“ムダ毛”に悩んだ思春期の私へ
はじめまして。私、岩垂は、NHK甲府放送局で働く3年目のディレクター。
ふだんは”裏方“としてニュース番組やドキュメンタリーなどを制作しているが、先日、とある番組に”当事者“として出演した。
そう、「ムダ毛に悩んだ人」として、自分自身のエピソードをテレビで話したのだ。
「不可避研究中」という番組では、世の中の誰もが避けて通れない「不可避」な問題に、ディレクターたちが自らの経験を通して切り込み、フラットに考えてきた。
今回のテーマは
外見による偏見「ルッキズム」。
この中で、「体型」や「ムダ毛処理」などをテーマに放送することになったのだ。そして私は「ムダ毛」担当に。
▼体型についてのディレクターの告白はこちら▼
周りよりも毛穴が多く、剛毛に生まれついたのがずっとコンプレックスだった私。
冗談抜きで、思春期の三大悩みは「人間関係、勉強、毛」だった。
水泳の授業となれば真っ先に思いつくのは「毛をどうするか?」
夏服に衣替えとなれば「じゃあ毛はどうするのか?」
友達と旅行でお風呂に入るとなれば「毛はどうするのか?」
とにかく何をするにも真っ先に「毛はどうするのか?」という思考回路に陥っていた思春期。
でも毛について誰かに相談するなんて、恥ずかしくてできなかった。
そんな私が、ともすれば「恥ずかしい」毛との闘いの日々を、なぜテレビで赤裸々に語ろうと思ったのか。
そして、この企画の放送を終えた今、なぜ心が軽くなったと感じているのか。
つらつらと書いてみたいと思う。
これを見て、いま、“ムダ毛”で悩んでいるあなたの心が、少しでも軽くなりますように。
「たかが毛?」否、毛は私の人生を支配していた
“ムダ毛”を意識した瞬間、覚えているだろうか?
私ははっきりと覚えている。きっかけは、小学校5年生の時に叔母から言われたひと言。
今思えば、悪意があったわけではなく、私のためを思って言ってくれたのだと思う。しかし、この日を境に全身のあらゆるところに“ムダ毛”を発見するようになってしまった。小学校低学年のころは何も気にせずに半袖半ズボンで楽しく遊べたのに・・・。
「たかが毛でしょ?」と思う人もいるだろうが、私にとってこれは人生をかけた闘いになっていた。
人に話すと何かが変わる?
小学生、中学生、高校生の私は毛に悩みながらも、誰にも相談をすることができず、1人で抱え込みがちだった。
特に、脇毛。
脇毛が生えてきたこと自体が恥ずかしい上に、そっても抜いてもさらに強くなって生えてくるように感じ、どうしようもなかった。
(ちなみに皮膚科医に取材すると、長期間ムダ毛の処理をすると毛が太くなるのは迷信のようなもので、根拠はないそう)
大学生になるとアルバイトでお金に余裕がでてきたため、脱毛サロンに手をだすようになる。
脱毛広告があふれる中、どのサロンがよいのか考える過程で、自然と仲の良い友達に毛について相談するようになっていた。
そこで初めて、自分と同じように毛に悩んできた女性がこんなにいたんだ、自分だけじゃないんだということを知り、ほっとしたのを覚えている。
その後、なぜか私はどの脱毛サロンのコスパがいいのか探すことにハマり、数々の脱毛サロンの体験に行き、多くの友人にその知識をひけらかす、脱毛サロンの手先のようになっていた(笑)。
今思えば、そうやって自分が悩んできた毛についてみんなと話すことが、心を安定させる役割を果たしていたのかもしれない…。その闘いの痕跡、脱毛にかけたお金と時間を計算してみた。
まずお金は、総額およそ61万円。
そのうちのほとんどを学生時代にバイト代でまかなったのだから怖い。
内訳はというと・・・
時間はもっとすごい。およそ818時間かけた。
これは時速60kmで走った場合、地球を一周できる時間だ。
内訳はというと、
そんな脱毛サロンの手先だった私が、なぜ「女性はツルスベでないといけないという価値観」に疑問をもつようになったのか。
それは、当時付き合っていた彼氏からの決定的ひと言だったと思う。
ここまで努力しているのに、少しでも生えていただけで「処理を怠っている女」となってしまうのか。
どれだけ私が悩んできたか知らないくせに!
