【放送部の思い出6】今思うと苦行だった週7の部活
退部者続出の理由
部活が始まった当初は50人前後の新入部員がいたが、私が高校3年生になる頃には同期はたったの9人になってしまった。40人くらいが早い段階で退部している。
そりゃあ週7で部活動をしていたら誰でも発狂するに決まっている。
ではなぜ私は生き残ることができたかというと、端的に言えば「ぼっちだったから」なのだと思う。
私はいわゆる「コミュ障」というやつで、クラスで友達を作るのが本当に苦手だった。
気楽に話しかけることができるのは激しい部活を共に耐え抜いた仲間のみであり、学年が上がってクラス替えでも起ころうものなら昼休みにも部室に駆け込んでお弁当を食べていた。
この癖が抜けず大学生になってからも学生食堂で食事した回数は片手で数えられるほどしかない。すぐに部室に逃げていた。
だが普通はそんな人間ばかりではない。
勉強のために塾だって行くし、遊びに行ったりデートに行ったりもするし、海外に留学に行くようなビッグでアメリカンな人もいる。
放送部という狭い世界の中でしか生きてないなんて、私は本当に人生を損していたなあと思う。
みんなが普通の青春を謳歌している中、私はひたすら発声練習をしていた。
それなのに実力は全国大会の予選落ち程度だし、3年生で部活を引退したらこれから何をすればいいのかわからず途方にくれてしまった。
(結局残りの学生生活は数少ないヲタク友達と遊戯王をしていた気がする。)
大会ではどうなった?
さて、いきなり一年生で挑まされた大会では何が起きたかというと、
なんと地区大会で準優勝してしまった。
私は当時原稿の読み方なんて1ヶ月程度しか習っていないズブの素人だったのだが、なんか準優勝してしまった。上級生たちをいきなり追い抜いてしまったのだ。
いきなり挑まされた大会で朗読なんてさせられたもんだから、私としてはどう読んでいいかわからない。
「とにかくイイ声を出さないと…」
そう思って私が参考にしたイケボの持ち主は声優の福山潤さん。
コードギアスというアニメの主人公、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアになったつもりで私は朗読したのだ。
そしたら地区で2番目に朗読が上手な男に認定されてしまったのだから驚きである。
そのまま県大会へとコマを進めた私は相変わらずルルーシュ・ヴィ・ブリタニアになったつもりで朗読をした。
県大会でも準優勝してしまった。
これが本当の福山潤優勝か…。
全盛期はここで終わった
その後全国大会では予選で敗退してしまい、NHKホールに立つことはできず、来年の全国に向けてまた練習を積み重ねる日々が始まった。
その頃には私の中から悪い癖(ルルーシュ)は完全に抜け落ち、だいぶナチュラルな読みができるようになった。
周りからも一目置かれ、「朗読部門といえばはるかさん!」と後輩から尊敬の眼差しを向けられたし、彼女もできた。(は?)
次は必ず全国で勝つぞ
そう思って挑んだ2年生の時の全国大会では県大会20位。
無事敗退である。
「週7も部活頑張ったのに?!」
グレた私は軽音部に特攻しボーカルになってライブで歌ってしまい、
「放送部なのに軽音部で活動しちゃだめじゃないか」と顧問に怒られ、夏の全国大会の見学に行くことを禁止されてしまった。
みんなでお泊まりで東京に行ってホテルで遊ぶのすごく楽しみだったのに…
県大会すら勝てない
荒れて軽音部に入ってしまい
ホテルで彼女を他の部員に寝取られ
私は完全に病んでしまい、それを反動にしてさらに部活に打ち込むようになっていった。