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レディ・テディ,用意はいい?…のこと。

どうもこんにちは、
平素は《世界の中心でもその他の場所でもとりあえず尾藤イサオ愛を叫ぶ》担当をさせていただいております、ながおかです。


ビ活(≒尾藤イサオ活動)にいそしんでいないときは、地元札幌市を中心にごくほんのりとふわふわっと、小劇場演劇をたしなんだりもいたしております。

そちらの、ふわふわ活動におきまして、昨年末に「偉人」という共通テーマでの一人芝居配信イベントに参加させていただきました。
このとき、
 偉人…尾藤イサオ…いやでも直接本人てどうなの…じゃあマイ偉人にとってのさらに偉人…
という連想ゲームで、エルヴィス・プレスリーをモチーフにした一人芝居をやりましたのです、という件は以前にも書いたんですが、
…で!ですね!
その配信を見てくださった、ガチのエルヴィスファン(!)の方(TNelvisさん)が、その感想を、エルヴィスのファンクラブ会報に投稿してくださったんです!よ!!

あまりにも嬉しかったので、ご本人の了承をいただきました上で、ここに全文を転記させていただきます!
実をいうと、身に余るかんじでおほめいただいている面もありますので、ながおかに関する部分は話半分?に読んでくださいね(微笑)。

以下、そのご投稿の内容です。(文章はTNelvis氏、ですが、タイピングミスなどありましたらながおかのしわざです)


『レディ・テディ、用意はいい?』

「レディ・テディ」は1956年5月9日にルイジアナ州ニューオーリンズで録音され、同年6月に発売されたリトル・リチャードのロックンロールで、ビルボード誌で第44位まで上昇したヒット曲です。

エルヴィスは、1956年9月9日、初めて出演した「エド・サリヴァン・ショー」で「冷たくしないで」「ラヴ・ミー・テンダー」「ハウンド・ドッグ」とともに、「レディ・テディ」も歌いました。

尾藤イサオさんは1956年13歳の時、「ラジオからそれまでまったく聞いたことのない曲が流れてきた。『ハートブレイク・ホテル』だった。リズムとパワーに全身がしびれ」、1960年17歳の時、曲芸の年季奉公が明け、「曲芸は今日でやめます。プレスリーみたいな歌手になります」と師匠に宣言して、歌手の道を目指しました。
その尾藤イサオさんも「レディ・テディ」をカバーしており、LP「ロック、サーフィン、ホット・ロッド」(尾藤イサオ・内田裕也、1964年10月発売)、LP「レッツ・ゴー・モンキー」(尾藤イサオ・内田裕也、1965年12月発売)に収められております。

尾藤さんは私も大好きで、このアルバムは2枚とも持っております。
また、中尾ミエさんとの「ザ・デイサービス・ショー」も二度ほど観に行き、尾藤さんの歌うエルヴィスの「好きにならずにいられない」を3~4メートルの至近距離で聴いております。

さて、ここからが、本題です。
尾藤イサオさんを偉人として崇拝している長岡登美子さんという方が、2021年12月22日に『レディ・テディ、用意はいい?』という一人芝居を持ち時間15分の配信で行いました。
〈好きなひとの好きなひとだから好き!〉
ということで、エルヴィス登場です。

〈最初の情報〉
偉人発 尾藤イサオ経由 エルヴィス・プレスリー行き…一人芝居
『レディ・テディ、用意はいい?』
〈尾藤イサオ(自分にとっての偉人)が歌手になるきっかけになったあのひと〉
キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリー!
双子のお兄ちゃん、ジェシー・ギャロン・プレスリーの目線で語る。

〈配信当日の説明文〉
レディ・テディ、用意はいい?
長岡登美子(大人の事情協議会)
エルヴィス・プレスリーには、死産だった双子のきょうだいがいるんです。
弟自慢の〈生まれなかったお兄ちゃん〉ジェシー・ギャロン・プレスリーによる、エルヴィス大好きものがたり、お届けするけど、用意はいい?(作・演出:長岡登美子)

