20年、ディレクターの仕事ひとすじだった私が“大人の部活”を始めた理由
“仕事第一”と習い事も社外の活動もあまりしてこなかった私。
社会人20年目を目前にした去年5月、「NHKの職員って課外活動してもいいんだっけ」と内心びくびくしながら、取材先の方とともに、SNSであるコミュニティを立ち上げました。
「オストメイトといっしょ!秘密結社アッと♡ストーマ」
なんていいいながら…全然 秘密じゃないですけれど。
メンバーは70人ほどで、会社員や通訳、主婦、医師、看護師、理容師、トリマー、弁護士など職業も年齢もさまざま。
名前の通り、オストメイトと、そうでない人たちが一緒になっていろいろな活動をする集まりです。
どんな活動かというと・・・
デコってみたり
“デコパウチ”というモノなんですが、見たことありますか?
オストメイトが使う「パウチ」という装具を、スタンプやイラスト、シール、編み物などでデコレーションしたものです。
われらが“秘密結社”のビッグイベントのひとつが、このデコパウチ作品を広く募集して、WEBでコンペや展示会を行う「デコパウチコレクション」の開催です。
※去年のデコパウチコレクションはコチラ
2年目の今年は9月に応募が始まります。応募要項はコチラ↓(いずれもわたしたちのサイトです)
ちなみにデコレーションする前のパウチはこんな感じ。
飾り気のない、とてもシンプルなつくり。医療器具だからシンプルが一番、でも控えめに言ってちょっと地味ですよね。下着でいえば“勝負下着”というよりは、“ババシャツ”寄りの感じ。(メンバーの感想です)
オストメイトの“苦行”
そもそもですが「オストメイト」とは、病気や障害によって排泄ができなくなり、おなかに「ストーマ」という人工肛門や人工ぼうこうを作った人たちのことです。
ストーマには肛門と違って筋肉がないので、排泄のタイミングをコントロールできません。そのため、24時間、この「パウチ」と呼ばれる袋状の装具をつけて、ここで排せつ物を受け止めています。
パウチにたまった排泄物を捨てたり、パウチ自体を交換する作業が欠かせません。
さらに日本の場合、中身の見えるタイプが主流です。医療者が腸や排泄物の状態を確認したり、介護者や本人がストーマを目視して交換したいといったニーズを重視しているからです(ちなみにデンマークなど海外では中身の見えないパウチがメジャーです)。
自分の排泄物をみながら、どんなに疲れていても体調が悪いときでもやらざるをえないこのパウチの交換作業を「苦行」と呼ぶ方もいました。
もし、このときパウチに素敵な絵が描かれていたり、自分を鼓舞するメッセージが描かれていたりしたら気分があがるんじゃないか。
「デコパウチ」は、そんなつらいパウチ交換をちょっとでも楽しい時間にしようと当事者メンバーが始めた、とてもポジティブな営みなのです。
秘密結社のこころざし
私たちが活動でこだわっているのが、”非当事者”を巻き込んでオストメイトに関心をもってもらうこと。
この「デコパウチ」を楽しむイベントでも、パウチを入手できない人たちにも参加してもらえるよう、複数の装具メーカーに働きかけて、製造工程ではねられたパウチなどを、“もったいないパウチ”として、提供してもらっています。
さらに袋のあるメンバーもないメンバーも自らYoutubeに出演して、応募されたデコパウチについて、それぞれの思いをおしゃべりする様子を配信しました。
初めての開催にも関わらず、このイベントには260点近い作品が寄せられ、未就学児から80代まで、当事者もそうでない人もたくさんの人たちが参加してくれました。もうびっくり。感謝でいっぱいでした。
さらに小学校に出向いてデコパウチを一緒に作る授業をしたり、銭湯や温泉に気兼ねなく入れるようにパウチを自然にカバーできる湯浴み着を大手メーカーに働きかけて開発したり、いろいろなプロジェクトが進行中です。
当事者でも専門家でもない私にできるのは、遠慮せずに非当事者を巻き込んで!と提案し続けること、その一点だと思って参加しています。
オストメイトは他人事じゃない
日本のオストメイトの数は、約21万人。東京23区だと荒川区や台東区の人口ほどいらっしゃるはず。
ですが私は取材をするまで、「自分はオストメイト」という方に会ったことがありませんでした。
服を着ていると外からはわからないうえ、排せつに関わる障害であることもその理由かもしれません。
でもオストメイトにはなんの関係もないと感じているみなさん!
