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#それぞれの10年

死に慣れて、いいはずがないのに

初めて目の前に現れた津波は、波ではなく、巨大な水の塊だった。 その塊は、コンクリートの壁を乗り越え、暴力的な強さと勢いを持つ激流となって、町に流れ込んでいった。 直前までそこにあった生活の証し、家や店など町並みだったものが粉々に破壊され、木材のかけらや、捻じ曲がった金属片になりかわった。 そして、多くの人の命が奪われていった。 ついさっきまでいた場所。 現実感がわかないまま、カメラを回し続けた。 これは、記者になって3年目、突然、ひとり災害取材の最前線に放り出された私の

「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」

「来ていますよ、津波。来ている、来ている! 川を上って来ていますよ! 正面」 それまで冷静だったパイロットの緊張した声で、カメラを前方へと向けると、名取川を津波が遡上してくる様子が確認できた。 午後3時54分。ヘリの映像が、テレビで生中継され始める。 白波がザーッと川を上ってくる様子の撮影を続けていると、再び前方の席に座るパイロットと整備士の叫び声がした。 「海、海、海。もっと左、左、左」 カメラマンの座席は後部右側。真ん前や左側はよく見えない。指示された側にカメラ

何も考えていなかった「僕」が当事者だった「彼女」と出会って3月11日が自分ごとになるまで、それぞれの10年

あの日の僕は、神奈川で暮らす高校1年生だった。特に被災地に深く思いをよせることもなく。 あれから10年。26歳の僕は岩手に住むNHKのディレクターで、東日本大震災の番組を作っている。 のん気そのものだった学生時代 高校時代の僕はラグビーの練習に明け暮れる毎日で、あの日、3月11日は練習で足を捻挫して整形外科で順番を待っていた。「試合に出られなくなったら嫌だなぁ」とか「当分は練習休めるな」などと思っていた午後、突然あの揺れがきた。 雑居ビル4階のクリニックはかなり揺れて