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【司馬遼太郎】人間というもの②

心に響いたものの抜粋となります。


「人間は、本来、
猛獣かひどく気味のわるい動物だったかもしれん」
と、いった。
そのくせ人間は虎のように一頭で生きるのではなく、
群居しなければ生きてゆけない動物なのである。
群居するには互いに食いあっては種が絶滅するから
食いあわないための道徳というものができた。
道徳には権威が要るから、道徳の言い出し兵衛に権威を付け、
いやがうえにもその賢者を持ちあげてひろめた。
しかし道徳だけでは、事足りない。
人間の精神は、傷つけられやすく出来ている。
相手を無用に傷つけないために、
礼儀正しい言葉使いやしぐさが発達した。
人間にとって日常とはなにか。
仕事でも学問でもお役目でもなく、
それぞれの条件のもとで快適に生きたい、
ということが、基底になっている。
仕事、学問、お役目はその基底の上に乗っかっているもので、
基底ではない。
  『胡蝶の夢一』


「快適にその日その日を生きたい、
という欲求が、人間ならたれにでもある。
あらねばならんし、この欲求を相互に守り、
相互に傷つけることをしない、
というのが、日常というもののもとのもとなるものだ」
 だから、群居している人間の仲間で、行儀作法が発達した。
行儀作法は相手にとっての快感のためにあるのだ、
と良順はいう。
「人間が、人間にとってトゲになったり、
ちょっとした所作のために不愉性な存在になることはよくない」
 『胡蝶の夢 一』


「世は、絵でいえば、一幅の画布である。
そこに筆をあげて絵をかく。
なにを描くか、志をもってかく。
それが志だ」
 継之助の志とは、男子それぞれがもっている
人生の主題(テーマ)というべきものであろう。
どういう絵をかく、ということになれば主題があらねばならない。
その主題をどのように描くということになれば
工夫(モチーフ)が必要であろう。
主題と工夫というのが、
継之助のいう志という意味であるらしい。
『峠 上』

 竜馬は、
「人生は一場の芝居だというが」
と、かつていったことがある。
「芝居とちがう点が、大きくある。
芝居の役者のばあいは、
舞台は他人が作ってくれる。
なまの人生は、自分で、
自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、
そのうえで芝居をするのだ。
他人が舞台を作ってくれやせぬ」
どうやら、竜馬がその上で芝居をすべき舞台が、
そろそろ出来あがりつつあるらしい。
  『竜馬がゆく 三』

「物事の自然を見るこそ、将の目というものだ。
当家のやりかたは、時の運と理に
かなうようかなうようにとやってきた。
だからこそ毎度の勝利を得てきた。
そなたはまだわかいゆえ、過去の勝利の結果のみを思い、
土佐兵のむかうところ必ず勝つと錯覚している。
勝つための準備、配慮
にどれほどの時間と心労がついやされたかを見ぬ」
  『夏草の賦下』


「一人の才能が土を割って芽を出し、世に出てゆくには、
多数の蔭の後援者が要るものなのだ。
ところが才能とは光のようなものだな。
ぽっと光っているのが目あきの目にはみえるのだ。
見えた以上何とかしてやらなくちゃ、
という気持がまわりにおこって、
手のある者は手を貸し、
金のある者は金を出して、
その才能を世の中へ押し出してゆく」
  『北斗の人』


 兵法の真髄は
つねに精神を優位へ優位へ
ととってゆくところにある。
言いかえれば、
恐怖の量を、
敵よりもより少ない位置へ位置へ
ともってゆくところにある
といえるであろう。
  『十一番目の志士 上』


 宮本武蔵などもその自著のなかで、
「自分は一生に六十余度の試合をしたが、
いちども敗れたことがない」
といっているが、
この武蔵でさえ、試合をする場合、
相手の力倆、癖を研究した上、
かならず勝てる、
という相手でなければ太刀をとらなかった。
(それは卑怯ではない)
と、この物わかりのいい若者はおもっている。
相手が自分よりも弱い、
と見きわめられるだけの目が、
すぐれた剣客であるための資格のひとつなのである。
  『北斗の人』


 将才のなかで、才能として分類できるものは、
賭博の才しかないのではないか。
あとは、性格として分類されるべきであろう。
 まず、名将とは、人一倍、臆病でなければならない。
臆病こそ敵を知る知恵の源泉というべきもので、
相手の量と質、主将の性格、心理、
あるいは常套戦法などについて執拗に収集する。
ついで、自分の側の利点と欠点を考えぬくのである。
  『韃靼疾風録 下』