実はストーマを造設する大きなきっかけの一つでもある大腸がんは日本人のがんの死亡数の第2位、女性では1位で、近年り患数は増加傾向にあり、その数はまだまだ増えるとも言われています。
そのほか潰瘍性大腸炎、子宮内膜症、交通事故など、私たちがオストメイトになるかもしれない原因は、数え切れないほどあるんです。
「私さ、人工肛門になってね」
今でこそ熱心に課外活動をしている私も、初めてオストメイトという存在に関心をもったのはおととしの夏でした。大学のゼミの先輩で現在は内科医として活躍する、エマ・大辻・ピックルスさんから「人工肛門になった」という連絡をもらったのです。
エマさんは医療関係者にさえオストメイトの実情がきちんと知られていない現状を知り、あえてパウチの見える姿でポスターを撮影したり、オストメイトのことを知ってもらう活動を始めていました。
パウチのついている体にあう服や下着がほとんどない。
服を着てしまうと外からは見えないため、パウチの中身を捨てようと駅の多機能トイレを使ったら、「健常者がなぜこのトイレを使っているんだ」と舌打ちをされる。
そのうち、道で下水のにおいがすると「自分が匂っているんじゃないか」と不安になったり、おなかにストーマができてしまった自分などもう女性として誰にも愛されることはないのではないかと、深い闇の中に沈んでいきます。一時は人の目が怖くなり、家にひきこもってしまうほどだったといいます。
エマさんの活動やその思いを当時担当していた夕方の情報番組「シブ5時」の特集で放送すると、大きな反響がありました。
その中に4歳のオストメイトの女の子の、父親という方からのお便りがありました。
そしてこのご家族との出会いが、私が放送後も「オストメイトのみんなと何かをしたい」と思うきっかけになったんです。
4歳のオストメイトとの出会いが私を変えた
取材でたくさんオストメイトの方にお話を聞かせていただきましたが、そんなに幼いオストメイトがいるというのは初耳でした。
そのご苦労は想像しようとしてもできません。失礼がないようにとおそるおそるご両親に連絡をとりました。
もともとご両親は「エマさんに会いたい」とメールをくれたため、まさかNHKから返信があるとは思っていなかったそうです。
ご両親は戸惑いながらも女の子の状況を私に話してくれました。
女の子は生まれた翌日にオストメイトになりました。
パウチの交換は大人がしてあげないといけませんが、食べたり遊んだりと、日常生活は問題なく送れるといいます。
パウチを交換する時には両親が作業しやすいよう、小さな体で動かずにじっと堪えてくれていること。
男性トイレにはおむつの交換台がなく、父親と出かけるときには娘のパウチ交換をしてあげられずに困っていること。
できれば地元の仲の良い友達と普通学級に進学させてあげたいが、パウチの交換をする場所やその対応をしてくれる人を確保できるかわからず不安なこと。
当時、女の子自身が自分が他の子と違うことに気づいて、気にし始めていたこと。
いじめや差別が心配で娘がオストメイトであることは親族でも限られた人にしか伝えておらず、この先もオストメイトであることをできれば周囲に伝えたくないということ・・・。
電話口でご両親の話に耳を傾けていると、娘の幸せを願って逡巡する切実な思いが痛いほど伝わってきました。
同時に、女の子が直面している課題の一部は、あたり前にオストメイトであることをカミングアウトできる社会になり、周囲が必要な協力をできれば解決できることだと感じました。
私は無礼を承知でご両親に正式に取材を依頼しました。もともと「エマさんに会えれば」との思いからの連絡だったのと、なによりオストメイトであることを隠して生活されていることもあり、ご両親は大変悩まれました。
けれども最終的に「娘のような境遇にある子どもたちの未来につながるかもしれない」と取材を受けてくれることになったのです。
私たちは、女の子がはじめてエマさんに会う場面に立ち会い、番組で紹介しました。ニュース番組で見て会いたかったエマさんが自分の目の前に現れ、女の子は、ぴょんぴょん跳ねて全身で喜びを表現しました。
女の子にとってエマさんは、人生で初めて“オストメイト”として対面した、同士のような存在です。
日頃、自分のストーマや排泄物を目にすることで感じてきた心の痛みを打ち明けました。
「ぴかぴかしている(透明な)のがいやだ。(ストーマが)見えるのがいやだ。ば~ってね、うんちっちが広がっちゃうの」
女の子がこんなにもはっきりと自分の思いを言葉にして表現するのは初めてだったといいます。
