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昭和の時代

最近、SNSやテレビなどで、「まるで昭和の時代みたい」とか、「昭和の雰囲気漂う」というのを聞いて、しばしばショックを受けた。

若い世代の人たちから見れば、昭和という時代は、私のような世代の者から見た明治時代のように、過去の歴史の一時期と映るらしい。

しかし、昭和に生まれ、昭和に育った者に言わせると、昭和といっても64年もあり、第二次大戦の戦前と戦後を一緒にしてくれるな、といいたい。

戦後生まれの昭和世代にとっては、戦前の昭和とは断絶していても、戦後の昭和と平成、令和は連続している。ただ、この連続した時代観に、彼らは違和感を覚えるようだ。

たしかに、見方を変えれば、われわれが昭和の終わったあとも連続していると思っている右肩上がりの線は、実は昭和の終わりでポッキリと折れ、水平か、右肩下がりになっているといえる。

それに気付かず、否、気付こうとせず、まだ高度経済成長を夢みているジイサン世代は、今の若者から見れば、まさに古い「昭和時代」の人間なのだ。

まだバブル時代の繁栄を夢みて、日本は潜在的に発展の力をもっている。実際、昭和の時代のような急カーブでの上昇はできなくなったが、それでも1990年代の一時的な落ち込みから立ち直り、一人ひとりの生活の豊かさにおいては、昭和時代よりもずっとよくなっているのだ、といってみても、バブル以降の平成の時代に生まれた若者には、それは実感できない。

今の平成生まれの若い世代は、物心ついてから、インターネットはあるし、携帯電話、スマホも当たり前。固定電話とか、切符を買って乗る電車も、使った記憶がある者は非常に少ない。それらを使ったことのある世代は、スマホを使ってみて時代の進歩を実感し、わが国が達成してきた高度経済成長の偉大さを感じ、若者にも共感せよ、と求めるが、それは逆に「昭和の発想」を意識させることになるのだ。

それよりも感じるのは、戦後の昭和が平成へと連続していると、若い世代が認識しているとすれば、それもまもなく変わるだろうということだ。

明治、大正、昭和、そして平成と増加の一途を辿ってきたわが国の総人口も、2008年、つまり平成20年をピークとして減少を始めた。この減少は、現在の少子化が解消したとしても数十年にわたって変わることなく続く。

人口減少は、山間、農村地域の消滅、労働力不足、税金や社会保険料の負担増等、従来の右肩上がり、拡大、発展基調の政策の方向転換を余儀なくする。そして、2020年令和2年に発生した新型コロナウイルスによるパンデミックが、決定的な衝撃を与えた。

おそらく後世からみると、この時期にわが国の社会は大きく変わる。否、わが国だけではなく、世界中の国の仕組みが大きく変わるであろう。

新たな社会の仕組みがどのようなものか。新たな社会では、まちがいなくデジタル技術が鍵となる。コロナ禍を機に、わが国でもそうした動きが加速してきたが、本格的なデジタル社会になるためには、それこそ昭和の時代のレガシーを捨てて、ゼロベースで次世代の基盤制度をデザインしていかなければならない。連続性へのノスタルジーが改革を妨げるということはあってはならない。

その意味での昭和、平成にしがみつく世代を切り捨てて、若者には、新たな社会を創造して欲しい。しかし、期待する若者に今一元気がないようにみえるのだが、大丈夫か。