
すごく増えている「匿名記者」のみなさんに聞きました あなたの匿名の理由とは?
「匿名記者に取材してみようか」
私たち「NHK取材ノート」編集部の定例ミーティングで、ある日「匿名記者」のことが話題になった。
ツイッターのプロフィール欄に「記者」と書いてある匿名のアカウントがこのところ増えていて、仕事の「あるある」ネタやメディア業界の話題などを発信している。
でもどうして「匿名」なんだろう?
この「取材ノート」はもともと、取材の内幕やノウハウ、仕事の悩みなどを伝えていこう、取材者の「顔と名前」を発信していこうと始まったものだけど、「匿名」で発信したいという事情もありそうだ。
だから今回は対象をちょっと広げて、編集部が「匿名記者」のみなさんに直接話を聞いてみようということになった。
「匿名記者」とは?
「匿名記者」に明確な定義はないし、辞書にも載っていない。
今回はこう定義した。
「プロフィール欄などに『記者』と書いていて、本名や所属する会社名などは伏せているアカウント。主にツイッター」
該当するアカウントをプロフィール検索で数えてみたところ、ことし1月の時点で100近いアカウントがあって、その後も増え続けている。古くからのアカウントもあったけど、多くは2020年以降に作られていた。
この1年あまりに開設したアカウントを中心に編集部の記者がコンタクトを取ると、お名前や社名は確認したうえで、「匿名」を条件に取材OKをいただいた。
始めた理由は「コロナ」
最初にお話を伺ったのは匿名の記者アカウントの中でもフォロワーが多い「編成記者A子」さん。新聞業界のニュースや各紙の一面記事や見出しを比較するツイートなどで人気のアカウントだ。

新聞社で紙面のレイアウト作成や見出しをつける部署に所属する「A子」さんが、匿名記者のアカウントを開設したのは去年2月のこと。始めたきっかけは「コロナ」だったという。
「コロナで社内の交流が減り、時間が出来たのが大きかったです。交流が減って寂しい思いもしているときに知ったのが、”匿名記者アカ”の存在でした。アカウントを立ち上げて前向きな情報を発信すると反応がよくて、実際の交流も生まれました。他社の方々との交流は楽しいですし、勉強にもなります」(編成記者A子さん)
新聞ができるまでを紹介するイラストをアニメにしたり、各社の記事の比較やメディア業界の話題などを紹介しているうちに、ほかの記者アカウントからコメントを受け取ることが増えて交流も生まれていった。

交流を続けていくなかで「業界へのマイナスイメージを払拭したい」という思いにもなっていったという。
「マスコミ業界は”マスゴミ”と呼ばれたり、新聞の部数が減ったりと、ネガティブな話がどうしても先に立ちます。ただ匿名記者同士では『まだ業界でも出来ることあるじゃん』という話になることもありますし、なんとかしたい、業界を良くしたいと発信をしている人がいます。自分もそう思って前向きな情報を出すよう心がけています」(「編成記者A子」さん)
悩みを聞いてもらえる先輩がいない
「限界新聞社勤めの無能」とプロフィール欄に書いている「チャンピヨさん」も、匿名で発信を始めたきっかけは「コロナ」だったそうだ。スタートしたのは入社1年目の冬。

「当時は感染が拡大していて社内のコミュニケーションが少なく、仕事の悩みを聞いてもらえる先輩が社内にいませんでした。そんな時にツイッターで匿名記者アカウントを見つけ、参加しました。そこで知り合った先輩方の話はとても勉強になりましたし、具体的なアドバイスもいただけて、不安の解消にもつながりました。コロナがなければ、始めていなかったと思います」(「チャンピヨ」さん)
入社して数年の若手記者という「ぴえん記者」さんも、匿名でツイッターを始めたときの心境を「とにかく悩みを聞いて欲しかった」と話す。