放送ではご紹介できませんでしたが、女の子の取材で昨日のことのように心に焼き付いている場面があります。
よく晴れた秋の日、ご両親が、女の子が生まれた大学病院の近くにある公園に私たちを連れて行ってくれました。
女の子は生まれた翌日に人工肛門を作り、そのまま入院しました。
ご両親は自宅から県外にある病院まで、毎日車で通いました。
検査結果を待つ時や午前の面会時間と午後の面会時間の間などを、この公園で過ごしていたと言います。
女の子が退院したのは出産から3か月後でした。
ご両親はどちらからともなく、女の子とこの公園に立ち寄ることに決めていたといいます。
目的はこの公園にある鐘を女の子と一緒に鳴らすことでした。
公園の高台で、地域を一望できる気持ちのよい場所にあるこの鐘を鳴らすと、幸せになれるといわれていたからです。
「この鐘を鳴らしたからと幸せになるわけないではないとはわかっているんだけど、それでも幸せになるというのであればこの子とつきたいなって思っていたんです」
父親は当時のことを振り返って当時のように鐘をついてみせながら、女の子の名前にこめた思いも話してくれました。
父「この子の名前には羽という文字をいれたんです。これから大変なことがいっぱいあると思うけど、この子らしく、自由にはばたいていってほしいって」
母「あの日は、この子にとっても、私たちにとっても出発の日だったんです。私たちの子育ての出発の日だったし、幸せになると決めて歩き始めた、出発の日」
オストメイトがあたり前に海辺を歩ける未来を
おなかの中にいる我が子がオストメイトになることで生きられるとわかったその時から、ご両親はずっと、知らないことがあれば夜通し調べ、勉強して、目の前に出てくる課題にひとつひとつ立ち向かってきました。
そんなご両親と、生まれた時から他の子にはない課題に向き合っている女の子。
なぜこんなにがんばっている人たちの側が、社会の無理解のために苦しまなければいけないのか。
番組を通じて女の子に出会った私とエマ先輩は気づけば同じ夢を持つようになっていました。
それは、この女の子がお年頃になったときに、パウチをつけて海辺やプールサイドをあたり前に、楽しく散策できる未来です。
その未来の実現に必要なのは何かとてつもないことを成し遂げるのではなく、私がエマさんや女の子と出会って見える世界が少し変わったのと同じくらい、ささやかなことの積み重ねのように感じました。
放送を出して終わり、じゃない
こうした思いに共感してくれた取材先や友人たちと始めた部活動のことを、なんと去年の冬、番組からの新たな動きとして、「シブ5時」でとりあげてもらいました。
私たちが一番大事に思っているのは、オストメイトをとりまく世の中と、これからオストメイトになるかもしれないすべての人に、その存在にポジティブに出会ってもらうことです。
それは、「つらい現実や大変なことに蓋をしよう」ということでもなければ、「どうしようもなくつらい状況にあって気持ちが落ちこんでいる人たちにポジティブになれと押しつけたい」のでもありません。
オストメイトになることでたくさん大変なことがあるけれど、その中でも前を向いて現状を生きようとする人たちがいることを発信していくことと、自分たちのアクションが何かを生み出すかもしれないと、みんなで楽しんでいこう、という思いです。
活動を続ける中でもうひとつ、うれしいサプライズがありました。
番組で取材をした女の子とご両親が、大手装具メーカーと大手アパレル会社に働きかけて進めている「湯浴み着」の開発に参加してくれることになったのです。
「いつか気兼ねすることなく温泉につれていってあげたい」
母親はその強い思いを、第一線のファッションのプロたちを前に臆することなく堂々と話してくれました。その変化に驚いたことを伝えると、「取材を通じて、どんどん私たち変わっていった気がします」と話してくれたことも忘れられません。
一方、女の子は、自分が着てみたい湯浴み着のデザインを提案してくれました。彼女がお年頃を迎えるまでに約10年。もしかしたらこれは、私たちの夢見る未来の第一歩かもしれません。
テレビのディレクターの仕事は放送を出してそれで終わり、ではありませんでした。
放送の先につながる未来のために、私にできることを一つ一つ積み重ねていきたいと思っています。
宮崎玲奈
ゆう5時ディレクター
バラエティでもドキュメンタリーでも
人の「生き方」が見える取材が好き
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