マガジンのカバー画像

注目ノート

24
多くの方に読んでいただいた記事を中心にまとめました
運営しているクリエイター

#東日本大震災

ひるむな、立ちつくすな、ためらうな。「ことばで命を守る」アナウンサーたちの10年

津波警報のときに使われるこの呼びかけを初めて実践したのが、高瀬耕造アナウンサーだった。 それは震災から1年9か月後の2012年12月7日。三陸沖を震源とするマグニチュード7.3の地震で「津波警報」が発表された。 スタジオに駆け込んだ高瀬はキャスター席に座り、その横にベテランの武田がついた。手元のモニターには「東日本大震災を思い出してください」という呼びかけ文が表示されていた。 訓練では何度も読み上げてきたが、本番となるとためらいがあった。 (本当にこのとおり呼びかけて

「東日本大震災を思い出してください!」その時、ことばで命を守れるか。NHKアナウンサーたちの10年

平日の午後、東京・渋谷のNHKのニューススタジオに、この日もアナウンサーの緊迫した声が響きました。 地震と津波が発生したことを想定した緊急報道訓練。大津波警報や津波警報などさまざまな想定で、頻繁に行われています。 この日もアナウンサーは、目の前のモニターに次々に表示される地震や津波のデータを読み上げながら、とるべき行動や注意点などを呼びかけていきます。 災害の危険が迫っているときに、NHKのアナウンサーがスタジオからみなさんに呼びかける、 「一刻も早く逃げてください!」

死に慣れて、いいはずがないのに

初めて目の前に現れた津波は、波ではなく、巨大な水の塊だった。 その塊は、コンクリートの壁を乗り越え、暴力的な強さと勢いを持つ激流となって、町に流れ込んでいった。 直前までそこにあった生活の証し、家や店など町並みだったものが粉々に破壊され、木材のかけらや、捻じ曲がった金属片になりかわった。 そして、多くの人の命が奪われていった。 ついさっきまでいた場所。 現実感がわかないまま、カメラを回し続けた。 これは、記者になって3年目、突然、ひとり災害取材の最前線に放り出された私の

「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」

「来ていますよ、津波。来ている、来ている! 川を上って来ていますよ! 正面」 それまで冷静だったパイロットの緊張した声で、カメラを前方へと向けると、名取川を津波が遡上してくる様子が確認できた。 午後3時54分。ヘリの映像が、テレビで生中継され始める。 白波がザーッと川を上ってくる様子の撮影を続けていると、再び前方の席に座るパイロットと整備士の叫び声がした。 「海、海、海。もっと左、左、左」 カメラマンの座席は後部右側。真ん前や左側はよく見えない。指示された側にカメラ

何も考えていなかった「僕」が当事者だった「彼女」と出会って3月11日が自分ごとになるまで、それぞれの10年

あの日の僕は、神奈川で暮らす高校1年生だった。特に被災地に深く思いをよせることもなく。 あれから10年。26歳の僕は岩手に住むNHKのディレクターで、東日本大震災の番組を作っている。 のん気そのものだった学生時代 高校時代の僕はラグビーの練習に明け暮れる毎日で、あの日、3月11日は練習で足を捻挫して整形外科で順番を待っていた。「試合に出られなくなったら嫌だなぁ」とか「当分は練習休めるな」などと思っていた午後、突然あの揺れがきた。 雑居ビル4階のクリニックはかなり揺れて