9/2 習い事の話

バイトを辞める話を投稿しようと思ったけど、「子どもの習い事は何をさせますか?」という質問を某掲示板で見かけたので今日はこちらにする。
ものすごく長い自分語りになるなので、注意である。


以前、何者にもなれなかった話をしたが、幼い頃から私は何かをモノにしたことが無い。

6歳の頃、地域住民による運動会を見学していたら、突然母親に手を引かれて、見覚えの無い御婦人の所へ連れて行かれた。
見上げた先に居た御婦人は私に微笑みながら、

「ピアノする?」

と聞いてきた。


長濱、6歳ながら
「あ、ここはYESと言わないといけないやつだ」
と、人生で初めて「気をつかう」を覚えた。

何も言わずに頷き、そこから小学6年生まで毎週火曜はピアノの日になっていた。

その後、4つ上の兄が習っていたそろばんや習字へ迎えに母親と行くと、その次の週には自分も同じように習い事を始めていた。

長濱、7歳。
始めた習い事にも順応でき、大人に褒められる事も多く、最初の頃はそこそこ楽しくやっていた。
この時は

月水金→そろばん
火曜日→ピアノ
木曜日→習字

という感じだった。いや毎日やないかい。
この頃は放課後の学童クラブにも行っていた気がするけど、私のタイムスケジュールはどうなっていたんだろう。
よく覚えていない。

長濱、10歳。
この頃には上記に加えて英会話も始めた。
当然だけど、年齢が上がるにつれて習う内容もレベルは上がっていく。
最初の頃はうまくやっていた私も、この頃になると「習い事に行きたくない」「家でも練習しないといけないのが嫌」という気持ちになってくる。


それもそのはず、私は習っていたもの全て自分の意思ではなく親が勝手に決めてやらされていたのだ。

私は最初のピアノこそ(ほぼ圧力で)やる、と言ったが、他の習い事に関しては1つもやりたいと言った覚えが無い。

反対に、地元の女子バレークラブやスイミングクラブなど、通いたい習い事を自ら頼んだ時は全て却下されていた。

自主的に始めた習い事は1つも無く、ついていけなくなる内容に嫌気もさし、既にモチベーションは皆無だった。

親には「金をドブに捨てやがって」と何度も怒られた。
その度に「私は好きで習ってるわけじゃ無いから辞めさせて欲しい」と頼んだが、絶対にダメだと却下されていた。 
※兄は少年野球を始めた関係でそれ以外の習い事はこの時点で全て辞めている。

結局、そろばんは2級を取得した中学1年生、ピアノと英会話は学習塾に行くからという理由で小5あたり、習字は書いているだけでよかったのであまり苦ではなく、中学2年くらいまで続けていた。

中学から本格的に学習塾に通い出した事、放課後と土曜は部活があったので、ほぼ全ての習い事から解放された。
この中でモノになった事は何一つとしてなくて、文字通り6年間全ての習い事に関する金はドブに捨てる事になった。

何者にもなれなかった田舎の少女は、その後も何者にもなれない人生を歩むことになったのだった。

6年ほど前から東京に住むようになり、子どもへの習い事の種類の多さに驚いている。
英会話は当たり前だし、今ではプログラミングもあるし、親としては習わせたいだろう。私も習いたいくらいだ。

大人は子どもにある程度の期待をかけて習い事をさせているだろう。
得意になってくれたらいいな、将来の役に立てばいいな、視野が広がってくれればいいな、など。

私は今もそうだが学習面に関しては本当にお金をかけさせてもらった。
奨学金も無く私立大学を2つも通わせてくれている。
高校も私立だった。

「長濱ちゃんは学校にたくさん行ったから、長濱ちゃんがお家建てる時はあまりお金出してあげられないの、ごめんね」
と親に謝られた。恐らく一生都心賃貸独居生活だから大丈夫だ、問題無い。

今思えば、親の期待に応えてあげられなかった事が本当に申し訳ないし悔やまれる。


と、何度も思っていた。少し前までは。


私には幼い姪っ子甥っ子がいるのだが、帰省をした時、「兄夫婦はどんな習い事をさせるんだろうね」と母親と何気なく話していた。

この時、「どうして私にはあんなに習い事をさせていたの?あれだけさせていたけど、お母さんは私には何に1番秀でて欲しかった?」と尋ねた。

特に意味は無いけど、純粋に気になっていた質問だった。
しかし、その返答は予想だにしないものだった。


「何者にもならないで良かったし、期待していなかった。」


固まった。
期待していなかった、という言葉を聞いた時、私の周りの空気だけが凍てつくのを感じた。

「それならどうして辞めさせてくれなかったの?よく、『お前がやりたいって言うからやらせてる、辞めるのは許さない』って言うから、頑張って何とか続けていたんだよ。」

すると母はそんなこと言った?という言葉とともに理由を伝えてくれた。

「長濱ちゃんが小学校にあがる前、今の職場から新しい部署を立ち上げるから働かないかと誘われた。
小さい頃は保育園で遅くまで預かってもらえていたけど、小学校に上がってから長濱ちゃんを1人にしてお留守番させるのが心配で、どうしてもそれだけはさせたくなかった。
だからどこでもいいからお母さんが仕事を終えるまで誰かに預かっておいて欲しかった。
それがあの毎日の習い事だった。」

私がやりたくも無い習い事をさせられていた理由は「託児所の代わり」だったのだ。

上達しないと暴力を振るわれ、出来損ないとか金食い娘とか罵られ、放課後に友達と遊ぶことも許されない生活だった。
そろばん教室では上級生にいじめられていた時期もあった。
それでも続けていた。
親の期待に応えられない自分が悪い、でもやる気が出ない、辞めさせてもらえない、その狭間でずっと苦しんでいた。

