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デキる母親

私の両親は双方とも聡明だ。
まずは母親の偉大さについて話す。

母親は高卒だし、アホっぽく振りまくけど、
実は頭がいい。
頭がいいからと言って気取らないと言った方がいいだろうか。
私が読めない漢字はほとんど読めてしまうし、苦手な公民の教科書を渡して解説させたら出来てしまうし、『勉強になった』とさえ言い放ってかっこよかった。
だから安心して私は暮らすことが出来たし、経済的に貧乏らしかったけど、子どもにはいい服やいいものを買っていた。
それを知ったのは大人になってからだし、一人暮らしして親の偉大さに気づいた。

聡明ポイントは3つと、エピソードが4つほどある。

母親の聡明ポイント1は、返しが秀逸であることだ。
エピソードが3つある。

1つ目はベジタリアンの話。
いつだったかベジタリアンの話をした時に言われた言葉があった。
小学5,6年生の担任の先生がベジタリアンの話をしていた。

「ベジタリアンの人たちは肉を食べない。なぜなら動物を殺してまで食べるのが可哀想だからと言う。それは悪いことではないし、食べたくなかったら食べなきゃいい。でも、野菜だって野菜自身を殺しているし、それを食べていた虫たちを殺していると思う。弱肉強食で生きていくこの世界には残酷なことをしないといけないのは当然だ」

そういったような話をしていたことを母親に話した。

それを聞いた母親は
「だから言うんでしょ。『いただきます』って。」

はっとさせられた。小学生の私でも納得し、母親がそういった根本をちゃんと分かっている大人なんだということを知った。
正しいことをちゃんと言えるような大人になりたいと思えた。

聡明ポイント2は、口喧嘩がめちゃくちゃ強かった。
2つ目のエピソードは、私が反抗期で母親と口喧嘩した時のことだ。
思春期というのもあって親が自分のことを大切だと思えなかった時期があった。
昔からとてもネガティブで周りからよく呆れられていた。

塾に行きたくなくて駄々を捏ねてた。
学業も上手く行かず、おそらく受験シーズンが間近にあって両親や先生とかに色々言われて、嫌気が差している時だった気がする。
勉強ができない自分も嫌だったし、姉は難関大学に合格して余計に劣等感を感じていた。
その時も勉強しないとなんたらと言われたんだと思う。そう言われて私は

「お母さんの短所と、お父さんの短所で出来ているから、私には何も取り柄がない」

と口走っていた。
母親は静かに

「へぇ〜それでも長所があるからすごいよね」

何も言えなかった。
何を言ってもぐうの音も出ないような返答をされる。
いつも悔しくて泣きじゃくてた。

思春期を拗らせて母親の気を引きたくて「死にたい」と言ったことがある。

「別に死ぬのは勝手だけど、迷惑かけないように死んでね。だから電車で人身事故するのは止めてね。乗車したいみんなに迷惑かかるし、家族が死体を拾わないといけないから。だから飛び降りも止めてね。あとは、海や山で死ぬのも止めてね。遭難されて捜索願出さないといけないし、探すのも大変だから。家で死ぬのも止めてね。部屋が汚れるから。だからと言って他で死ぬのもやめてね」

死ぬ手段と、その後の面倒さを淡々と語って見向きもしなかった。
分かりづらいけど、遠回しに死ぬ手段なんてないし、死ぬのにも迷惑かかることを思い知らされて呆気に取られた。
母親は強い。
何を言われても動じないし、すぐに返せてしまう。
その頭の回転の速さが憎いくらいに悔しかった。

エピソード2は、父親と口喧嘩した時だ。

父親は昔ながらの亭主関白で、母親によく「俺が稼いでんだから」と言い聞かせていた。
専業主婦の母親もそれに対して引け目を感じているのか、それに対しては何も言わなかった。
ある日、両親で喧嘩していた時、
父親が「お前ば馬鹿だな」と言って母親の頭を掠った。そう『叩いた』のではなく『掠った』。
多分、父親も手を出すことに対して躊躇いがあっただろうけど、おそらく手に歯止めが効かないと言った感じだった。
だが、母親はそれでも容赦なく

「今私の頭叩いたね!?今度やったらDVで訴えるんだから!!」

DVを進行させない為に強く言える母親もすごいが、

「私は別に頭が悪くていいの。だって『博士号』を持った旦那を捕まえからね!!」

普通なら悪い自分に対して何かを言うというのはありガチだが、母親はあえて『頭のいい父親』を手にしたということで父親を黙らせる手法を取った。
揚げ足を取るってこういうことなんだな…

あと、これらを書いていて思い出したことは、
エピソード3で、子育てをしている時に泣き止まない子どもの対処法である。

「ほら、もっと泣きな!!隣の人んちまで届かないよ!!もっと大きく!!あれ、泣かないの!?もっともっと大きな声で泣かないと聞こえないよ!!」

最初の方は対抗するが、段々疲れてきて泣き止む。
この幼い頃から母親に対して『悔しさ』を抱いていたようだ。

聡明ポイント3は、母親は人の立場になって考えられる人だし、愛想を振りまくのが上手い。

祖母の話が長くて「よく訊いていられるね」と言ったことがある。
母親は「まぁ色々やって貰っているし、話の1つや2つくらいは聞いてあげないとなぁと思って」
意外と損得勘定で動くタイプだった。

私が感情で動いて嫌なこととかしないと、母親は「もう少し損得勘定で動いた方がいい」と指摘されるくらい気分屋であったから、そんな母親はすごいと思う。

聡明ポイント4
あとは、情報収集のためにPTAとか子ども会にもちゃんと入っていたし、授業参観も来る人が少ない中ずっといたし、ちゃんと意味を持って行動できる人だということを知れた。
私なら面倒な人間関係を省くためにそういった集会とかに参加はしたくないけど、情に流されない母親はすごい。

よく母親のようなデキた人をよく見かける。
行事ごとには参加して、仕事もしっかりして、抜くところはしっかり抜いて、愛想も振りまいて、『つながり』を大切にする人たち。
昭和生まれの人に多い傾向がある。
今は核家族が増えて、配偶者の両親と関わる機会や、親族の集まりなどがあまり無くなったような気がする。少なくとも私の家族は核家族ではなかったが、親族の集まりなどはなかった。
そういった集まりでどう動けばいいのかとか学んで、嫌な人とでも普通に会話を交わしたり出来るのかなぁと思ったりした。
私の母親は本家だったため親族の集まりは自分の家でしていたと言っていたし、その現場に対面したこともあった。みんなよく動いていた。

そういうデキる大人になりたいなぁと思った。
私は結構割り切ってしまうタイプで、友達とかもあまり作ろうとはせず、作れたら作ると言う感じで、それ以外は目的を果たすだけにしてしまう。
だからか人に壁を作りがちだし、気分屋というのもあって、負のオーラを出しやすい。
人間関係は苦手だ。
すんなりと人間関係を構築してしまう母親になりたいとさえ思う。
母親も人間関係は大変だと言う割にはこなしていると思う。

まだ母親のいいところは沢山あるが書ききれないのでひとまずこのくらいにしておく。

母親は尊敬する人の一人であった。

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