露出狂を追いかけたことがある
すっかり暖かくなってきた。ぽかぽか陽気が心地よく、「もう上着いらないね」なんて季語のような会話を交わしたりもする今日この頃であるが、「上着いらないね」とはなっても「服いらないね」とは決してならないのが、二足歩行に進化し、知能を発達させ、社会の中で生きる我々ホモ・サピエンスの道徳的観念というものであろう。しかしながら、世の中にはとんでもない輩が存在する。所謂、露出狂というやつだ。春の風物詩などと笑いのネタにされることも多いが、その実、公然わいせつ罪もしくは軽犯罪法1条20号(身体露出の罪)に当たる歴とした犯罪行為であることを忘れてはならない。
さて、露出狂と聞けば思い出すことがある。露出狂と聞いて思い出すことなどないに越したことはないが、残念ながらある。私が高校生だったころの話だ。
とある休日の夕方、私は街中へと向かうバスに揺られていた。その日は友人二人と待ち合わせ、カプリチョーザで3人で夕飯を食べる約束をしていたのだ。友人のうち一人はすでに到着し、近くの店で買い物をしながら時間を潰しているとのこと。もう一人の友人からは少し遅れるとの連絡を受けていた。
私は今日という日を心待ちにしていた。久々に3人で遊ぶことも楽しみだったし、それが当時の私にとっての最高級三ツ星レストラン、カプリチョーザでのディナーとあっては、気持ちが高ぶるのも無理はない。一番お気に入りの服を着て、誕生日に母親に買ってもらったオリーブ・デ・オリーブのロングブーツを履いて、ディナーに相応しい最大限のおしゃれをしてきた。バスに揺られながら、胸は高鳴り、腹は唸った。視界はすでにトマトとニンニクのスパゲティ色。真っ赤な布を目の前でヒラヒラされている闘牛よろしく、今にも突進せんとばかりに荒ぶる鼻息。そんな私の元に、買い物をしている方の友人からメールが届いた。開いてみると、「露出狂に遭遇」とある。一瞬でワクワクが吹き飛んだ。「お願い早く来て!」友人からのSOSを受け取った私は、停留所に着くなり大急ぎでバスから降り、友人のいる商業ビルへと駆け足で向かったのであった。
友人が被害に遭ったのは、商業ビルの中にある雑貨店だった。合流して話を聞くと、友人が壁側に並んでいる商品を見ていたときに、すぐ横に並ぶようにして男が一人立ち、何だか距離が近い気がしてふと横を見てみると「出していた」のだという。レジから死角になっている位置とはいえ、休日で店内が賑う中での大胆な犯行に驚かされる。また更に驚いたのは、犯人が「かなり若い男」だったという点である。当時の私は露出狂に対し「頭のおかしいおじさん」という固定化されたイメージを持っていたので、自分と同年代の若い男と聞いて衝撃を受けると共に、今までより露出という行為の異常性が生々しく際立って感じられ、一層の嫌悪感を覚えた。
友人はすぐに男から離れ、店員に助けを求めたと言う。ビルの警備員が駆けつけてフロアを見回ったが、男はどこかに逃げたあとだったようで見つからなかったらしい。警備の人からは、「もしこのあと男を見かけたら、110番通報した方がいい」と言われたそうだ。正直それを聞いた私は、すぐにでも通報したらいいのにと思った。しかし当事者の友人からすれば、大事になることへの不安やストレスが大きかったのだろう。躊躇する気持ちも今ならよくわかる。というのも、通報したらそれはそれで大変なのだと、このあと私自身、身をもって知ることとなるからである。
まさかの災難に見舞われた友人はかなりショックを受けていたが、せっかくだし予定通り夕食は食べたいということで、もう一人の友人との待ち合わせ場所へ向かうことにした。そこは件の商業ビルから程近いところにある全面ガラス張りの建物で、開けた空間にベンチがたくさん置いてあり、この街の待ち合わせスポットとして定番の場所だった。夕飯の時間帯ということもあり、建物内は待ち合わせをする人々で大いに賑わっていた。私たちもベンチに座り、なんやかんやと話しながらもう一人の友人の到着を待った。
しばらく話していると、突然、友人が私の肩に触れた。そして小声で「いた」と呟いた。「犯人いた。あのチェックのシャツの人。絶対にあの人。」