仕事で大きな悩みを抱えていたがコロナの感染拡大もあって社内の先輩に直接相談することがうまくできず、ひとりで抱え込んでいたそうだ。
「逃げ場所を探していた、と言っていいかもしれません。匿名記者のコミュニティで出会った同業者の方々が悩みを聞いてくれたり、アドバイスをくれたりしました。匿名記者のコミュニティには、救われました。リアルな交流も生まれ、先輩たちの仕事ぶりを聞いて、『もっと自分も頑張らなければ』と勇気づけられることもありました」(「ぴえん記者」さん)
ほかにも話を聞いた人の多くが、アカウントを開設したきっかけを「コロナ」だと説明した。そうした声は比較的若手に多く、コロナ禍で不安や悩みが広がっていることもうかがえた。
でもどうして「匿名」なんですか?という質問には同様の答えが返ってきた。
「目的が”交流”だから」
あくまで同業の記者との「交流」が目的で、それには会社の看板の無い匿名のほうがいろいろ書きやすいということだった。
全国紙で記者をしているという「或る中堅記者」さんも、情報発信より交流が目的で、だったら匿名のほうが会社の垣根をこえて議論したり、交流しやすいと話す。
例えば以前「或る中堅記者」さんが、若い記者たちに読んでほしい「推薦図書」をツイッターで募集したところ、多くのアカウントから推薦図書が集まって100冊以上になり、一覧で公表した。

「ニュースで地方の小さな祭りや季節の話題を伝える理由は何か?」について、自身の経験をもとにツイートしたところ、多くの匿名や実名の記者からコメントが寄せられ、議論になったこともある。

もともと「或る中堅記者」さんが発信を始めたきっかけは、仕事で悩む若手記者の存在をツイッターで知ったことだそうだ。
自分なりの「等身大の記者像」を伝えて悩みの解消につながればと考え、「それには匿名のほうが発信しやすい」と考えたという。
「実名を背負っていると、会社の看板もあり、実態をつぶやきにくい面もあります。また年を経るにつれて社内では同じような人としか関わらなくなってきますし、若い記者との関わりが減ってくる。実名ではやりにくい赤裸々な議論ができるのが匿名のいいところだと思いますし、私自身、学びになっています」(「或る中堅記者」さん)
意外に広がっていた「匿名記者のコミュニティ」
匿名のやりとりは、悩み相談の場にもなる。
さまざまな悩みを抱える「若手」の匿名記者に、「先輩」の匿名記者がアドバイスをしたり、匿名記者の「オフ会」も開かれていることが分かった。
飲み屋で先輩から仕事の「武勇伝」を聞いたり(聞かされたり?)、他社の記者と議論したり悩みを打ち明けたりといったコミュニケーションは、コロナ前は記者に限らず仕事の世界ではよく見られた光景だった。
同じく地方紙の若手記者だという「モラトリアム記者の独り言」さんは、「コロナ禍で失われた社内のコミュニケーションを匿名記者のコミュニティーが補っている面はある」と話す。

「噂になることを心配し、社内の先輩には相談しにくいことも、匿名記者の先輩になら相談しやすいこともあるようです。ハラスメントの相談を聞いたり、他社の取り組みを知って、業務に生かしたという例も聞いています」(「モラトリアム記者の独り言」さん)
「モラトリアム記者の独り言」さんは、定期的に対面のオフ会も開いているそうだ。そこでは仕事の悩みや、メディア業界の先行きの不透明さから来る不安についても話題になるという。
新聞、テレビ、通信、出版など従来のマスメディアを巡る環境は大きく動いている。発行部数や広告収入の低下、人員や予算の削減など、正直、明るい話は少ない。それに加えてコロナ禍で、社内のコミュニケーション不足があちこちで生じていることは、匿名記者たちの話からも伺えた。
「コロナ禍で薄くなった社内のコミュニケーション」
「先行きの不透明なメディア業界と、そこで働く記者たちの不安」
「記者」という自称でつながる匿名の人たちが、共通の思いを語り合う場がSNSで広がってきている。何か奇妙な感じもするし、それが今のマスメディアの状況を象徴しているのかもしれない。
「会社が認めていないから」
「匿名で発信する理由」について、もうひとつ、多くの匿名記者に共通した答えがあった。
「会社の規定で、実名でのSNS発信が許可されていない」
「会社にきちんとしたSNSのガイドラインがなく、炎上した場合の対応マニュアルもありません。全て自己責任の中で実名発信するのは怖いという思いが正直あります」
「できるものなら実名で発信したいという思いはありますが、会社は推奨していません。個人発信は伝える上で今後さらに求められると思いますが、炎上や誹謗中傷にどう対応するかという怖さもあり、踏み切れません」
会社が認めてくれればできれば実名で発信したいという人もいれば、いや会社の方針とは関係無く、匿名のほうが気楽だからこのまま匿名でいい、という人もいる。考え方は様々だ。
匿名記者のアカウントについては「記者は実名で発信するべきだ」という批判をときどき見かける。
例えば業務上で知り得た情報を個人の私的なアカウントで発信することはほとんどの会社でNGと思われるが、そうでなくても記者を名乗るのであれば実名での発信にこだわるべきだという意見はある。
これまでは主に匿名による発信のプラスの面を伝えてきたが、匿名発信の倫理的な問題やリスクは無いんだろうか?(と、いつもリスクについてもセットで伝えたがるのは記者の習性かもしれないけど)
「海外では記者は実名発信が一般的です」
そう話すのはジャーナリストの古田大輔さん。
朝日新聞の記者時代から実名でSNSで発信しており、BuzzFeed Japanでの編集長の経験などを通して、国内外のメディア事情に詳しい。
古田さんは「ツイッターには実名で発信しなければならないというルールはなく、実名・匿名は個人の自由です」と前置きしたうえで、次のように話した。

