【放送部の思い出5】夏の全国大会いきなりスタート

最初から甲子園

天井と鏡を見ながらスーハースーハーお口パクパクする日々も無事終わり、「あめんぼあかいなアイウエオ」とか「青は藍より出でて藍より青し」など、演劇する人なんかの間では有名なお決まりの練習もさせてもらえるようになった。

ぬるい長い地獄のような4月を乗り越え、青い木々の茂る5月になった。

私たち1年生は『原稿』を持つことになった。

そう。周りの人からすると意味のわからない、放送部の大会。

その予選で使う自分の原稿だ。

しかもその大会は、1年で1番規模の大きい、NHK全国放送コンクールなのだ。

NHKコンテストのルール

大まかに言えば、私たち選手は、審査員の前で原稿を読み、上手に読めたら勝利という流れ。

ただ意外と奥深いルールがあるので記述させていただく。

まず、2つの部門に分かれる。

テレビ番組やラジオ番組を作り、そのクオリティを競う『番組部門』。

原稿の読みや発声の基礎力、技能を競う『アナウンス部門』。

そして番組部門はさらに映像作品で戦う『ドラマ部門』『ドキュメンタリー部門』、音声で戦う『ラジオドラマ部門』『ラジオドキュメント部門』に別れる。

私たちも、『アナウンス部門』と『朗読部門』の2つに分かれる。

ちなみに、普通の高校では番組部門に参加するのはなかなか厳しい。

より良い映像を撮るためのビデオカメラや、音声を収録するための録音機は、そこらへんの学校の予算ではなかなか出せない。

大抵はアナウンス部門や、電器屋で買った安い録音機でラジオドラマ部門に参加するのがやっとだろう。もう少し予算があるならビデオカメラが買えるか・・・?

それに対し私のいる高校は、いわゆるマンモス校だ。

静岡なんていう地味でダサい地域の学校だが、校舎の大きさや設備は目を見張るものがある。

まず部員が50人くらいいる。放送部の強豪校であるため、男女もオタクも非オタクもたくさん入り混じっていた。

人数が多いせいで恋愛がらみのトラブルも頻繁に起きた。(私も起こした)

録音機は10台くらいあったし、番組編集のためのPC、1TBの大容量サーバーまで設置されており、過去の作品たちがアーカイブされている。

ビデオカメラなんて安っぽいものではなく、テレビ局の人たちが担いでるバズーカ砲みたいなカメラもたくさんあった。

ガンマイクやレフ板など、遊びではなくガチで大会を勝つための武器がそこには揃っていた。

極めつけは部室。

部活動をするなら部室はもちろんあるのだけど、なんと音声収録スタジオまで設置されている。

スタジオがあるということはミキサーもある。デカいやつが。

ドキュメンタリー番組の収録をするときなんかは、ヘッドホンをつけてミキサーの指示を受けて、キュー出しを確認して原稿を読む・・・完全にプロのナレーターと同じことしてる・・・・。

こんな設備のある学校は私たちくらいだったから、地区大会程度であれば、ほぼ確実に突破できる。

でもアナウンス部門は実力勝負

番組部門は機材や設備の都合上勝ちやすい。

だがアナウンス部の私たちにはそこまでアドバンテージが無い。

マイクの前で原稿を読む競技の上では、己の実力のみが頼りなのだから。

しかし、それでも私の学校の勝率はすこぶる良い。

なぜか。

それは練習量がとにかく多いからだ。

どれくらい多いかと言えば、

週7日練習することがちょくちょくあるくらいだ


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