 薩摩人は、ほとんどこれは風土性とまでいえるが、
心情的価値観として
冷酷を憎むことがはなはだしく、
すべてに心優しくなければならない
ということを男子の性根の重要な価値としていた。
このことは対人関係において
ついひとの優しさに釣りこまれてゆくということにもなるが、
川路にもそういうところがあり、
たとえばかれの短い生涯を特徴づけていることの一つは、
部下を一度も叱ったことがないということであった。
  『翔ぶが如く 一』


 ふつう、薩摩では
ひとびとを動かさねばならぬような重大事を決定する場合、
上からそれを命ずることはすくないように思える。
たとえ西郷がそれを思いついても、
「どうだ、これをやろう」
とは、決していわない。
 西郷だけでなく、桐野や篠原といったような大幹部でさえ、
みずから下命者になったりする場合はすくない。
あくまでも下から盛りあがったかたちにしてゆくのである。
  『翔ぶが如く 四』


 西洋の軍人のことばだが、
「歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している」
というのだ。
職業軍人というものは、
古今東西、頑固な伝統主義であり、
愚にもつかぬ経験主義者である。
太平洋戦における日本軍の指揮官が、
いったん負けた戦法をその後もくりかえし使って、
アメリカ軍を苦笑させた。そういうことをいうのであろう。
が、「しかしながら」と、この言葉はつづく。
「と同時に、歴史は、
戦術転換を断行した軍人が必ず勝つことを示している」
  『国盗り物語 一』


 ドライブウェイを走っていて、
今まで左手に海が見えていたのに、
にわかに陸地が見えてきたとします。
日本人なら勘がいいので、
「これは小さな岬にすぎない」と思って通り過ぎるけれど、
外国の学者は、車を止めて、念を入れるために向こうまで歩いて行く。
ところが、結果として
とんでもない大陸だったりすることがあるのではないでしょうか。
歩いてみなければわからないし、
百ひとつも当たらないかもしれない。
日本人の勘は九九パーセント正しいんですけれども、
あとの一パーセントで差がついているようにも思います。
執念深さというのは、
どうも向こうのほうがお家芸のように思ったりしますが。
  『八人との対話』(「日本人は精神の電池を入れ直せ」)


 人間は本来猛獣であるのかどうかはわからないが、
多少の猛獣性はあるであろう。
しかしその社会が発生してからというものは、
社会を組むことによって食べ物を得、
食物を得るために社会をもち、それを維持し、
さらにはまたその秩序に適合するように
人間たがいがたがいを馴致しあってきた。
そのなかでもっともよく馴致された人間を好人物
としてきたことは、どの人種のどの社会でもかわらない。
高杉小忠太は人間の猛獣性を「剛気」とよぶ。
その「剛気がもし平均以上に過量になったばあいは
それをおさえねばならぬ。
おさえるのが人の道である。
おさえるために学問(倫理)というものがある」
と、いう。そういう人物が尊い、と小忠太は言いつづける。
あるいはそうであろう。
平均的人間がときに猛獣になるのは社会が餓えたときだが、
社会が餓えないかぎりその社会の秩序に従順で、
従順であることがその社会の維持と繁栄に役立ち、
小忠太のいう
「その中庸的人物こそ偉大である」
ということになるであろう。
  『世に棲む日日 二』


「死ぬ?  おれは死なんよ」
 竜馬は起きあがった。
「でも、人間はみな死ぬものでしょう?」
「いやおれもだんだんこのごろ
わかりかけてきたのだが、
つまりこういのではないか」
 竜馬は自分に話しているらしい。
「大和の三上ヶ岳という山は
千何百年か前に役ノ小角という男がひらいた山だそうだが、
その山上に蔵王権現をまつるお堂があって、
そこに役ノ小角がともして以来、
千数百年不滅という燈明がともりつづけている。
人間、仕事の大小があっても、そういうものさ。
たれかが灯を消さずに点しつづけてゆく、
そういう仕事をするのが、不滅の人間ということになる。
西洋では、シビリ、シビリゼ⋯⋯」
 竜馬は、文明(シビリゼーシヨン)
という言葉をいおうとしているらしい。
  『竜馬がゆく 三』


 千代は、決してのんきなたちではない。
彼女ののんきさは、母の法秀尼から教えられた演技である。
「妻が陽気でなければ、夫は十分な働きはできませぬ。
夫に叱言(こごと)をいうときでも、
陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、
男としての気おいこみをうしないます。
おなじ叱言でも陽気な心でいえば、
夫の心がかえって鼓舞されるものです。
陽気になる秘訣は、
あすはきっと良くなる、
と思いこんで暮らすことです」。
  『功名が辻』


こちらの内容は、

『人間というもの』

発行所 株式会社PHP研究所
訳者 司馬遼太郎
2004年4月19日 第1版第1刷発行

を引用させて頂いています。




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