レンタルショップと僕

そういえばTSUTAYAってまだあるの?
そんなことをふと思った。
電車に乗っていると大船藤沢間にポツンとTSUTAYAが見えた。
JR村岡駅?ができるとかできないとか。
そんな地域だ。
このTSUTAYAは昔自転車に乗っているときに前方不注意でタイヤ留めに突っ込んで盛大に鼻血をぶち撒けたところだった。
幼稚園から中学生くらいまでお世話になった。
戦隊モノのビデオやマーティフリードマンのインストのアルバム。
レミオロメンのHORIZONやスピッツの魔法の言葉、春の歌。
聴いたことのないミスチルのサイだか鹿だかの頭骨のジャケット。
ワンピースの新巻。ハチミツとクローバーの10巻。
そして鼻血。
妙に思い出があるところだ。

ここ十数年全くTSUTAYAというものに触れなくなった。
僕の中でTSUTAYAとは誰が使ってるかもわからんTポイントと本屋というワードで完結していた。
近年ではサブスクが僕らの感性や娯楽に大変な貢献をしてくれているおかげでわざわざCDや DVDを借りに行くことがなくなった。
それを寂しく思う人もいるらしい。
故人的には非常に楽になって大助かりだ。
けれどTSUTAYAは僕に多くの音楽を教えてくれた。
coldrainと間違えて借りたColdplay。
なんだかエモいポップに惹かれて借りてしまったクリープハイプ、GOOD ON THE REEL。
結局ほとんど聞くことのなかったGRAPEVINE。
現代のビートルズ?新しいサウンドなら聴きやすいかも?と思って借りたけど全然聴きやすくなかったTHE BAWDIES。
それは街の古びたCDショップにも言える。
凛として時雨の#4は小田原のCDショップで出会った。
音楽番組やラジオもほとんど聴いていなかった自分にとってCDショップとTSUTAYAは音楽の全てだったように思う。

サブスクがそれに代わることはできないのかと問われればそんなことはなく。
今ではすっかりそれ以上の役目を果たしている。
足で現地に行って物色する楽しさや借りちゃったししょうがないから聴くか。とかそんな体験はできなくなったかもしれないが変わらずジャケ買いのようなこともするし、なんなら気軽に聴ける分前より音楽を聴いてるいるかもしれない。
その一方で一回一回のリスニング体験の価値は少し下がってしまっているようにも思える。

一部でレコードが再評価されているようにCDショップなんかもノスタルジー込みで一定の需要を残し生き残るのかもしれない。

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