急に訪れた春の気候に寂寥の念を添えて――。

2021年度の授業が全て終わり、自分が関わった受験生たちも今年の受験はほぼ終了(結果待ちはあるけれど)となり、無事に(?)一年間を終えられたことに少しだけ安堵しつつ、完全に乱れている睡眠サイクルをなんとかしなくてはという思いを抱いている今日この頃。

「多少寝なくても生きていける」と豪語していた20代前半の若かりしころを遠い目、いや細い目で恨めしく睨みつけている。今年はしっかりと生活リズムを健康的に固定したいという願望だけはある。願望だけは。

来年度はありがたいことにいくつかの新しい挑戦をさせてもらえることになり、自分の運営しているサービスでも新しい展開を進めているので、胸を高鳴らせながら日々過ごしている一方で、2021年度の終わりとともに例年とは異なる大きな別れを経験することになった。

昨日2022年3月11日、スマホ学習塾「アオイゼミ」がその10年間の歴史に幕を閉じた。
まずは何より、ユーザーの皆さんや関係者の皆さん、これまでありがとうございました。

自分自身は2018年から4年間中学国語講師として、2020年からは高校現代文・古文講師としても関わらせてもらっていろいろな経験をさせてもらったサービスである。サービス終了時点の講師である以上、己の力不足を恥じるのみではあるけれど、それについてはもう自分の糧にしていくほかない。

授業を生放送で配信する形式でユーザーからの質問にもリアルタイムで答えられる映像授業、休憩時間も繋がっている配信やイベントを通して全国各地にいる多くのユーザーと触れ合うことができた。コロナ禍においても多くの(古参/新規)ユーザーが活用してくれていたのを知っているし、少しは「学びを止めない」役割の一端を担うことはできていれば幸甚である。

そういえば、NHKの番組に出演させてもらったときに自分の授業映像を提供してもらったこともあった。そもそもあの番組に出演したことだってアオイゼミに出講させてもらっていたからこその出来事だったのだと思っている。

ともあれ、この4年間はスタッフやユーザーの皆さん、関わってくれた多くの方のおかげでとても楽しい日々でした。心から感謝しています。本当にお世話になりました。

終わりは始まりだと人は言う。
でも、どうしても「終わりは終わり」という感覚は拭えない。では「終わりは始まり」というのは間違っていると考えているのかと言うと、決してそういうわけではない。

何であれ、「終わり」は終わり。それがそこにある日々が続いていくことはもうないのだから。
でも一方で、それがそこに「あった」日々の始まりでもある。

終わりは終わりとして受け入れ、終わったものを傍に抱えながら、時として追憶の中で懐かしみながら歩む日々が始まる。終わってしまったことの寂しさと幾許かの後悔を抱えつつ、止まることのない時間の中を進んでいく以外に道はない。

「努力は必ず報われる」は言葉足らずだと思うし、報われない努力なんて山ほどあると思っている。というか、努力している途上で「自分は努力している」と思ったときは大抵報われないのではないかとすら思っている。
でも、「経験は無駄にならない」についてはその通りだと思う。いや、その通りだと思いたいし、その通りになるようにしていきたいものである。
この4年間で得た経験を生かしていけるように精進するのみ。

昔から、思い出を語るのが苦手だ。
「こんなことがあったよねー」と言われれば大抵覚えているのだけれど、「さぁさぁ思い出を思う存分語ってください! どうぞ!」と言われると非常に悩む。
アオイゼミのユーザー向けに「中高生時代の冬の思い出」を話してくれと言われた映像は収録する前に15分ほど悩んだし、今回のサービス終了前の挨拶で過去の思い出を語ってほしいと言われたときも収録するまでに20分以上悩んだほどである。思い出がないはずはないのに。

生き急いでいるからといえば聞こえは良い(?)が、単純に丁寧に生きていないだけなんだろうし良くないよなぁと思ったので、最近はことあるごとに見た光景や経験を写真や文字の形で残すことにしている。思い出すきっかけとして。見ればその時の光景や経験、感情までも大抵思い出すことができるから。
(ただし、今年は諸々の都合により「一緒に写真撮ろう」「写ってください」という誘いは断っていましたすみません。来年はどうするか決めていません。)

このエントリーも、自分がこの件について言及して良いものか少し迷ったところではあるけれど、そんな記録の一つとして残しておこうと思って書き始めました。
不快に感じた関係者がいたら謝ります、すみません。

最後に改めて。本当にお世話になりました。

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