人生のモブでいたい話

 私は人生のモブでありたい、と常々思っている。この場合のモブとは、物語におけるその他大勢の役割を担うキャラクターであり、映像作品におけるエキストラ、通行人、村人Aなどと言い換えても良い。
 スポットライトを浴びるヒロインにはなりたくないし、物語のために不幸になるのも、悪役を任されるのも御免だ。世界の一部で在ることが変えられないのなら、せめてその世界の物語の主要な一員ではなく、モブとして、大筋には関わることなく暮らしたい。
 正確に言えば、他人の人生のモブでありたいのだ。

 (自分の人生においては主人公を演じる立場から逃げようがないので、そこは開き直って生きています)(でもヒロインじゃなくヒーローでいたいのはまた別の話)


 学生時代から、他人の視線が苦手だった。名前も知らない他クラスの同級生たちに、いつの間にか名前を知られ、一方的に視線を向けられる。半端な時期に転入することが多かったこともあり、やたらと目立っていたのは確かだ。生来の性格から、集団に馴染めていなかったのもあるだろう。
 直接話したこともない他人から、勝手なレッテルを貼りつけられ、それに基づいた役割を与えられているようで居心地が悪かった。

 まあ実際、当時の自分に今の私がレッテルを貼っても、やたらと目を引く存在であることは確かだ。声も態度も大きく、男の子たちにも負けじと突っかかる、帰国子女の学級委員。漫画に登場するテンプレな「クラスの口うるさい女子」だ。
 だからまあ、仕方のない部分はあるのだと思う。
 でも、イヤなのだ。

 勝手に私をあなたの人生に登場させないで欲しい。同時に、勝手に私の人生に登場しないで欲しい、とも思っている。


 だから『理想の私』が住んでいるのは、ぱっと見では入り口の分からない一軒家だ。広い庭に囲まれて、誰が住んでいるのか分からない、何があるのか分からない。でも、廃墟のような怖さはなく、小綺麗で手入れのされている植物たちが生き生きとしている、庭。垣根からは中を覗けないけれど、季節がくれば花が咲くから、誰かが暮らしているのだと分かる家。
 中にいる私を、外の視線から守ってくれる家が、私の理想だ。

 庭には、テーブルと椅子が置いてあってもいい。陽気がいい時には、そこでお茶をするのだ。時折、訪ねてくる友人やお客様をもてなすのもいいだろう。
 心の内に入れた人とは、そういう親密さを持ちたい気持ちもある。


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