アントニオ猪木と私

 私の基礎は、梶原一騎とアントニオ猪木とで作られました。
 「巨人の星」や「あしたのジョー」からは、行きすぎた根性や無理な修行に憧れるようになりました。今でもつい「明日のためのその1」「真っ白になった」「花形満のような赤いスポーツカー」「左門豊作のようにきょうだいが多い」というような梶原キーワードを口にしてしまいます。
 アントニオ猪木からは「闘魂」を伝授。私がプロレスをテレビで見出した頃の猪木は、試合が終わってから「ダー」と手を挙げて雄叫びはあげていても、まだ「3、2、1」のカウントダウンはついていませんでした。社会人になって、私は東京近郊の新日本プロレスの全試合を見にいくようになりました。もちろんメインはいつもアントニオ猪木です。慣れたお客さんがその最後の「ダー」を一緒に言うようになって、いつしか「3、2、1」の掛け声もつくようになった、と言うのが私の記憶です。
 黒パン履いて、手四つからのブリッジの応酬、ねちっこい関節技、美しいドロップキック、卍固めに、コブラツイスト。次々繰り出される地味だけれど多彩な技に、会場は緊張と興奮でした。私個人としては、延髄切りという技と、観客の暴動はあまり好きではなかったけれど。
 その後、UWF以降の一連の格闘技ブーム、プロレス団体多数化、そして猪木の政治家転身などが起きて、私の中での闘魂神話は徐々に崩壊していきました。
 今私の書棚にはもう変色してしまった「あしたのジョー」全20巻と、「猪木寛至自伝」「猪木詩集」があります。最近開くこともなくなった物たちですが、私の奥底にはこのストーリーが存在しています。もう梶原一騎もアントニオ猪木もこの世にはいないけれども。

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