見出し画像

虎に翼 昭和初期の医療体制について

1935年(昭和10年)ころの医療がどうであったか朝ドラ「虎に翼」を見ていて興味を持ち調べてみました。

昭和に入って、1929年の世界恐慌が始まります。
これは単に経済だけでなく日本における医療にも大きな影響がおよびました。
労働者や農民の生活は圧迫され、国民の体力は著しく低下しました。
徴兵検査の際に徴兵免除となる不合格者は大正末期の1920年には千人あたり250人であったものが、1930年代になると300人から400人に増加しました。さらに疾患による死亡者数は増加し、厚生労働省(当時の厚生省)の死因別年間死亡数は終戦直後の1950年まで第一位は結核でした。

そしてもくさアフリカでもおなじみの日本で結核治療にお灸を実践し、研究し発表したのが原志免太郎博士です。

若き日の原先生

 Wikipediaによりますと先生の著作は・・・

  • 原志免太郎『万病に効くお灸療法』実業之日本社, 1933年

  • 原志免太郎『灸法の医学的研究』春秋社、1934年

・・・となっておりちょうど猪爪寅子が明律大学法科女子部在学中です。当時はまだまだ医師も少なく漢方薬と鍼灸が国民の医療の主軸であった時代ともいえるでしょう。

ある意味、この時期は西洋医学と東洋医学が混在していた時代とも言えますが残念ながら日本国民は疲弊し、病気になりやすく寿命も短くなりつつある時代であったといえます。(その後、世界大戦でさらに寿命は下がります)

そして朝ドラのメインテーマにも関わってくることでしょうが世界的な戦争を直前にし日本国政府は兵士を増やすため所謂「産めよふやせよ」をスローガンとして掲げます。
そのためこの時代は高い出生率となり日本の人口動態は多産多死型となっていったのでした。

猪爪寅子が学んだ時代はそれまで以上にマタハラが女性に突き付けられた大変な時代であったと判りました。

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文