言われて視界の中からチェック柄を探すと、携帯を見ながら突っ立っているチェック柄のシャツの男がいた。友人が言っていた通り、かなり若い。「この男が……」背中にぞわぞわしたものが走る。
友人は「警察に電話する」と言い、携帯を開いた。大事にする覚悟を決めた友人をサポートすべく、私は視線で男を見張った。すると、男がぷらぷらと出口の方へ向かっていくではないか。友人はまだ電話中である。
まずい。
そう思うのと同時に、私はベンチから立ち上がっていた。そして出口の方へと一直線に歩いていき、ドアの前で男に追いついて、「すみません」と声をかけた。
よくそんなことができたなと自分でも驚くが、若いころの私は時折、ヒーロー願望を原動力とした、ちょっとした無茶を発動することがあった。例えば中学生のころ、体育館に紙飛行機みたいなデカさの蛾が侵入してきたときも、同級生たちがワーだのキャーだのガーだの叫ぶ中、私は無言で蛾をティッシュで掴み、窓の外へと放ってみせた。平静を装ってはいたが、本当は虫が苦手だし、めちゃくちゃ気持ち悪かった。でもみんなからスゲーと言われて嬉しかった。みんなからスゲーと言われるためなら、瞬間的に肝っ玉を10倍に肥大化させることができた。何とも浅はかな肝の据わり方ではある。
とは言え、今回の相手は蛾ではなく露出狂だ。気持ち悪いという点では共通しているが、ティッシュにくるんで捕まえられる相手ではない。しかし、友人を傷つけた男を捕まえるチャンスである。みすみす取り逃がすわけにはいかない。捕まえるのは警察に任せるにしても、とにかく時間を稼ごう。「お手柄女子高生、露出狂逮捕に貢献」の見出しが脳内で踊る。
私から突然声をかけられ「はい?」と振り返った男は、近くで見るとますます若かった。大学生、いや、何なら私たちと同じ高校生に見えなくもない。小柄で細身の、街の中で浮くこともない普通の、その辺にいる学生の風貌だった。火事場の肝力で勇ましく声をかけた私だったが、いざ面と向かってみると、心臓がバスケットボールのようにダムダム地面に打ち付けられる心地だった。
「あの、さっき○○(雑貨店)にいましたか?」
私がそう問いかけると、男は「え? いやあ、わかりません」と歯切れの悪い反応を見せた。そして、「あ、でも△△ビルにはいました」と焦ったように付け加えた。△△ビルとは、雑貨店の入っている商業ビルから少し離れた場所にある建物のことである。周辺には他にも建物がたくさんあるし、雑貨店の話をしているのに△△ビルの名前を出してくるのは回答としてかなり不自然だ。私は確信に迫った。
「さっき、女の子に何かしましたよね?」
すると、男は明らかに動揺した様子で、「いや、わかんないです」と目を泳がせた。そして「急いでるんで」などと言いながら、ドアに手をかけた。
「少し話したいので、ちょっとだけ待ってもらえませんか?」
「いや、無理です。」
男がドアを開けて出て行こうとしたので、咄嗟に「待ってください!」と腕を掴んだ。すると男はすぐさま私の腕を思い切り振り払い、外に飛び出した。振り払われたその瞬間、クロだと確信した。私も飛び出した。
男は歩行者天国を斜めに横断して走っていく。それを「待ちやがれコンニャロ」と心の中で怒声を浴びせながら全力疾走で追いかける。しかし威勢がいいのは内心だけで、男との距離は広がる一方。何を隠そう私は100メートル走20秒台の鈍足であり、加えて言うなら母親が誕生日に買ってくれたオリーブ・デ・オリーブのロングブーツは全力疾走で露出狂を追いかける仕様になどなっていないのである。男はビル裏の路地に駆け込んでいき、私も遅れながら後を追ったが、路地を抜けて車通りの多い大通りに出たところで完全に見失った。
クソ、逃げられた。
私は悔やんだ。鈍足であることをではない。オリーブ・デ・オリーブのロングブーツを履いてきたことでもない。もっと強く掴んでおけばよかった。脚にしがみついてでも離さなければよかった。自分とそんなに体格の変わらない相手なのだから、本気を出していれば逃げられずに済んだかもしれない。もしくは、大声を出して周りの人に取り押さえてもらうという選択肢もあった。でも、できなかった。強硬な手段に出て「何かの間違いだったら?」、周りを巻き込んで「どう思われるか?」、そういう不安を、腕を振り払われるその瞬間までどうしても排除できなかった。それが敗因だ。電車などで痴漢だと声をあげることが、どれだけハードルの高いことなのか分かる。
