批判を真に受けるのは損!心に切ない輝きを残す映画『キャッツ』本当の楽しみ方 -- 映画 『キャッツ(CATS)』 字幕版 レビュー

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「不気味」だの「悪夢」だの「中身がない」だのと酷評が盛り上がっている映画『キャッツ(CATS)』を観てきた。素晴らしかった。俳優たちの外見(全身に猫の特殊メイクをしている)が受け入れられないというのはまあ分からなくもないが、実際はそれよりも遥かに素晴らしさが勝っていた。

主演フランチェスカ・ヘイワードの心洗われる演技

特に主演のフランチェスカ・ヘイワード。表情、演技、ダンス、歌の全てに、子猫ヴィクトリアのピュアな素直さが表れていて、心打たれた。さすが英ロイヤルバレエ団のプリンシパルダンサー。歌は今回が初挑戦らしいが、この映画の成功はヘイワードの(演技やダンスもさることながら)あの透き通った、心が洗われるような歌声のおかげが大きいと思う。

というのは、ヘイワード演じる子猫ヴィクトリアが歌う「Beautiful Ghosts」はオリジナルのミュージカル『キャッツ』には存在しない。『キャッツ』の作曲家アンドリュー・ロイド・ウェーバーが今回の映画版のためにテイラー・スウィフト(作詞)の協力のもと書き下ろし、新たに付け加えたシーンなのだ。

名曲「メモリー」と、テイラー・スウィフト作詞の新曲「Beautiful Ghosts」

ロンドン市街の一画に暮らす猫たち「ジュリクル・キャッツ」は1年に1度「ジュリクル・チョイス」を行う。そこで選ばれたものは天上界へ行き新しい命を手に入れることができる。天上界へ行くのにふさわしいのは誰か、長老猫が見守る中、1匹ずつ候補の猫たちが紹介される。

というのが『キャッツ』の大まかな内容で、名曲「メモリー」を歌う落ちぶれ猫のグリザベラもこの中で紹介される。「Beautiful Ghosts」はそのグリザベラが1回目に「メモリー」を歌い、自身の過去の栄光と現在の落ちぶれを嘆くのを受けて歌われる。今は誰からも疎まれ、場末の通りを彷徨っているというグリザベラに、ヴィクトリアは「私に付いてくる?」と声をかける。そしてこれまで自身については語らず、次々と現れるジュリクル・キャッツに子猫らしい興味で付いていくだけだったヴィクトリアの心の内が初めて歌われる(以下筆者による試訳):

ただ、誰かに求められたかった。
[...]
生まれた時から何もない私。
少なくともあなたにはある。
しがみつける過去が。
[...]
メモリー(思い出)は遠く昔に消えてしまったかも知れない。
けど美しいゴースト(幻影)は残る。

メモリーが消えてもゴーストは残るというのはどういうことだろうか?メモリーは「記憶」とか「思い出」といった、頭で覚えている事を指す。対してゴーストは「幽霊」とか「幻」「影」「幻影」といった、存在がより曖昧なものを指す。過去の経験が、たとえその記憶が自分の中でも他人の中でもかすれてしまうほど遠いものになっても、「何か」は残るということだろう。

天才作家アンドリュー・ロイド・ウェーバーの挑戦

アンドリュー・ロイド・ウェーバーは感傷的表現の天才である。オリジナルのミュージカル『キャッツ』においてはその感傷の頂点は過去の輝きを失ったグリザベラの哀愁にあった。今回の映画版では、何も持たないヴィクトリアの存在でその思考をさらに進めている。「落ちぶれる」という考えの前提には、過去の栄光が現在に悲しみをもたらすという考えがある。それに対し、過去の経験は美しい宝物であり、それを持っているだけで幸せなのではないか、と視点を転換し考えを深めている。だから、ミュージカル版では落ちぶれたグリザベラの救済は、最後に「ジュリクル・チョイス」で選ばれ、天上界へ行くのを待たなければならなかったが、映画版では子猫ヴィクトリアの天使のような純心と歌声こそが救済だと感じる。そして救われるのはグリザベラだけでない。一緒にヴィクトリアの歌を聞き心洗われた我々観客にも新しい見方・新しい命が与えられる。ジュリクル・チョイスはグリザベラにとっても観客にとっても終わりではない、新たな門出なのだ。

完成された人気作品に後から新しく何かを付け加えるというのはとても難しい。ウェーバーは2010年に自身最大のヒット作『オペラ座の怪人』の続編『ラブ・ネバー・ダイズ』を発表して大コケしている。私も観たがどうしようもない駄作で、このままでは数々のヒット作を生み出してきたウェーバーが晩節を汚したと言われても仕方がないほどだった。(とは言え酷かったのは脚本・歌詞で、曲はそんなに酷くはなかったから、全ての謗りを作曲家ウェーバーに向けるのは気の毒なのだが。)そんな経緯を考えると今回また自身の過去作に新曲を加えるのは72歳のウェーバーにとって作家生命をかけた挑戦だったのかも知れない。その中で「Beautiful Ghosts」を生み出し、見事に枯れることのない才能を見せつけた。まさにイギリス最大のミュージカル作家の底力を見た。

溢れる魅力が盛りだくさん

子猫ヴィクトリアとその歌「Beautiful Ghosts」の他にも、長老猫(デュートロノミー)役のジュディ・デンチの演技はさすがだった。シェイクスピア劇の経験が豊富なジュディ・デンチがジュリクル・キャッツたちに囲まれて歩く姿はさながらイギリス女王のような威厳で、ヴィクトリアやグリザベラを受け入れる場面では、仕草や表情で表現された懐の深さにありがたさを感じるほどだった。

他にもぐうたら猫のジェニーエニードッツと好物のネズミ&ゴキブリたちのショーや、ロンドンの家々で盗みを働く猫マンゴージェリーとランプルティーザーのコンビなど、魅力が盛り沢山でとても全ては語りきれない。ぜひ映画館に見に行って欲しい。ほとんど大喜利状態で盛り上がる酷評に足を運ぶのを躊躇わないで欲しい。目を曇らせないで欲しい。この映画を観た経験が直接的にも間接的にも心の宝物となり、たとえ遠い将来その記憶がかすれてしまっても、美しいゴーストのようにキラキラとした輝きが残ると思う。

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