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ライフ イズ ストレンジ /ライフ イズ ストレンジ 2|ゲームの遺伝子解析記録vol.7

エンタメやカルチャーの中でなにが一番好きか?
「ゲームです!!」
と、『ゲームゲノム』のディレクターとして、即座にそう答えたいところなのですが……正直、ゲームより絵本派、いわゆる「おはなし」がダントツで大好き“だった”のです。そんな私はちびっ子時代からこう思っていました。「おはなしの続きを早く知りたいのに、レベル上げしたり、何かを探したり、謎を解いたりしないといけないから、ゲームってめんどくさいな~」と。
……、“ゲーム教養番組の取材後記でしょぱなからゲームをめんどくさいとか形容するな!”―いや、違うんです。「ゲームがなくても代わりになる娯楽や物語はある」とか思っていた私をゲームでしか味わえない物語体験の魅力で殴ってきて、「ゲーム、すごい」と思わせてくれたのが『ライフ イズ ストレンジ』、そして『ライフ イズ ストレンジ 2』なんです。

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「ゲーム」ならではの物語体験ができる『ライフ イズ ストレンジ』

はじめまして、第7回「選択の重み~ライフ イズ ストレンジ /ライフ イズ ストレンジ 2~」の『ライフ イズ ストレンジ』部分をメインで担当したディレクター・立野と申します。私事で恐縮ながら入局6年目になるのですが、#1担当の総合ディレクター・平元さんは新人時代からお世話になっている先輩で、今回こうして新たな番組の立ち上げに一緒に携われてとってもうれしく思います。

さて、私がこのゲームに夢中になった理由である「ゲームならではの物語体験」は、番組でもご紹介した通り、プレイヤーに委ねられる大量の選択によって会話や物語の展開が大きく変わっていくことによって生まれます。こうして文章で説明してしまうとあっさりしたものですが、マックスやショーン(それぞれ『ライフ イズ ストレンジ』『ライフ イズ ストレンジ 2』の主人公)を操作しながら10時間、20時間……と「朝食にパンケーキを食べるのか?ベーコンオムレツを食べるのか?」なんていう些細ささいな選択から、「友人を守るために銃を撃つのか?撃たないのか?」などという重大な選択まで、数えきれない選択を重ねることで醸成される物語への没入具合には常ならざるものがあり、単純に主人公を操作しているというより「主人公=自分」という感覚がどんどん強くなっていきました。映画や小説、舞台などで楽しむ物語は、どんなに感情移入したとしても、あくまでも「ある一つの物語を受け取る」という<受動的>な体験になりますが、このゲームにおいては自ら<能動的>に物語に参加していくという、ゲームならではの物語体験にかつてなくどっぷり肩までかることになるのです。

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選択を通じた<能動的>な物語

選択を積み重ね、物語の終盤の選択に至るころには「いや、でも今この選択をしたら、あの時のあの選択が無駄になってしまうのでは……」「私(=マックス/ショーン)は、本当は何を望んで選択してきたんだっけ……」なんて考えはじめて、目の前の選択肢の一つ一つが序盤とは比べ物にならないくらい重大なものに感じられてきます。そして究極の二択を迫られる「最後の選択」。これらの選択を経て辿たどり着いたエンディングの重みたるや!
物語の結末が完全なハッピーエンドではなかったとき、「みんなが幸せになる道はなかったのか……」なんて思ったことがある方もいらっしゃるかと思いますが、このゲームの物語の結末の責任は自分にあるわけです。「ハッピーエンドがよかった!」なんて駄々だだをこねるわけにはいかず、「これが、わたしの選んだ物語……」と主人公や登場人物の人生を受け入れるしかないんです……。

初プレイ時は両作品ともにエンドロールを見ながら、かなり放心状態に。「これでよかったんだろうか、いやこれしかなかったんだ、いやでも……」。マックスやショーンの人生や未来に切実に思いを馳せてしまい、心揺さぶられる体験でした。同時に、“自分の人生や未来に向き合う力”のようなものをもらったような感覚もありました。これはゲーム以外のメディアを通じた物語体験ではかつて感じたことのない感覚で、言葉を選ばず率直に申し上げますと、なんとも情緒をぐちゃぐちゃにされました。
「……ゲーム、すごい!」
絵本派だった子ども時代から20年近く経って、心からそう思う日が来るとは。新しい物語のたのしみ方を教えてくれたこのゲームにとっても感謝しています。