こうして毛との闘いに心底疲れた私は、なぜ女性でいる限りツルスベを目指し続けないといけないのかと疑問をもつようになった。
そして、この隠された女性たちの毛との闘いをテレビで描くことで、(その全貌を知らないであろう男性に知ってもらい、)社会の「脱毛しろしろ圧力」が少しでも軽くなればいいと思い至ったのだ。
私の人生を支配していたのは・・・
なぜ日本では「女性はツルスベでないといけない」という意識がこれほどまでに浸透しているのか?
その答えを、ムダ毛をとりまく歴史を研究している、奈良女子大学大学院修士2年 河野夏生さんが教えてくれた。
河野さんによると、眉毛とまつげと髪の毛以外は全部ムダ毛というような意識が形成され始めたのは、近代からだそう。
洋装化によって肌の露出範囲が広がり、体毛の見苦しさが強調されるような婦人雑誌や広告が現れ、少しずつ人々の意識の中に「女性はツルスベこそが美しい」という意識が植え付けられていった。
現代になっても、日本には脱毛広告があふれている。本当の意味で私の人生を支配していたのは、毛ではなく、「女性は無毛のツルスベ肌であるべし」という社会の目、社会の圧力だったのかもしれない。
それにしても、「自分がツルスベ肌になりたいから脱毛に命を賭けている。自分のためだからしょうがないんだ」と本気で私に思わせてきた社会の圧力って、本当に怖いというか、すごい。
大切な10代、20代の時間とお金を脱毛のために費やしてきたけれど、実は心からの自分の意思ではなかった、なんて、少し悲しい。
次の世代の女の子たちに同じような思いをさせないために、私たちはどうすればいいのだろうか。
社会の圧力から解放されるには
河野さんと話すうち、ふと思い出したことがあった。
実は今年の夏、コンプレックスであるはずの脇毛(脱毛サロン通いの影響でだいぶ薄くはなってきているが…)を一週間ほど、試しに伸ばしてみたことがあったのだ。
なぜ女性だけがツルスベの肌でないといけないのか。考えすぎたあげく、そんな圧力になんて負けずに生やしてやるという反骨心がでてきたのかもしれない。
しかし結局、いざタンクトップを着ようとなった時に、「他人から汚いと思われるかも」という恐怖が勝り、その足で脱毛サロンに向かい、脇毛を全部そってしまった。
あったこともない誰かの目を気にしてしまうなんて・・・。河野さんにこのことを相談すると、こんな言葉が返ってきた。
河野さんの言葉に、はっとさせられた。
社会からの圧力に負けないために、今度は絶対にそってなんかやらないぞという私の動機は、結局社会の目を気にしているだけだったからだ。
だから、苦しいままだった。
「全部自分で選択していくことができるということを思っていればいい」
この言葉は、息苦しさから解放されるためのキーワードになりそうだ。
自分の基準で「選択」するために
とはいえ、つい最近まで「社会のこうあるべき」にとらわれまくっていた私。本当に全部自分の意志で選択していくなんて、できるのだろうか?
そのヒントをもらうため、アーティストのあっこゴリラさんに聞きに行った。
あっこゴリラさんは「エビバディBO」という歌の中で、「脇毛を生やしたいなら生やしてもいいし、そるのも自由」と歌っており、そったら負けだと思っていた私よりも一歩先を進んでいる方のようだ。
そんなあっこゴリラさんなら、社会のこうあるべきにとらわれないためのアドバイスをくれるに違いない。
誰かに見られているかもしれないからこうする、のではなくて、自分の基準で選択できるようになれたら、もっと生きやすくなるのだろう。
そしてそのために、自分の「好き」を拾っていく作業を積み重ねて、自分だけの聖域をつくっていくこと!
まだまだその領域まで達していない私だが、今回、1度たちどまってなぜ自分は脱毛をするのか考えたことで、脅迫的に脱毛に向かっていた私から解放されて、少しだけ自由になれた気がする。
番組放送後、ある友人から
とメッセージがきた。
「なぜ女性はツルスベでならないといけないのか?」という、ある意味、憤りも含んだ問いから始まったこの取材。
社会の圧力にやらされていたのかもしれないということに気づき、そこから抜け出すためにどうすればいいのかというところまで考え、発信することができてよかったと、この友人の言葉を聞いて思った。
視聴者の皆さんにも、そんなメッセージが届いていたらうれしいです。
「不可避研究中」岩垂D
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