肩で息をしながら戻ると、ちょうど警察が到着していた。「あっちに逃げました、見失いました」と伝えると、警察官が私の指さす方へと走って行った。待っていた友人は心配して私に駆け寄り、警察とほぼ同時に到着したらしいもう一人の友人は「何事?」といった様子で目をぱちくりしていた。
その後、友人は被害者として、私は目撃者として、警察で話をすることになった。人生初のパトカーに乗車し警察署に到着すると、友人とは別々の部屋に通され、調書を作成するための質疑応答がはじまった。逃げられはしたものの勇気ある行動を称えられるに違いないと確信していた私であったが、話が男を追いかけた辺りに及ぶと、「今回はたまたま無事だったけど、こういう相手は何をしてくるかわからない。刃物を隠し持っていることもありえる。二度と追いかけたりしないように」と、しっかりばっちり怒られた。「いやあ、脚にしがみつけば良かったですよ」などと喉まで出かかっていたので危なかった。警察官の言うことは全くもってその通りであり、私はしおらしく自分の分別のなさを恥じるほかなかった。
調書を取ったあとは似顔絵の作成に移った。何といっても犯人に最も接近し、真正面から顔を見たのは私なのである。私の似顔絵の出来が犯人逮捕の重要なカギとなることは間違いないであろう。しかしそう思えば思うほど、男の顔がうまく思い出せない。顔面を思い浮かべるたび、まるでトランポリンで跳ねながら福笑いをやっているかの如く、あっちゃこっちゃにパーツが弾け飛ぶ。何度も描き直してもらってどうにかこうにか完成したが、正直似ているとは言い難かった。これでは捜査に協力というより攪乱である。「それでもあるのとないのじゃ大違いだから」という警察官の慰めが虚しく響き、私は自身の記憶力の乏しさにほとほと幻滅したのであった。
全てが終わったときには、もう夜中だった。警察署に来てから実に5時間以上が経過していた。疲れた。物凄く疲れた。被害者である友人はこれに加えて実況見分などもあったらしく、さらに疲労困憊の様子だった。通報したらそれで終わりではないのだ。捜査のためとは言え、負担は大きい。
そして警察署まで迎えに来ていた友人のお母さんにも「追いかけるなんて危なすぎる」と怒られた(お礼も言われた)。
パトカーで送ってもらい自宅に到着すると、母親が血相変えて出てきた。警察で話をすることになったタイミングで家に電話し、警察官にも電話を代わって事情を説明してもらったのだが、母親からすれば何が何だかであるし、帰りを待つうちに悪い想像が膨らんで、最終的には警察を装った誘拐犯だと確信しつつあったらしい。「ほんとに心配したんだから!犯人追いかけたって本当なの?ありえない!」と、またもや怒られた。お手柄どころか、怒られまくりの一日である。
結局、犯人が捕まったという話を聞くことはなかった。私の似顔絵のせいなのではと思わなくもない。あれからもう15年くらい経つが、あの男がもし今もどこかで「出している」のだとしたら、ぞっとする話だ。逮捕されているか、せめてもうあんなことはやめて、自分の行いを悔いていてほしい。そうでないと、あの日怖い目に遭った友人も、トマトとニンニクのスパゲティを食べ損ねた私も、到着した途端帰る羽目になったもう一人の友人も、報われない。
散々怒られはしたが、あのときどうにか追いついて捕まえていたら、と未だに思うことがある。その一方で、今の私なら絶対に追いかけたりしないだろうなとも思う。大人になって分別がついて、無茶はしなくなった。自分の理想やお手柄より、人生安全第一である。でもだからこそ、無鉄砲で馬鹿だったあのときの自分を心のどこか隅の方でこっそり生かしておきたいとも思う。いざという時、例えばデカい蛾から誰かを守るときなんかに、役に立つかもしれないから。
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