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2021年5月の記事一覧

ちょっと聞かせてください…!あなたがその指で「攻撃」に加わった理由

ネットにはときどき極端な意見の人と、それに追随する人たちがいます。私はこれまで「排外主義的な言論」を主張したり、時には行動で訴えたりする人たちについての取材を多く手がけてきました。 例えば4年前、弁護士に全国から13万件もの懲戒請求が送られた問題です。 2018年10月に「クローズアップ現代+」で放送しました。 そしてあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の内容を巡って大量の苦情や問い合わせなどの電話、いわゆる“電凸”が寄せられ、展示が一時中止に追い込まれた問題

「小児がん」治療のあり方を変えなければ…患者の親となった私は自ら取材することを決意し、巨大省庁に乗り込んだ

「それでジャーナリストと言えるのか」 娘が小児がんを発症したことで、事件記者だった私は、信頼できる仲間に日本の医療体制の問題を取材してもらいたいと懇願した。 しかし彼らから返ってきたのは、予期せぬ答えだった。 そして私は、それまで培ってきたキャリアに別れを告げ、「当事者」の立場から取材することを決めた。(前編はこちらから) 「もし娘が」インタビューができない2008年の夏の異動で、神戸局から社会部に戻った。ほどなくして私は小児脳腫瘍をテーマにした「クローズアップ現代」

「医者によって子どもの運命が変わる」日本の医療の現実、娘のため「当事者」になった私は一線を踏み越えた

記者は取材すべきことを、客観的に見なければならない。だから、当事者は取材に関わるべきではない。そう思い続けてきた。 記者になって10年以上が経過し、その考えが変わったきっかけがある。 わが子が小児がんを患ったことだ。 娘は小学1年生の時に小児脳腫瘍を発症した。彼女の闘病生活、そして同じ病と闘う子どもたちを見て、私は初めてこの国の小児がん医療の現実を知った。 “かかった病院や医師によって、その子の運命が変わってしまう” この現実を何としても変えたいと思った。ただ、当初

3か月で辞表を書いた俺に、彼が教えてくれたこと

沖縄は暑い。暑いのは嫌いだ。 汗、くさい。夜回りの車の中では、なおさら匂う。 どうして俺はこんなところにいるんだろう。 この思い、いま内ポケットに辞表を入れている君らにも聞いてもらいたい。 1年生記者が辞表を書くまでNHKに入ってから1か月の研修を終え、配属先を決めるとき、俺は沖縄放送局なんて希望していなかった。同期たちには一番人気だったようだが、本土復帰の経緯もよく知らず、米軍基地問題についても勉強不足だった。当時の人事は、なまじ知識があるよりはいいと考えたようだ。 大