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小さな選択の積み重ねがやがて未来を大きく変える

そんなゲームで番組を作ることができると決まった時はとってもうれしく思いました。
……とってもうれしく思ったのですが、いざこのゲームに宿る<ゲームゲノム>を解き明かそうとゲーム画面の収録を始めたら、目の前に立ちはだかる高い高い壁がありました。そう。
「……物語の分岐、めっちゃある。セーブデータ、何個要るん?」。
番組でもご紹介しましたが、本作は何気ない会話1つをとってもプレイヤーの選択によって返答が変わったり、そのときどきの選択の結果が途中の展開をがらりと変えるシステムが大きな肝です。つまり、番組のVTRを制作するためには、全ての選択肢とその結果、展開を決める選択はどれだったのかなどを整理・網羅し、ロケ(画面収録)しなければいけません。いちプレイヤーとしてプレイしていた時は様々な選択肢を遊べるそのよろこびを享受していたのですが、いざ収録のために周回を始めて改めて気づく分岐の多様さ・細かさは気が遠くなるほどでした。

一方で、一度のプレイでは気付くことができなかったこのゲームの奥深さに気づいていく過程は、興奮の嵐でもありました。ここまで作り込まれているのか!と。最終的に、ディレクター2人がかり、PS4 2台、3つまで作れるセーブデータをフルに使って収録を終えました。いったい我々は何回の選択をしたのでしょうか。

やりこめばやりこむほど、こだわりが感じられ、深みと魅力にはまっていってしまうこの作品。制作を進める中で、当然のごとく、こんなゲームを作り上げたのはいったいどんな人なんだろう?という考えが芽生えました。
「……海外在住のクリエイターだからスタジオ出演は厳しいかもしれないが、絶対にお話を伺いたい…………」。
 
そして実現したのが、カナダ・モントリオールのスタジオにいらっしゃった脚本家のジャン=リュック・カノ さんとクリエイティブ・ディレクターのミシェル・コッホさんへのインタビューでした。

画像 インタビューを受ける二人

ジャン=リュックさん、ミシェルさんをはじめ『ライフ イズ ストレンジ』『ライフ イズ ストレンジ 2』の制作チームのメンバーの多くは日本で作られたゲームや日本のカルチャーの大ファン(!)ということもあり、出演オファーに快く応じてくださいました。ミシェルさんが「私達は日本の文化やビデオゲーム、アニメと共に育ってきたので、こうしてあなた方(ディレクター)と日本のファンの方々にお話しできて、感動です」と言ってくださって始まったインタビューは、非常に和やかで密度の高いものとなりました。お二人は「日本のカルチャーに関して話し出すと止まらないのですが」と笑って前置きをしてくださってから、日本のゲームについての思い出を語ってくださいました。

「はじめて持ったゲーム機はファミコン。スーパーファミコンも持っていましたよ」
「『ファイナルファンタジーVI』と『クロノ・トリガー』をきっかけに色々なゲームをしました。その頃から、ストーリー性のあるゲームを手掛けたいと思い始めた気がします」

この番組のディレクターとして、日本のゲームに詰まっている<ゲームゲノム>を受け取ったお二人が『ライフ イズ ストレンジ』『ライフ イズ ストレンジ 2』のような名作を生みだし、日本でもそのゲームを多くの人が楽しんでいること、そして今回こうして番組で取り上げさせていただけたことがとってもとってもうれしかったです。

画像 クリエイティブ・ディレクター ミシェル・コッホ
<ミシェルさんが語る<選択>>

そして、そんなお二人が『ライフ イズ ストレンジ』『ライフ イズ ストレンジ 2』について語ってくださった言葉の数々。それはどれも滋味深く示唆に富んだものばかりで、「ぜんぶ放送したい……、できない」と震えながら編集していくこととなりました。そんなわけで番組では一部のみのご紹介にとどまってしまったので、ここに、中でも特に涙を呑んで削ったミシェルさんの言葉を掲載します(番組ではこの真ん中の部分だけ放送しました)。

我々が生きる社会は、様々なことを選択できる贅沢ぜいたくに恵まれています。もちろん皆がそうとは限りませんし、だからこそ恵まれているのですが……。自分で選択できる環境に恵まれたら、何よりの強みは、たくさんの可能性が生まれることです。
われわれがこのゲームを通して感じてほしいと願うのは……、もちろん悪い選択もあるかもしれませんが、それでも人生にはまだ他の可能性があるし、自分が人間としてどう生きていきたいのか、他とどう接していきたいのかを決める力があります。ゲームはそれを描こうとしています。様々な方法や道のりがあるけど、最後には満足するものにつながるという願いを込めて。
(クリエイティブ・プロデューサー ミシェル・コッホさん)

