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一薎

 近頃はいやに呼吸を意識させられてしまうことが増えてきた。ふとした時になぜか息があがって、何かから走って逃げている真っ最中だという気すらしてくる。すると、ふだん甚く劈くそれも傍白となってぼくの中からすっと消えていくのがみてとれた。自家栽培の厭悪の情が循環系に直接導入されていくのをかんじ乍ら、ぼく以外の平衡していくのを認めている。扨、あれからもう何マイクロ年経ったのだろうか。それでちっとも成長していないのは何故なのだろうか、生まれ持った才能という可きか、と、誇り、掲げてみると、腐っていた。というのも、ぼくが集っているのだ。まったく、これではやっていられるものか、と思ったので、そこで死ぬことにした。悪い気はしなかった。

 そうして次の視界が幕を開けた。眼前に広がる煬の光が、宛ら泥の様に澱んで耳を聾している。もうすっかり寒くなって了った。欲動が碧空から目を逸らし、手に緩い吐息をかけてすぐに、まあ起こったものは仕方がない、命より精神が大事なのだ、と思い、その大事にすべき(とされている)からっぽの器を、右と左とを外にして、鏡に映してみた。すると、やはり腐っていた。こんどは迚もじゃないが、愉快なきぶんではなかった。が、不愉快と愉快との区別のついていなかった気もまたするのだ、うん、否めない、と一息ついて、息を吸おうとすると、夢が痞えて死んでしまった。想定以上だったのは肥大ではなく、収縮のほうだった。然し、それはそれで、べつに如何でも良かった。呼吸を止めたぼくの視線は、既にそのとき視界の端で佇んでいた見知らぬ生物に移っていたが、居心地の悪そうな異邦人について考え始めるよりも先に、ぼくは退屈な移動を再開することになった。全ての神経は役目を終え、今となっては肌を掠める冷たい風やこころを扼する軟い過去などは知りもしない、自然の摂理に逆らうこの足がそう告げている。終着点の近くでこそまるで似つきはしないと雖も、途中までならぼくにとっても都合が良い。ぼくらは取り敢えずキリの良いところまで同行するということで合意した。そうして縦目でそれを見ていたきみは、嘗ての俤はどこへやら、みるも無惨、魑魅魍魎のローブリッドなどと自称し、縊死していった。まあそういうこともある。ほかのそれらは有給休暇をとって努力の信仰に精を出しているようだ。そっか。

 そんな感じの空想に耽って日々を凌いでいる。今日は丸一日そうしていた。目が潰れそうになるので電気は付けなかったが、プルコードはひどく揺れているようだ。漸と音が止まったと思ったらまたこうだ……ふだんならひどく癪だと思うのだろうが、岑々、また、燦々、これらの極まりない為に、顔を顰め、勝手に見ないさまになった。歪んでいる。その程度で僥倖と云うにはまあ大袈裟で、簡潔にいうと、やはり何も思わなかった。こうしている間にも、彩度の低く粘度の高い時間が部屋を埋め尽くしていく。天井はすぐそこだ。精一杯手を伸ばしてみるが、予想に反して届かない。天井はすぐそこではなかった。訂正すべきだ、ここには天井などない。ここでは天井を設置する文化が育まれていない。暫くして、あるとき……神が存在して、ぼくがそれに陥らないように頭痛を齎している、という可能性について検討しようとしたところで気を失ったとき、そのときだ、ぼくは強く頭を打ち、頭の底の方に溜まっていた沈澱物が巻き上げられ、蚊柱てきな様相を呈している!残念ながら脳を洗浄する手法というのは大して確立されていないようなので、そこから恒に蚊柱が生活を営む様になった、頭の中で。最初は奇妙な気持だったが、軈て、ぼくが考えるべきでない事を考えようとしたとき抔は、それを覆い隠してくれるようになった。然而、一瞬、淡望を瞥たのに気が付かれたか、なんだ、存外気分が良いぞ、と思ったところで、頭蓋のひびを抉じ開けて、みんな出ていってしまった。後に聞いた話では、ぼくは子の旅立ちを見送るといったふうな気分でいたが、そのときに抉じ開けられた孔の影響で、苦しむ間もなく、普通に即死した、ということらしかった。考えてみれば当たり前である。逆に、何故いけると思ったのだろうか……奇妙な話ですよね。

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