見出し画像

【#1 ぼそぼそ_やりごたえから遠く離れて】

泥の中を泳いだような1か月半だった。

なぜだか体調が上がらなくて、4連休に60時間くらい寝たりしていた。パートナーとも言い合いをしたし、なんというか不安定な日々を過ごしていた。

今考えると

・自律神経が弱った(長引いた梅雨、かけっぱなしのエアコン、運動不足)

・栄養バランスの偏り(鉄分、カルシウム不足)

・仕事の激減(6月中旬まではPMをしていた)

・薬の飲み忘れ

・ピルの副作用

あたりが原因かなと思う。カウンセラーさんとも、ずっと「体調が悪い、元気が出ない」と相談していた。これといった解決策は見当たらなかったけれど、梅雨の終わりとともに元気になった。太陽は偉大。海も偉大。

そんなわけで、いろんなことをサボったり休んだり辞めたりした。

辞めたことのうちの一つが「読書をもっと楽しもう」をコンセプトにしているReaJoyの書評ライターだ。

結局3本しか納品できなかったけれど、ライターとしての貴重な経験を積むことができた。サポートしてくださった運営の方には感謝してもしきれない。

(今気づいたけど、『あやうく一生懸命生きるところだった』はエッセイカテゴリで一位になっている・・・!嬉しい。)

本業の方も、30%の力でなんとかやり過ごす日々が続いた。

ーーーーーーーーー✂︎キリトリ✂︎ーーーーーーーーー

なんでnoteを書こうかと思ったかというと、こういうずるずるした自分の記録を、どこかに残したかったし、誰かに見て欲しいと思ったからだ。

なんの成果もない、これを頑張ったと言えることがない6月後半〜7月は、私にとって無駄だったのか?と聞かれると、いやそうではない、と答える。

なんとか生きて、なんとかご飯を作って、なんとか排泄して、なんとか人とコミュニケーションをとって。

ふとした時に全身の力が抜けてしまうけど、なんとか生きた自分に拍手を送りたい。パチパチ👏。

ーーーーーーーーー✂︎キリトリ✂︎ーーーーーーーーー

少しずつ体が楽になってきた頃、朝日新聞社が主体となって運営しているwebメディア「&M」で、こんな記事を見つけた。

相談者は、安定を求めて事務職に転職。納得して選んだ仕事のはずが、どこか物足りなさを感じている。かつてはモノづくりに熱中していたということもあり、「何者でもない自分」に対する不安を吐露している。

回答者であるBase Ball Bear の小出さんは、

元々モノ作りをしていた片桐さんはきっと「やりごたえ」の味を知っているのではないでしょうか(「やりがい」「手応え」よりも「した」ことによる「応え」というニュアンスを強調したくて、「やりごたえ」という造語を作りました)。

と答えている。

やりごたえという表現が、私の心の穴にすぽっと入った。そうかそうか。私が抱えている薄ぼんやりとした焦りや不安もきっと、「やりごたえ」を求める気持ちからきているんだろうなぁ、と納得した。

そして、小出さん自身も「自分が何者でもない」という不安を抱えていたと言い、こう続けている。

でも、年齢を重ねてきて、ある時急に気がついたのですが、自分が誰かにはなれないように、誰かも自分にはなれないんですよね。
そして、誰しもがスペシャルな存在なんです。
だから本当は、「自分を好きになれるかどうか」という問題なんだろうと思っています。
そして、ここでも「やりごたえ」は一定の効果をもたらしてくれるはずです。特にモノ作りには、自分研究のような側面もあります。

取分け仕事において、100%のやりごたえだけを追求するのは難しいと思う。だって他人が関わるから。私がやりごたえを追求した結果は、必ず時も上司やお客さんが求める結果とは一致しない。自己満足と紙一重だ。

けれど、自分が納得のいくものを、納得のいく形で作り上げた時の感動は、計り知れないものがある。

ーーーーーーーーー✂︎キリトリ✂︎ーーーーーーーーー

やりごたえから遠く離れた1か月半。ウォーミングアップも兼ねて、日々のつぶやきと、触れた文章・映像・音楽をこのnoteに記録していきたい。

サポートいただきましたお金は、さらなる笑顔のためのエネルギーチャージに使わせていただきます!ありがとうございます!