「選択できる贅沢」。「選択できるからこそ生まれる可能性」。
番組内では、ミシェルさんが言葉にしてくださったこのテーマまでは描き切れなかったかもしれません。

ミシェルさんの言葉を聞いてから改めてプレイ体験を振り返ると、このゲームでは<大量の選択>を自由に行えるからこそ、「人生には選べないこともある」というある種の絶望も同時に突き付けられていたのだということを感じました(『ライフ イズ ストレンジ』では、主人公・マックスが時を巻き戻せる力を持っていたとしてもなお選べない未来があることに象徴されていたのかなと、今となっては思います)。そして、その絶望をゲームが意図的に内包しているからこそ、「選択できるありがたさ」「選択できるからこそ生まれる可能性」という希望が輝き、わたしはこのゲームに大きく心を揺さぶられたのだと思います。
 
Life is strange.
人生は奇妙で、不思議なものだ。

人生には希望も絶望もある、そしてその中でなんとか生きていかなければならない。

言葉にしてしまえば陳腐にも思える、でもたしかに心を照らしてくれる灯のようなメッセージをこのゲームから受け取り、明日からも「最後には満足するものにつながるように」自分に与えられる選択を続けていこうと思います。

 末筆ながら、「ゲームゲノム」のnoteに辿り着いて読むという選択をしてくださった方、番組を見るという選択をしてくださった方、制作・取材に協力するという選択をしてくださったすべての方に改めて、

□ 御礼を申し上げる    〇 御礼を申し上げない

……さて、こればかりは選択の余地はありません。
厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

ディレクター 立野 真央



主に「ライフ イズ ストレンジ 2」を担当しました、ディレクターの相原と申します。このたびは番組をご覧いただき、ありがとうございました!番組でご紹介しきれなかったこのゲームの奥深い魅力について、改めてお話しさせてください。

簡単に自己紹介しますと…私は、岐阜局に所属している、入局4年目の者です。ゲーム遍歴だと、幼いころからリズムゲームを中心に遊んできました。なので、何十時間もかけてプレイする作品には、ほとんど触れたことがなく、正直ゲームは遊んでいるその数分が楽しいもの、“息抜き”みたいなもの、くらいに思っていました。ですが…!「ライフイズストレンジ」をプレイして、その深みと重みを突き付けられて、甘ちょろい考えをしていた私もここにきて、ゲームに対する考えが大きく変わることとなりました…。

この作品は、シアトルに住むメキシコ系移民の父親を持つ兄弟、ショーンとダニエルの物語。2人が、ある悲劇的な事件をきっかけに、メキシコを目指して逃避行するお話です。プレイヤーは兄・ショーンを操作して、物語の中で沢山の「選択」を積み重ねていきます。

…と、ザックリ言えばそうですが、本当は「逃避行」なんて3文字では到底言い切れないほどの濃密なストーリーが魅力です。2人は、旅の中で様々な生き方の人と出会い、数々の困難や理不尽と向き合いながら、成長していきます。家族という、近くて・特別な・だからこそ難しい存在を描く、温かくて少し切ない物語なんです。

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ショーン(左)とダニエル(右) 
番組の制作期間ずっと2人のことを考えていたので、愛着が湧きまくり…今、謎の寂しさがあります。

番組内では紹介できませんでしたが、このゲームを奥深いものにしている要素の1つに「社会問題をリアルに描写している」点があります。人種差別・銃規制・カルト宗教などなど…現実における様々な社会問題が物語に巧みに織り込まれています。

ゲームは“娯楽”とか“現実逃避”という考え方もあると思いますが、このゲームはその真逆をいくんですよね。とにかく“現実ありのまま”の世界をプレイするわけです。この、現実の社会問題をリアルに描くストーリーと、その中で“自分で選択する”というゲームシステムで、プレイヤーはとんでもない没入感を味わうことになります。

例えば印象的なのがこのシーン…↓

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ショーンは旅の疲れにより、誰かの私有地で知らぬ間に眠ってしまいます。それを、移民への差別感情を持つ男性に見つかってしまった場面。ショーンが「悪気はなかった」と伝えても信じてもらえず、殴られ、蹴られ、挙句こんな(上の画像のような)差別的なことを言われるんです。メキシコ系移民の父を持つショーンにスペイン語を話させて、からかうつもりなんですね。

