共産党宣言から援用できる点

カール・マルクス先生の共産党宣言を読むと、極端で歴史的に誤りだと証明された表現も多いが、いくつかの文は、現代の日本とアメリカに完全に当てはまる。

「ブルジョアジーは、これまで貴いものとされ、敬虔なおそれをもってあおがれてきたいっさいの仕事から、その後光をはぎとった。彼らは、医者や法律家や僧侶や詩人や学者を、自分たちのおやといの賃金労働者にかえてしまった。ブルジョアジーは、家族関係からその感動的な感傷のヴェールをはぎとって、ただの金銭関係に還元した。」

「生産のたえまない変革、あらゆる社会状態のたえまない動揺、永遠の不安定と変動とは、ブルジョア時代を以前のいっさいの時代から区別する。あらゆる固定した、さびついた関係は、それにともなう年ふりた貴い観念や見解とともに解体され、新しく形成された関係は、すべて化石化するひまもないうちに古くさくなる。すべて固定的・恒常的なものは煙ときえ、すべて神聖なものはけがされ、こうして人間はついに、彼らの生活状態、彼らの相互の関係を、ひややかな目でみつめざるをえなくなる。」

「自己の生産物にたいしてたえず販路をひろげなければならない必要は、ブルジョアジーを駆って全地球をかけまわらせる。彼らは、いたるところに巣をつくり、いたるところに住みつき、いたるところに取引先をつくらなければならない。
 ブルジョアジーは、世界市場の開発を通じて、あらゆる国々の生産と消費とを超国籍的(コスモポリテッシュ)なものにした。彼らは、産業の足もとからその民族的な基盤をとりさって、反動家どもをいたくかなしませた。古来の民族的産業はすでに破壊されてしまい、また、日に日に破壊されている。それは、新しい工業によって駆逐されてゆく。そして、この新しい工業を採用することはすべての文明民族の死活問題となる。それは、もはや国内の原料ではなく、きわめて遠い地方で産する原料を加工する工業であり、その製品は、自国内ばかりでなく、同時に世界のあらゆる地域で消費される。国産品によってみたされていた昔の欲望にかわって、もっとも遠くはなれた国々や風土の産物によってはじめてみたされる新しい欲望があらわれる。昔の地方的・一国的な自給自足と隔離のかわりに、全面的な通交、諸民族の全面的な依存関係があらわれる。そして、精神的な生産においてもまた物質的生産と同様である。個々の民族の精神的産物は共同の財産となる。民族的な一面性や偏狭はますます不可能になり、多くの民族文学や地方文学から、一つの世界文学が形成される。
 ブルジョアジーは、すべての生産用具の急速な改善によって、また無限に容易になった交通によって、あらゆる民族を、もっとも未開な民族までも、文明にひきいれる。彼らの商品の安い価格は、中国の城壁をもことごとくうちくずし、未開人の頑固きわまる外国人ぎらいをも降伏させる重砲である。ブルジョアジーはすべての民族に、滅亡したくなければブルジョアジーの生産様式を採用するように強制する。彼らはすべての民族に、いわゆる文明を自国にとりいれること、すなわちブルジョアになることを、強制する。一言でいえば、ブルジョアジーは、自分の姿に似せて一つの世界をつくりだすのである。」

カール・マルクス先生が生存していた時代は、極めて限定的なグローバリゼーションの時代であり、そのメリット・デメリットを見極めることが不可能だった。そのため、先生はデメリットを過剰評価し、メリットを過小評価された。その結果、ブルジョワジー階級の破壊、私的所有の否定という極端な考えを解決策と誤認された。私的所有までも否定しまうことで、国家に権力が独占され、国民の選択権とあらゆる種類の自由が失われ、国民の生活は更に不安定になった。

しかし現代社会においては、自動車の私的所有により、大都市を除き、1家が数台の自動車を所有することが当たり前になり、地球を破壊するまでの公害が日々起こっている。そのため自動車の台数は1/100以下にすべきであり、共有使用(シェア)か、公共交通機関としての利用、自動車を使う必要の少ない都市、町作りの設計等の手段を選択するしかない。それら手段に反対する者は純度99.9%の地球破壊者であり、地球の敵である。彼らは、ハイジャック犯や自爆テロ犯とは比較にならないほどの強力な悪影響を地球にもたらしている。100人を殺害することと80億人を殺害することのいづれが害があるかは、比較するまでもないだろう。

私的所有には制限すべき点が存在し、その点を見極めることが必要である。制限すべきではない点を制限してしまえば、巨大な不幸を生み出すからであり、歴史がその点を証明した。

自動車以外に制限すべき物やサービスは何か。新築の家やビルである。日本の1割以上の住居が空き家になっている現状において、家を新築することは、明らかに物質の浪費である。リノベーションを政治として支援するという段階はとうの昔に過ぎ去り、リノベーション以外を規制する段階に来ている。

高温多湿地域に住むアジア人や南米人は、新築や新しい物を優遇する。その判断はDNAレベルになっているだろう。しかし、地球保護の観点から、日本人はそのDNAを書き換える必要がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?