最初の情報でもう絶対に聞くと決め、当日の説明でもう待ちきれない気持ちでした。
そして配信を聞きました。良かったです。とてもうまくまとめてくれました。

ひとつひとつの言葉が心に響いてきて、文章の才が光っておりました。
「産まれなかったジェシー・ギャロンより、産まれて死んでいくエルヴィス・アーロンへ」
「二つの小さな音がする、二つのちいさな命の音楽、双子の胎児の心臓の音」
「一つのビートが小さくなって、一つのビートが大きくなって、交差して、微笑んで、僕は消え、君が産まれる」
素晴らしい表現でした。

エルヴィスの偉大な功績もきちんと押さえてくれました。
「自分では気づいていないかも知れないけど、どんな人でもたいてい一度はエルヴィスの音楽に触れている筈」
「七つか八つ憧れをたどると、(上を指さし)ここら辺にビートルズがいる。そのビートルズも憧れていたのが僕らのエルヴィス、キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・アーロン・プレスリーだ」
「後に全宇宙で最も成功したソロアーティスト」「6億枚以上のヒットを産み出すビリオンヒットベイビー」
エルヴィス本もかなり読まれたのではと思います。

取り上げたエピソードも幼少期のエルヴィスを理解するのに最適のものでした。
「2歳に教会で讃美歌」「3歳、バーノン逮捕、俺がビックになったらおっきな家を建ててあげる、キャデラックだって買ってあげる」
エルヴィスと世間の反応も分かりやすく語ってくれます。
「黒人のように歌う白人の若者」「腰を振って歌うのが下品」「エルヴィスを敵視した人たちは自分たちが勝手に引いた境界でも簡単に越えられる人間がいることが怖かった」
エルヴィスは単に、「恰好いいと思う服を着、恰好いいと思う髪型にし、恰好いいと思うサウンドで歌った」という真実も伝えてくれます。

そして、女性らしい観点で産声に焦点を当てたのがポイントかと思います。
「全地球の女の子のハートをとろっとろに蕩かしちゃうセクシー・ヴォイスの一番最初の音楽がこの時世界に轟いた」
「エルヴィスの最大のヒット曲はあの時の産声だと思っている」
「産まれなかったジェシー・ギャロンには歌えなかった歌」
「最高にご機嫌なナンバーをエルヴィス・アーロンはママに聞かせた」
産まれたときからエルヴィスはロックンロールしていたのですね。

晩年に入り、「処方箋薬物を過剰摂取~信じてた取巻きに裏切られ~バスルームで心臓発作」という事実を述べ、たった一つだけ覚えておいて欲しいことは、「エルヴィスがロックンロールをくれた」ことと伝えます。
「極上のやり方でこの世の空気を震わせた、世界の隅々までシェイクさせたその振動の流れがロックンロール、産声はいつだってロックンロール」と産声を強調し、「産まれなかったジェシー・ギャロンのあげられなかった産声の替りに、君たちの声で世界を震わせて欲しい、その声が続く限りエルヴィスは死なない」と結びます。

弟を愛している兄の立場からエルヴィスの生涯を語り、エルヴィスがそうであったように、これからも産声で世界を震わせて欲しいと結んだストーリーは斬新でした。
『レディ・テディ、用意はいい?』とは、〝もうすぐ配信が始まるけれど、用意はいい?〟という事、そして〝もうすぐロックンロールが産まれるけれど、用意はいい?〟という事も、〝これから産声を上げようとしている世界中の赤ちゃん、用意はいい?〟という事も全部含んでいるのではないでしょうか。

こんな素晴らしいストーリーですので、1回限りでなく、また上演して頂きたいと思います。
若い方が偉人としてエルヴィスを取り上げ、エルヴィスの人生を真剣に勉強されたことに感謝したいと思います。

P.S.1、この配信はアーカイブに残っていますので、YouTubeで「お家でワンマンシアター~偉人伝~1day」と検索していただければ、観ることができます。
P.S.2、「大人の事情協議会」:
札幌小劇場を中心に活動する演劇集団。10年ほど不定期ユニットとして活動したのち、2020年4月に劇団として旗揚げしなおす。が、あっという間にコロナ禍に巻き込まれ、未だ旗揚げ公演ができていない残念な人たちだそうです。
ちなみに、長岡さんは、劇団の代表(研修中)で、(研修中)まで含めて、正式な肩書だそうです。

END


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