「海外ではツイッターは記者にとって取材や発信のツールとして非常に重要ですし、その発信内容や影響力がジャーナリストとしての評価にもつながり、キャリアアップの手段にもなっているわけです。匿名でいくら発信しても、記者としての信頼に結びつきませんし、署名記事にも出来ません。評価にはつながりませんから、ジャーナリストは実名で発信するのが一般的です」(古田大輔さん)
海外では雇用が流動的で、記者が職場を転々とするケースがそう珍しくないが、日本では記者も「終身雇用」がまだまだ多い。ツイッターが記者の実力を示す世界からは、日本での「匿名記者」アカウントは不思議に見えるかもしれない。
古田さんは、匿名で発信するリスクも考慮しておくべきだと話した。
「ツイッターで発言する以上、それは誰もが見られる公開情報であるという点です。目的がどうであれ『記者』を名乗って発信している以上、『メディア業界の評判』を担っている側面があります。また特定されるリスクもあります。今はソーシャルトラッキング(特定)技術が発達していて、ささいな内容からも個人が特定される、つまり”身バレ”のリスクがあることも踏まえる必要はあると思います」(古田大輔さん)
あくまで発信のスタイルは個人の自由で、記者が業務外の個人的な楽しみで匿名アカウントを利用するケースもある。そのうえで古田さんは、記者から相談を受けた時には実名での発信を勧めるようにしているという。
でも国内では記者が実名発信する際のサポート体制が整っていない会社が多いと指摘する。
「ツイッターは有力な発信ツールです。『伝える』ことを仕事にしている以上、メディアとしても個人としても、このツールをどう活用していくか、考えないともったいない。一方で実名で発信する場合、その記者が攻撃にさらされる『ハラスメント』を受けるなどのリスクがあるのも事実です。日本ではソーシャルガイドラインが未整備のメディアが多いですが、『~してはいけない』という”べからず集”を作るのではなく、個人発信をサポートするような体制を整えていく必要はあると思います」(古田大輔さん)
古田さんによると、記者の実名発信が一般的な海外の職場にも課題があって、個人発信による炎上リスクについて担当の管理職は胃に穴があくほど悩んでいるそうだ。
古田さん自身もBuzzFeed Japanの編集長時代には積極的な発信を勧めつつ、対応には常に苦慮していたという。
「記者の個人発信のあり方を巡っては世界的に努力、議論が重ねられている」そうだ。
「記者で匿名なんてけしからん」という批判はあるけれど、匿名記者への取材を通して、メディアや記者を取り巻く環境の変化がここに象徴されているようにも感じる。
「匿名記者」が一時の流行なのか、今後さらに広がって独自のコミュニティーとして定着していくのか。今後も注意して見ていきたい。
読者のみなさんのご意見も、お待ちしています。

【取材・文】
「取材ノート」編集部