「じゃあ、もしも私が習い事をしていなかったら?」


と問うたら母は暗い顔をしながら


「今の仕事は忙しいけど天職だと思ってる。長濱ちゃんが心配で仕事を断っていたら、お母さんの人生はきっと暗いものだったと思う。」


と力ない声で言った。


辞めたいと伝えても辞めさせてもらえなかったことは、親が私に期待をしているからだと思っていた。

でも、そのどれも上達しなくてよかったもの。
そのせいで、ただ他に何かできたかもしれない貴重な6年間を棒に振り、今でも何処かに暗い影を落としている原因が親のエゴだと知った私は、翌日何も言わずに帰京した。

親を責める気にはなれなかった。
母の働く姿は私の幼い頃からの目標だ。
天職を見つけて、田舎で周りは専業主婦が多い中、手に職をつけて働く母は格好良かった。

その母の背中を見て、医療従事者を志し、今こうして大学に通わせてもらっている。
男に頼らないでいい女になりなさい、という教えは私の人生の目標だ。

だが、それが幼い私の希望を無視して犠牲にし、
「親のエゴ」の上で成り立っていることを私は大人になってから知ったのだ。

母には母の人生がある。子どもを産んだから犠牲になれなんてとても言えない。

仕事を選んだ母を
「私はこんなに苦しかったのに!」
と今更責める事はできなかった。

考えれば母は働くことに大して私にかなり負い目を感じていたような素振りを見せていた。

作る暇が無くて冷凍食品ばかりのお弁当を持たせたこと。
仕事の途中に来る関係で授業参観はいつもジャージだったこと。
夏休みのお昼ご飯が用意できず、私にチャーハンと餃子の作り方を教えたこと。

母は「こんなお母さんでごめんね」と謝っていた。
でも、そんなことを気にした事は一度もなかった。
母にとっては悲しいかもしれないが、母が仕事をすることによる弊害で寂しいと思った事は一度もなかった。

一度だけ、母が謝ったことがある。
直接の言葉ではなかったけれど、確か前日に物凄く罵倒されていたんだろう。

学校から帰ったら置き手紙で
「キツイこと言ってごめんね」
と書いてあった。

小学4年生の時だった。
ほとんど泣かない私がこの時は部屋で声を殺して泣いた。
母が謝って欲しいことで謝ってくれた。
その事実がこんなに嬉しいなんて、と。

しかしそれ以来、母が私に謝った事も褒めた事もなかった。

母は私とほぼ絶縁状態になる数年前まで、過保護な様子がかなり目立っていた。
私の行動を全て把握したい、大切な一人娘に傷ひとつつけたくない、という思いからだった。

親の立場も考えられる年齢になり、私の行動が幼かったと反省することが多い。
親の心子知らずとはよく言ったものだ。

母は私のことを心の底から愛してくれている。
自分の命より大事だと思っている。
それが空回りしてしまっていただけなのだ。
だから母は悪く無い。何一つ悪く無い。

しかし、この話ばかりはどうしても許せなかったのだ。


しばらくは連絡を取る事を辞め、大学に合格した時に一報をいれた辺りから、何事もなかったかのように接している。

私は母の背中を追い、自分もバリバリのキャリアウーマンになる事を望んでいる。
でも、もしも私のせいで自分の子どもがこんな辛い思いをするなら、結婚はしても子どもは持ちたくないと思っている。

私は子どもが大好きだ。自分の子どもなんて溺愛するに決まっている。きっと心配で心配で、傷ひとつ付けたくないと思うだろう。

そんな大切な子どもを犠牲にしてまで仕事なんてしたくない。
じゃあ自分の仕事や夢を諦められるか?と問われたらYESとは言えない。
それなら私は子どもを持たない選択をするだろう。

両親が医者で祖父母に育てられたという友人は「それでも幸せだったよ」「彼の両親とか、長濱ちゃんの親御さんに思いっきり頼るのもいいんじゃ無いかな?」と言ってくれた。

話を戻そう。

これを読んでいる親世代の方がいたら伝えたい。
お願いだから、子どもの可能性を広げるための習い事をさせてあげてほしい。
これがやりたい!と言われた時、様々な問題が出てくるだろうが、可能ならそれをやらせてあげてほしい。


本人の意思を無視して、親の叶えられなかった夢の続きを無理矢理見させることや、大人のエゴを子どもに押し付けないでほしい。
辞めたいと言ったら本人ときちんと相談をした上で決めて欲しい。
子どもは大人が思う以上に大人だったりするし、子どもの社会もある。
どうか子どもに寄り添ってあげて欲しい。
「何やらせても長続きしないダメな子」という押し付けは大人の決めつけに過ぎないのかもしれない。


私はダメな子であったし、そのレッテルは今も剥がせていない。
これからも綺麗には剥がせないだろう。
この歳になっても誰かに褒められることを異常なまでに望んでいる。
褒められる為に自分の心身を犠牲にする事なんて容易いことだ。
この全てが習い事の経験に直結する訳ではない、甘えだと捉える人だっているだろう。
これを書いている今も、自分が甘えているダメな人間だという気持ちが払拭できていない。

親と子どもは血の繋がっている他人だ。
上記以外も様々な葛藤があり、かなり前から母のことを「絶対に裏切らない他人」だと思って接している。

一線を引いていることや、私が大人になり、口喧嘩では絶対に勝てない事を悟ったらしく、何か煩く言ってくることも無くなった。そもそも喧嘩になる火種もないのだが。
そのお陰で、今は良好な関係を保っている。


それが、私の望んでいた母娘だったのかは別として。




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