ただ、差別発言にどう対応するのかも選択しなくてはいけないのが、このゲームです。↓

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どちらも苦しい選択

一方的に差別感情をぶつけられる、あまりの理不尽…。この時、ショーンを通り越えてプレイヤーである私自身が悲しくて、悔しくて、苦しくなっていました。「いや、これゲームだから…」なんて冷めた気持ちはありません。その結果、簡単に選べなくなるんです。私自身の心が揺さぶられているので、「悔しい…悲しい…じゃあ、私は、どうしよう?」と“ショーンとして”ではなく、“私として”選択に答えようと悩むようになっていくんですね。

私が特に悩み、苦しんだ選択がこのシーンの最後にあります。散々差別的なことを言われ、暴力を振るわれた後、男性から「なんか歌え」と言われる場面。スペイン語で歌を歌えば解放してやると言われるんです。

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難しい選択でした

皆様なら、どうしますか?私の心は、「差別への抵抗の気持ち」と「もう殴られたくない。早くこの場を去りたい気持ち」がぐちゃぐちゃに混ざっていました。すごく悩んだ結果、後者の気持ちを優先して「歌う」を選んでしまったんです。そして、1分近くショーンが泣きながら、そして男性にゲラゲラ笑われながら、スペイン語でキラキラ星を歌う様子を見ることになりました。

この、“プレイヤーを、簡単には選べない選択に直面させて悩ませる仕掛け”について、開発者のお二人がインタビューでお話ししてくださいました。

画像 自分の選択が招いたことだから 満足いかなくても受け入れるしかない
ミシェル・コッホさん(左) ジャン=リュック・カノさん(右)

ジャン=リュック・カノさん
時に、我々の社会は真っ二つに分かれます。「黒か白か」「反対か賛成か」で、“微妙”な部分がなくなってしまう。でも我々の人生はむしろ微妙なことしかありません。なので、プレイヤーが「もう嫌になる!」くらい悩む状況を通して、「イヤ」か「うれしい」という極端な感情で済まないものもある事を表したかったのです。

ミシェル・コッホさん
我々のゲームでは、プレイヤーを、社会が言う「正しい」「間違い」の常識から外れて考えなくてはいけない状況に置きます。シチュエーションだけを考え、自分がその立場だったらどうするのか、ダニエルのためには、自分のためには、友達のためには…ちゃんとした根拠もなく権力を持つ者に対してはどう応じるか…と考えさせます。

ジャン=リュック・カノさん
説教じみたものにしたいわけではありませんが、プレイヤーをキャラクターの立場に置き、悩ましい選択に直面させることで、これまでの判断や信念が覆されるかもしれません。
この世界で、自分が何に従うかを考えないまま、ただ服従することほど最悪なことはないと思います。時に自分が確信していたものや信念を問いかけるのは、とても良いことだと思います。

…そりゃプレイヤーは悩むし、苦しいですよね。
この世には白黒つけられないものがあるのに、自分は深く考えず、周りに流されて白黒つけてしまっていないか…選択を通して自分を見つめ直すことになるわけです。このお話を聞いて、自分の中の価値観や考えの緩さを自覚させられました。

私がこのゲームを初めてプレイし終えて、率直に思ったのは「これは、人生のバイブルだ…!」です。悲しいわけでもなく涙があふれ、何か大切な学びを得たような…自分が少し成長したような不思議な気持ちでした。そして、自分の生き方に自信を持てなくなった時は、このゲームに戻ってこよう。きっと、その時々で自分が失っている“大切な何か”を教えてくれる…!そんな気がしたんです。この“大切な何か”というのは、言葉で表現するのは難しいですが、私が思うところでは、 “生きるためのヒント”に近い気がしています。

私が受け取った、そのヒントの1つが「悩める自分を受け止めよう」というものです。

このゲームは番組でもご紹介したように、全編通した選択の積み重ね次第で、ショーンとダニエルの逃避行の結末も、数年後の2人の生き方も、変わります。これこそ、本作最大の面白くて大事な仕掛けなのですが…これ、「結末が色々あって面白い!」という単純なものではないんです。なぜなら、数十時間かけてプレイしてきたその全ての積み重ねの結果を、最後の最後!一気に受け止めなきゃならないのですから…。プレイヤーの心は、ここでまたかき乱されちゃうわけです。

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私も、もちろん、かき乱されたプレイヤーの一人で、プレイし終わった直後、謎のショックでモヤモヤし続けました。というのも、ゲーム内最後の選択を終えて、2人の数年後を描いたエンドムービーを見たとき、自分の想像と全く違っていたからです。なんというか…恥ずかしながら、私は無意識のうちに「どちらかというと誠実に“正しい”選択をしてきたから、ある程度ハッピーなエンドになるはず…」と思ってプレイしていたんです。つまり自分の中で正解のようなものを決めて、その「正解」を選んできた自信があったという。

