【放送部の思い出2】進路に悩む方が普通だろう
行きたい高校が無かった
中学三年生の夏。空気はもう受験シーズンで、先生たちの「夢に向かって突き進め!」的な意識高い雑談比率の上昇を肌で感じながら、行きたい高校が無いことに悩んでいた。
けれども今思うと、悩むのは当然ではないか、と思う。
学生というのは常日頃、国語算数理科社会英語体育その他を習って、部活をやって、帰ってゲームとかテレビ見て風呂入って寝るのだ。
そんな視野が狭くなりそうな環境の中で将来のことを見据えることができるやつの方がどうかしてる。
親の職業なんかを見て「自分もこんな仕事したい」→「この職業を目指せる学校に行こう!」とか思える恵まれた人もいるかもしれない。
しかし残念ながら私の両親は学校の先生。全く参考にならなかった。
だって自分の通っている学校にもたくさん先生がいるのだから。
そんな中で生きてたら「学校の先生になりたいな」くらいしか将来の夢は生まれないだろう。
ちなみに私の尊敬する先生はGTOという漫画の鬼塚英吉先生。模範的な先生とはかけ離れた存在だ。私は先生には向いてないんだろうな。
親が先生というのは時に残酷で、学校でも家でも先生と顔を合わせることになる。だから毎日進路のことで詰め寄られた。
「どの学校に行きたいの?」
「学費なんて気にするな。行きたい高校に行け!」
はぁ〜(クソデカため息)
そんなのあったらとっくに伝えとるわ。
そんなことを思いながら、学校の放送室で「下校の時間です。生徒は速やかに下校してください。」とマイクに向かって喋った。
放送委員の仕事を終えて部屋の外に出た。
委員会のせいで下校が遅くなった・・・学校ってくだらねえなあ・・・
そう思いながら顔を上げると、目の前には校長先生がいた。
そして開口一番
「アナウンサーになりなさい」
と言われた。
「君のアナウンスは素晴らしい。才能がある。アナウンサーになりなさい。」
「あ・・・ありがとうございます。頑張ります・・・。」
その場はそう答えてそそくさ逃げ出したが・・・。
しかしこの時の校長先生の言葉は大きなターニングポイントであった。
ちなみに大人になった私はアナウンサーを目指さなかった。趣味でナレーター活動をさせてもらっている程度だ。
しかし、NHKが主催する全国大会で、日本一の称号を勝ち取ることになるとは、その時の私には全く想像できないでいた・・・。
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