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逆に、現代社会に於ける宗教の必要性

 近代社会で宗教が衰退していくだろうという考え方を「世俗化論」という。

 それはさておき、2010年から2050年までに各宗教の信者数がどのように推移していくかという予測として以下のような研究が知られている。

https://www.pewresearch.org/religion/2015/04/02/religious-projections-2010-2050/

 少なくともこのpewresearchによる研究では、近い未来では無宗教者(unaffilliated、非加盟)の割合は減少していくと予測されている。これの主な理由の一つは、予測される人口増加の大部分が現在発展途上国と呼ばれる国と地域で行われるからであって、欧米などに限れば、無宗教者の割合は増加していくと考えられている。つまり、局所的ならそうではないが、世界的にみれば世俗化は進行しなさそうだ。

 とまあこのように、研究によって多少の差はあれど、信仰宗教を持つ人々は科学の発達が著しい現代でも、また少し未来でも、多数派として日々を過ごしていくらしい。

https://www.pewresearch.org/short-reads/2019/01/31/are-religious-people-happier-healthier-our-new-global-study-explores-this-question/

 宗教には様々な時代や地域での支配、暴力、差別の正当化や、科学の迫害を引き起こす触媒として機能し、利用されてきたという側面がある。具体例などは挙げるまでもない。加えて現代では旧時代的な価値観、これも挙げるまでもない、なども屢々問題になっている。

 宗教は沢山の人間とその気持ちを殺してきたが、それは、宗教は直ちに完全に撲滅されるべきであるという結論を導くのだろうか。そうでないなら、どうして宗教が必要とされ続けていくのだろうか。

 というわけで、「宗教の否定」を棄て去って、現代社会における宗教の必要性について考えるやつでもやるか〜〜〜


 さて、如何なる宗教でも、それを作りあげたのは間違いなく人間だ。そして、(最初から自分達の利益だけを考えて創始したようなそれを除けば、)それがどんなものであれ、その人・団体の目指す社会を実現する為に綴った価値観の集合体として宗教・宗派とその内部に於ける規範が構成されていく。

 多くの宗教で、悪行を為した人物が死後に転送されるという拷問的な謎空間、「地獄」と訳されることが多い、が主張されている。これは信者に倫理的な行動を促す為に有効な教義である。逆に、「天国」に行く為や、上位の存在にみられていると信じることで周囲乃至社会的弱者に利益を振り撒くような振る舞いを多くしたりするのも同様だ。この論文のアブストラクトは、定期的に教会に通うなどする宗教的に活動的な信者は無神論者と比べてボランティア活動への参加が多く、活動的でない信者は無神論者よりボランティア活動が少ない、みたいなことをいっているし、別の調査でも、宗教的に活発な人々は、宗教に関連しないスポーツや芸術、政治、慈善などの団体にも積極的に参加しているとの結果を示している。

https://www.pewresearch.org/short-reads/2019/01/31/are-religious-people-happier-healthier-our-new-global-study-explores-this-question/

 他のより包括的な例を出すと、クルアーン(聖典)やムハンマドのスンナ(言行)、イジュマー(イスラム法学者による合意)、キヤース(類推)から生まれたシャリーア(イスラーム法)は、そういうイスラム国家に於いて、窃盗や賭博の禁止、挨拶や慈善行為の推奨、挨拶への返答や祈祷の義務などを規定している。これは大方、彼らの規範を如実に示したものだ。つまり、宗教の1つの有用性の立場は、共同体に所属する人々がこのルールを守ることでよりよい社会になっていくだろう、という思いの表号としての宗教だ。

 もちろんこういった規範には正当性のないものもある。宗教は本質的に保守的であまり更新されていかない。

 ところで興味深いことに、こういった概念のうち正当性のなさそうなものが人々を守る例も知られている。先のイスラーム法で(普通に屠殺された豚の)豚肉の摂食が禁じられているのは誰もが知る所であるが、これは「当時の環境では豚肉の摂食による病気等に罹りやすい為」などの説がある。宗教に限らず、霊的な言い伝え等でもそうで、子供が1人で危険な場所へいくのを防ぐために河童や幽霊が出るといった「迷信」を流布して彼らの身を守ってきたであろうのもそうだ。事実でない言説でも、結果的に人々の生活を向上させることがある。観天望気なども科学的に証明される前は同じカテゴリーだっただろう。以下のツイートの事例もそういう類いのものだ。

 そして科学的にも信仰は巨大な力を持つことがある。顕著な例がプラシーボ効果だ。モルヒネと騙って生理食塩水を投与すると、患者の痛みが和らぐ。”これは錯覚ではなく、実際にモルヒネと似た作用をする神経伝達物質エンドルフィンが分泌され、実際に和らいでいる”、という説もある。もちろんこの効果に限度はあるし全く効かない病気もあるが、効果自体は広く知られている。同様にして、神に救われるような行動を普段から心掛けていれば幸福を感じやすくなる、かもしれない。

 精神面を更に追究すると、宗教的共同体に参加して連帯感を持っている状態が個人の精神を安定させることもあるだろうし、精神的な悩み事を相談すれば、聖職者や同胞がそれを解決してくれるかもしれない。人生に特化した部活動みたいなものか。ライフ部。

 恐らく以上のような理由で、宗教を持つ人々は無神論者と比して犯罪率が低く幸福であるという調査も知られている。実際に健康であるかなどは宗教性に関連しないらしいので、謂わば、信仰が幸福の受容体の活動を促進している、というような受け取り方をしてもよいだろう。

https://www.pewresearch.org/short-reads/2019/01/31/are-religious-people-happier-healthier-our-new-global-study-explores-this-question/

 あとは歴史的・美術的価値なども考えられる。宗教は殆ど常に作品を生み出してきた。多くの人は仏教施設である法隆寺に価値を感じるだろうし、ノートルダム大聖堂の火災に悲しんだだろうし、廃仏毀釈を習った時に勿体無いと思っただろうし、それらの観光で儲けたり良い思い出を作ったりしているだろう。


 ここまで宗教のもたらす恩恵として考えられるものを挙げてきた(他にも結構あるのかもしれない)が、もちろん、それで弊害を無視できるかというとまた別の話だ。

 宗教の主な役割は団結と指針(或いは言い訳)と幸福の追求であり、科学ではつけることのできない轍の例を示すツールだ。現代の僕ら(のうち多く)は選択をすることができる。誰も押しつけないでください。


ChatGPTによる要約

 「世俗化論」は近代社会で宗教が衰退するとする考え方です。しかし、Pew Researchの研究によると、2010年から2050年にかけて無宗教者の割合が減少すると予測されています。これは人口増加が発展途上国で起こるためで、欧米では無宗教者が増加する一方、世界全体では世俗化が進行しないとされています。

 信仰宗教を持つ人々は今後も多数派として存在し続けると見られていますが、宗教は歴史的に支配や暴力、差別の正当化、科学の迫害の手段としても利用されてきました。それでも宗教は必要とされ続けるのはなぜでしょうか?

 宗教は道徳的指針を提供し、コミュニティの結束を強化する役割を持ちます。例えば、イスラム法(シャリーア)は社会規範を具体的に示し、コミュニティの安定を図ります。また、宗教的な教義は倫理的行動を促し、ボランティア活動への参加を増やす効果があります。

 さらに、宗教は精神的な支えを提供し、幸福感を高める役割も果たしています。例えば、定期的に宗教活動に参加する人々は、無宗教者に比べて幸福度が高いことが研究で示されています。

 このように、宗教には現代社会においても重要な役割があり、その恩恵を享受するためには宗教の本質的な価値を再評価する必要があります。


参考文献のやつ

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