でも実際には、想像していた“ある程度ハッピーなエンド”とは全く違う…ハッピーエンドともバッドエンドとも言えないエンディングだったのです。エンディングムービーを見ながら、「え…このエンディングで、良かったのかな…?誰か…教えて…」と、不安でいっぱいになりました。やっぱり、リズムゲームばかりやってきたから?でしょうか…自分のプレイに対しての評価を求めてしまうんですよね。「選択、大成功!」なのか「選択、大失敗…」なのか知りたくなってしまう。実際、「クリア!」とか「ゲームオーバー」とか、わかりやすい評価をくれるゲームは多くあります。「クリア!」と言ってもらえると、うれしくて、達成感もあるし、自信がつきます。胸を張って次に進むことができて気持ちいいわけです。

画像 脚本家ジャン=リュック・カノが語る

でも、このゲームはそれがありません。エンディングに“良い”も“悪い”もないのですから。そんなことも知らなかった私は、1人部屋で悶々もんもんとし続けましたが、このやり場のない気持ちと数時間格闘した後、「この結果は、受け止めるしかないんだな…」と、眠りにつきました。

ただ!ネガティブな暗~い気持ちで終わるわけじゃないのが、このゲームの好きなところです。モヤモヤを乗り越えたことで、次の日起きたら、自分がちょっと強くなった気がしたんです。笑 結果、少しだけ前を向くことができました。

そして、番組を制作し終えた今は、「ライフ イズ ストレンジ 2」からなんだか自分を包み込んでくれるような温かさを感じています。なぜなら、最初から最後までプレイヤーが「悩む」ことをとても大事にしているように感じられるからです。「悩んでいいんだよ」と声をかけてくれているような感覚があります。

ゲームの中で、プレイヤーは沢山悩んで選択し、その選択の結果にまた悩む…そして散々悩んだからこそ、最後にはその結果をちゃんと受け止められるんだと思うのです。(悩んでいる時は大概苦しいですけれど…)こう考えると、悩んでなかなか選択できない、前に進めない自分を少し肯定できるような、背中を押してくれているような気もします。

それに…「結果は受け止めるしかない」というと少し諦めのようなニュアンスも含まれているように感じるかもしれませんが、選択の先には、ちゃんとまた別の選択が待っている事も教えてくれます。

まさに、このゲームのキャッチコピー
“ひとつの選択だけで 人生は決まらないから”  というわけです。
(はあ…なんって素敵すてきなキャッチコピーでしょうか…!)
やっぱり「自分が選択した結果は、受け止めるしかない」と言っても、すぐ受け止められないことだってありますよね。頭ではわかっていても、心は追いつかなくてクヨクヨしてしまう。そんな時、この言葉が少し救いになってくれる気がします。

(あと…クヨクヨして前を向けないときは、ブロディのこの言葉も救いになります↓)

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初めてプレイした時あまりにも心に響いて、スマホでテレビ画面の写真を撮りました

改めて私は、「ライフイズストレンジ2」はまさに“正解のない”ゲームだと思っています。エンディングに正解がないのはもちろん、ゲームを終えた時、プレイヤーが何を受け取るのかにも、正解も不正解もないと思うのです。どんな選択をするかで、ストーリーも、キャラクターの返答も、物語の結末も変わるわけですから、各プレイヤーで受け取ったものが違っていて当然ですよね。きっと、何を受け取るかは、「その時プレイヤーが何を必要としているか」次第なのではないでしょうか。プレイヤーが、その時無意識に欲しているヒントをくれるような、そんな気がします。このゲームを「人生のバイブルだ」と感じた所以ゆえんかもしれないです。

最後に、1人のプレイヤーとしてこんなにも素敵な作品に出会えたこと、そして、ディレクターとしてこれらの作品で番組を制作させていただけたことは、この上ない喜びです。番組の制作にご協力いただいた出演者の皆様、メーカーの皆様、開発者の皆様、そして視聴者の皆様、本当にありがとうございました。御礼申し上げます。また、この拙い文章を最後まで読んでくださった皆様も、ありがとうございました!

「ライフ イズ ストレンジ」「ライフ イズ ストレンジ 2」の奥深さ、そして、明日を前向きに生きられるように背中を押してくれるような…作品が持つ温かさが伝わっていればうれしいです。

ディレクター 相原 葉子

「ゲームゲノム」第7回は2022年11月23日23時28分まで「NHKプラス」で見逃し配信をしています。

画像 NHKプラス 見逃し配信の案内
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