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まとめ。人はなぜ、愛するわが子を虐待するのか

人間の進化の矛盾

人間は二足歩行を手に入れたことによって前足が空き、その手を使って道具を作ることができるようになりました。それによって人間は高度な文明を発達させることができました。

しかし、この体の変化によって内臓を支えるために骨盤が発達して大きな籠のような形に変わりました。さらに変化を繰り返し類人猿よりもずっとスリムになった。
 
実はこの進化には大きな矛盾がある。骨盤の真ん中には穴があり、出産の時に赤ん坊はこの穴を通って産道から外に出ます。スリムな人間の骨盤の真ん中の穴の直径は十センチメートル余り。
産まれてくる赤ん坊の頭の直径も十センチメートル。
産道から外へ脱出する所業はまさに神業。
 
人間が難産な理由はここにあります。不幸にして胎児が育ちすぎて骨盤の穴をくぐれなくなったら、今の時代でこそ帝王切開だが、そんなものがなかった時代には、それは母子ともに非業の死をいみする。
キリンやシマウマが数十分で子供を産み落とすのはライオンなどの肉食獣に襲われるリスクを少しでも避けるためです。それがいわば哺乳類の常識であり、陣痛から出産まで、たった一人の子供を産むのに初産では15時間近くもかかるという人間は極めて特殊で異例なのだ。


児童虐待のルーツ

人間の赤ん坊はなぜ泣くのか。未熟だからである。ほかの動物で、赤ん坊がこんなにも泣きわめく動物がいるだろうか。なまじ脳が発達したがために、人間の赤ん坊は未熟なくせに生まれた時点ですでに一定の感情や欲求を持っている。かつて我々の祖先は森の中で暮らしていた。そんな夜の森で赤ん坊が泣けばはるか遠くまで声が響き渡り外敵に自分たちの存在を知らせてしまう。そして赤ん坊は静まり返った夜に限って、赤ん坊は必ずぐずって泣く。それを聞いた母親は焦り必死にあやすが、赤ん坊はどうしても泣き止んでくれない。ついには泣き止まないわが子の口を夢中でふさいでしまう。
ここに児童虐待のルーツがしれる
そして驚くべきことに、ここで述べた人間が抱える生き物としての致命的な欠陥、あるいは哺乳類としての決定的な弱点について、人間自身がわが事なのにほとんど理解していないというか誰も認識していない。

児童虐待の顕在化

人間は太古の昔から、みんなで力を合わせて集団で子供を育ててきた。人間の子供は親だけで育てるには大変な生き物だ。この集団育児こそは、人間が進化の過程で背負った生き物としての致命的なハンディを乗り越え、自然界で力強く生きるために人間が編み出した知恵の結晶である。

しかし、時代とともに共同体は解体して家族の規模も小さくなり、核家族が現れて子育ての中心的役割を親が担うようになる。それでもの初めのころは地域社会に支えられて子育ては成り立っていた。
そのコミュニティーが消滅してしまうと、社会的に行われてきた子育てが各家庭の責任にゆだねられる。

そこでいくつかの問題が発生する。
1、子供の社会性が育ちにくくなる。
2、親の距離が近くなりすぎる。
3、子育てが周囲からの批判や評価にさらされる。
最後に家庭という他人の目の届かない密室空間で悲劇を生む。

子育ては親の責任

地域のコミュニティーが消滅し、地域社会が役割を果たせなくなってすっぽり抜け落ちてしまった現代の子育ては事実上、親だけが責任を負わざるを得ない。よって、地域社会が中心的に担ってきた責任をこれからは親の責任にしましょうと言うのなら、親が責任を果たせるように条件整備をするのが社会の側の責任だ。

まとめ

時代が進むにつれ家族形態が変化し、それによって子育てがより困難になっている。まずは、その事実を確実に知るべき、そしてかつては地域で子育てが行われていたのだから、個人で抱え込まずに協力してくれる人を積極的に探していくことが大切になることがわかる。


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