わかりやすいけど、つまらない」という声もあった。
「たぶん裁判所や役所がつくったらこんな感じになりそう」という声も。
うーん。

次に示されたのはちょっとポップ。楽しそう。若者受けしそう。(大学生のスタッフの反応はいまひとつだったけど)

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そしてこちらは「ダーク」。デザイナーいわく「ミステリー小説風に」とのこと。

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「ダーク」はおもしろい!という意見が多かった。でも見たいものがどこにあるかが、ちょっとわかりにくい。デザインはおもしろいけど、実用性に難がある。(関係ないけど日本の裁判所で木槌は使わない)

最終的に今のデザインになったのは解説委員のボソッとひとこと「最高裁判所のイメージって大理石だよね」がきっかけだった。

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実用性を大事にしながら、どこか品格や格調も(?)ただよわせたトップのイメージが決まるまでに3週間ほどかかった。
ちなみに「大理石」ではなく「みかげ石」=「茨城県稲田産の花崗岩」(最高裁サイトより)だった。

「確認、とにかく確認、もう一度確認」

そこから11人の裁判官のプロフィールと、関わった主な裁判についての資料集めと整理、掲載原稿の作成と何度かの修正。

そして画像の作成と修正。ページ数は50にもなり、検索されやすいようにすべてのページで個別のメタタグとOGイメージを用意した。

撮影交渉をするなかで最高裁判所も、私たちが作っているサイトに「関心」を持っていることが伝わってくる。

なおさら事実関係と表現の確認、修正。

ひととおり終わったら別の記者の手も借りて、新鮮な目で一から確認、そして修正。

衆院選の日程が当初の想定より早まったこともあって最後はかなり追い込みになったけど、なんとか告示日の前日、18日に公開することができた。


サイトの反響を「次」につなげる

知りたい人のお役に立てればいいな…というくらいだったが、公開日の夜から朝にかけての反響は予想を上回るものだった。

「こんな情報がほしかった」
「判断の材料がなかったからこういうの助かる」
「NHKグッジョブ」

著名なジャーナリストやフォロワーの多いインフルエンサーがSNSで積極的に拡散してくださって、どんどんサイトの閲覧数は増えていった。

サイトと連動してNHKのニュースや解説番組でも国民審査について紹介し、サイトの中身を30秒にまとめたショート動画などの新しいコンテンツを作ってSNSに投稿していった。

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そしてSNSの反応を見ながらサイトのUIも細かく改善。特定の裁判だけでなくいろいろな裁判を見てもらおうと、各記事の末尾に「そのほかの裁判や記事」のリンクをつけたり、実際の投票をイメージしてもらうために投票用紙の見本を掲載したり。

ある夜、ぼーっとテレビを見ていたらTBSのニュース番組で衆院選の話題になり、ゲストの菊間千乃さんが

「国民審査も行われます。あの今、他局ですけどNHKのサイトがすごく良くできていて、どの裁判官がどういう裁判に関わったかが書いてあるので、適当にみるのではなくきっちり見て、○をつけるのじゃなくダメだと思った方に×をつけて」

と話されていたのは驚いたし、「役に立っている」のはうれしかった。

さてあと2日で投票日。

終わったあとに投票結果や分析をサイトに掲載することはもちろんだけど、それで終わりじゃない。次の国民審査に向けて、最高裁の裁判を常に身近に感じてもらえるよう、日頃の裁判ニュースもわかりやすく伝えていくこと。

もうひとつ、今回の「国民審査」のように、多くの人が知りたがっているのに私たちメディアが気づかず情報を提供できていないことは、ほかにもあると思う。そうしたことも、探していかないと!


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田中常隆 記者

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社会部で最高裁判所取材を担当。迷宮のような最高裁の中でいまだに道に迷っています。この記事の前半を書きました。

馬渕安代 記者

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ネットワーク報道部記者。前回の国民審査のときに最高裁を担当。
大学の専攻は法学でなく心理学系でした。

高杉北斗 記者

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ネットワーク報道部記者。「国民審査サイトってどうすか」と提案しました。裁判所の思い出は盛岡地裁の敷地内に咲く「石割桜」の開花を速報するため毎朝観察したこと。

上田真理子

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社会部 司法担当デスク。
料理動画を見て食べた気分になるのが好き。画像は法廷画家さん作。

山形晶 解説委員

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司法取材を長くしてきました。
最高裁の女神像の天秤が本当に水平なのかいつも気になって眠れません。

足立義則

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ネットワーク報道部担当デスク。この記事の後半を書きました。詳しいプロフィールや近況はツイッター @dachio をご覧ください。

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