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腰が鋭角に曲がっているおばあを助けられなかった腰抜けの私

今日バスに乗ったら、私と入れ違いでバスを降りようとする人たちの中に、腰が鋭角に曲がっているおばあがいた。腰の位置が頭よりも高く、常に前屈をしているような状態である。

そのおばあは座席から立ち上がる時、同行者である身内らしきおばちゃんが手を貸そうとすると「いらん!」と跳ねのけ、杖を使って自力で立ち上がった。もたついてはいたが、人の手は借りず自分でやるのだという気概には恐れ入った。それに引き換え私はどうだ。ソファから起き上がるのを億劫がり夫にリモコンを持って来させている場合ではない。自戒を込めて、私はおばあがバスの通路を歩いて行く様をじっと見守った。

おばあの分の運賃を代わりに払おうとしたのか、おばちゃんがおばあの持っていた手提げ袋の中を覗いた。するとおばあはまた「いいから!」と跳ねのけ、先に行くよう促した。威勢のいいおばあである。おばちゃんは先に運賃を支払い、降車口の階段でおばあを待った。おばあは運転席の横で手提げ袋を床に置き、しばらくゴソゴソしていた。見かねて階段にいたおばちゃんが「ほら、貸して」と手を出した。すると、おばあがキレた。

「うるさいんだよ!あんたは!もう行け!さっさと行け!!!」

おばちゃんもキレた。

「ああ!?じゃあいいよもう行くから!行くからね!!!」

おばちゃんはバスを降り、すたすたと去って行ってしまった。

その時点では、「ほお、随分と血気盛んでありますな」などと呑気に様子を見ていたのだが、次第にのほほんとしていられない事態となった。おばあ、待てど暮らせど運賃を払わないのである。バスの運転手が「大丈夫?」「払えそう?」と逐一声をかけるが、「大丈夫!大丈夫!」「絶対あるから!」などと言い、ゴソゴソ。確かに大きめの手提げ袋だが、そんなにゴソる余地があるとは思えない。それでも、おばあはゴソる。ゴソり続ける。

これは、お手伝いすべきなのではないか。その考えはずっと頭にあるのだが、なかなか行動に移せない。さっきのおばあのブチギレが効いている。おばあは人に頼りたくない性分なのだ。手を出そうものなら「はぁ?うっせぇわ!あなたが思うより健康です!!!」と怒鳴られるかもしれないし、「人の心配するよりてめえこそ普段からきびきび動いて痩せろよウェディングドレス着れねえぞバカ!!!」と罵られるかもしれない。怖い。

運転手も困っている様子だ。おばあは運転席から出るための仕切りのすぐ前でゴソゴソしており、更に杖を床に置いてしまっているので、運転手が無理に出ようとすれば階段の方に落ちかねない。運転手は「なかったら今度乗る時に二回分払ってくれたらいいですよ」と何度もおばあに提案したが、おばあは断固として「あるよ!待ってね!」と言い続けた。

だんだんと車内の空気が張りつめていき、私も気が気じゃなくなってきた。座席から半身乗り出し、いつでも行けるという体勢。しかし、一歩踏み出す勇気が出ない。私の座っている場所はバスの真ん中辺りで、前方にも数人乗客がいる。私が出しゃばらずとも、近くの人が自然に手を貸すのではないか。次の瞬間には、他の誰かが立ち上がるのではないか。タイミングを見計らうばかりで、行動に移せない。

そうこうしているうちに、おばあが袋から財布を取り出した。よし、財布発見。あんなに派手なピンク色の長財布をどうしてこんなに長い間見つけられずにいたのかはとりあえず置いておくとして、これでもう大丈夫。さあ乗客の皆さん、おばあがついに運賃を払いますよ!見届けましょう!

