物事に興味を持て、無関心を否定し過ぎるのも考え物

物事に興味を持て、無関心を否定し過ぎるのも考え物です。

感情を煽るような悲劇のニュースの内容、また、そちら側の感情面、悲劇面ばかりしか書かず、もっと物事知ろう、優しくなろう、とSNS的なもので一気に拡散をするのは、異常としか言いようがない。

似非ヒューマニズムがすごく広がっていると思うわけで。

全ての物事に関わっていられるわけもなく、割とメディアによって大きく取り上げてられていることも、大きく見えるだけで、ほんの僅かな部分でしか認識されていない小さな問題であることも多い。

それがあたかも、物凄く大きなことのようにするものだから・・・

また、近年では、とりあえずのところメディアが作った弱者側を擁護すれば良い人のように見える・・・という構造もあって、それを悪用しているようにしか見えないものまでかなり多くある。

無関心を非難する人は、本当に物事に関わっているのか?

もっと知ろう・・・

無関心はダメだ・・・

なんて非難をしている人も、各個人は自分が問題だと思っている、その物事の周知に時間をかけているわけで、他のことをそこまで多くしって、それに参加をしたり知識を収集したりするのは物理的に絶対に不可能です。

しかしながら、あたかも自分がそれを完遂しているかのように言論するものだから性質が良くない。

基本的に人間に与えられている時間は少ないのだ。

自分の業界の事、関わっている周囲の手が届く範囲を大切にすれば理屈として全体は良くなっていくだろうに、広く周知をすることに熱意を燃やし過ぎるのもどうかと思うわけで。

目の前の人や物、問題に対して関与していけば良いではないか

別に慈善事業を否定する気はないけれども・・・

例えば、世界の子どもが飢えているのだから、もっと関心を持つべきだ・・・というのは一見のところ正しく見るかもしれません。

そのような世界がもっとよくなれば良いでしょう。

しかしながら、各地域で生まれた人にはその環境で生きていき、各文化、習慣の中で生きていけば良いではないですか。

アフリカの人が困っていることを知らないのは罪のように断罪したりする人もいたりします。

しかし、そんなことばかりにかまっていられないのです。

それぞれの人の人生の中には、自分の生活環境の中でその人生をまっとうしていくという使命があるのですから。

遠くの問題を見て、中二病的に手を伸ばすより個々が目の前の人、問題の解決に当たれば基本的には良くなっていく

遠くの問題を見て、中二病的に手を伸ばすよりもここが目の前の人、問題の解決に当たれば基本的には良くなっていくはずです。

まずは地域の問題があるなら、地域の問題にそれぞれがコミットしていけば良いわけで、何も生活圏以外の、行ったこともない場所で本当に起こっているのか、起こっていないのかも分からない悲劇のストーリーに感情を揺さぶられて行動をする必要性もないでしょう。

それぞれの地域に住んでいる当事者が、その問題に当たるしかないわけですよ。

ってボクは感じるのですがね。

最低限、各個人が知識を得て、それに対して自分も何か少しでも力になれるのか?と考えるのは良いと思いますが、

他人にその価値観を持てと、興味を持たなかったら、まるで非人道的な事をしているような言いがかりをつけるような似非者だけは勘弁してもらいたい。

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