脳内で勝手に場を盛り上げたはいいが、様子がおかしい。おばあは財布の小銭入れを開けたり閉めたり、他のポケット部分を覗いたり、なかなか払わない。どうしたというのか。

そんな中、チャリ……と小さな音が聞こえた。おばあが小銭を落としたっぽい。これはもしや、お助けチャンスではないか。今なら行ける気がする。あくまでも小銭を拾いにやってきましたという体なら、おばあは近づくことを許してくれるかもしれない。しかし、私はまたそこで考え込む。本当に小銭を落としたのだろうか。もし本当に落としたのなら、すぐ近くにいる運転手が「落としましたよ」と声をかけそうなものだが、特に何も言わない。となると、小銭音は私の聞き間違いという可能性もある。もし聞き間違いで拾いに行ってしまったら無茶苦茶恥ずかしい。くそ、私に忍たま乱太郎のきり丸くらい精密に小銭の音を聞き分ける能力があれば……。

そんな考えが頭の中を駆け巡っている間に、私の斜め前に座っていたおじさんが「小銭!落ちたみたいよ!」と声を上げた。ああ、やっぱり落ちてたんじゃん。さっさと拾いに行けばよかった。私はどうしてこうもマイナス方向にだけ想像力豊かなのか。でもまあ、このおじさんが拾ってくれるならいいか。そう思っておじさんを見ていたが、おじさん、微動だにせず。なんてこった。じゃあやっぱり私が、と思った次の瞬間、おばあ、自分で腕を伸ばした。体が傾いて、車内に一瞬緊張が走る。しかしおばあ、フラつきながらも、何とか無事に小銭を拾った。安堵する車内一同。

「今度払ってくれたらいいから、ね、他の人も待ってるから」と運転手が再度説得を試みるも、おばあはまた財布やら手提げ袋やらをゴソゴソし始めた。今度こそ、今度こそ行こう。そう思った時だった。私のすぐ後ろに座っていたおばちゃんが「いい加減にしてよ!遅れるでしょうが!」と叫んだ。そんな言い方しなくても、とは思ったが、実際問題、定刻はとっくに過ぎている。私は急いでいないが、予定がある人も勿論いるであろう。

ならばやはりお手伝いせねば、と思うのだが、また一つ懸念事項が増えてしまった。後ろのおばちゃんが怒号を浴びせたすぐ後に助けに行ってしまうと、おばちゃんに「これ見よがしに助けに行きやがって」「私が悪者みたいじゃないか」と思われる可能性がある。いや、ない。いや、ある。あるには、ある。思われるだけならいいとして、おばちゃんは私の真後ろにいるのだ。おばあをヘルプして戻ってきた時に、何か言われるかもしれない。怖い。何なら後ろから首を絞められるかもしれない。怖い。

そんなことを思い悩むうち、おばあはついに運転手の説得に応じる素振りを見せた。「今度払えばいいのね?」「ごめんなさいね」と言っている。さすがに諦めてくれたらしい。おばあは財布を手提げ袋に仕舞い、また少しゴソゴソした後、杖を使って上手に階段を降りて行った。

バスは走り始めた。急いでいるのだろうか、いつもより揺れる気がした。

バスに揺られながら、私は自分に幻滅していた。どうしてさっさと助けに行かなかったのだろう。嫌がられたっていいじゃないか。あの場合、嫌がられてもお手伝いした方が、バスの運行のためには良かったはずだ。こういう時、悪い想像ばかり言い訳ばかりで行動に移さない。私という奴は昔からそうなのだ。地下鉄通勤していた頃も黙って席を立つことはあれど「どうぞ」と言えた試しがなかったし、中学生の頃もバスの待合所で目の前に座っていた人が10円玉を落としたのに結局最後まで「落ちてますよ」の一言が言えなかった。私はあの頃と何も変わっていない。もうアラサーだというのに、何をやっているのだ。酒ばかり飲んで、ろくに世の中の役になど立っていないのだから人助けくらいしたらどうなのだ。私のような人間にできることなど、人助けと、居酒屋で寝ないことと、吐く時はトイレで吐くことくらいではないか。

腰が鋭角に曲がったおばあも逞しく生きているのだ。私も腰抜けのままではいけない。これからは困っている人に声をかけられる人間になろう。うちの地域のおじい、おばあ、覚悟しろ。ちょっとでも困っていたら、すぐに声をかけるからな。

おばあと身内のおばちゃんが帰ってから仲直りしていることを祈りつつ、私は強く心に決めた。






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