大阪都構想の住民投票否決を受けて

大阪都構想に関する住民投票が再度否決された。私に投票権はないが、前回は賛成で、今回は反対だった。大都市の二重行政問題は解消されるために、何らかの抜本的な対策は必要だと今でも考えているが、この5年間の大阪維新の会の発言、展開を見るにつけ、大阪都構想を実現する目的は住民のためではなく、彼ら政治家のためだという疑いが日々膨らみ、多くの60代以上の人々同様に、「何か裏があるのでは?」と思わざるを得なかった。
その間接的な証拠として、コロナ禍での住民投票である。通常の人を選ぶ選挙であれば、コロナ禍での政治的対策を評価するためにも、選挙の延期は好ましくない。大規模な震災で、物理的に投票できない等の特殊な状況下でのみ、延期が好ましい。しかし、大阪都構想に関する住民投票は、一度否決された政策で、かつ、前回の投票から5年しか経っていない。コロナ禍で投票すべきとは考えにくく、1、2年延期することが適切である。しかし延期せずに、住民投票をするという判断をしたというのは、あまりにも住民の状況に寄り添う気が大阪維新の会にないことが示されている。妻の10歩前を歩いている夫が、「自分は妻のことを常に大切にしている」と言ったとしても、何の説得力もない。大阪維新の会の態度はその夫と同じである。

不信感が増幅した他のこととしては、公明党が都構想自体に賛成になったが、公明党は党員に賛成票を投じるように説得できなかったことである。ニュースでは、国政選挙での候補者調整の結果として、公明党は都構想に賛成するようになったと書かれていた。しかし、公明党の石川博崇(ひろたか)参議院議員(大阪選挙区)はテレビにて「都構想に関する公明党の案が全て採用されたから、賛成にまわった」と発言していた。もしそれが事実であれば、党員を十分に説得できるはずの内容である。蚊帳の外だった5年前は反対し、蚊帳のど真ん中の現在は賛成しているという姿勢に対して反対するのは、実に不合理である。しかし現実として、そのことが起こった。その原因は、以下のいづれかだろう。
1. 公明党議員の説明が不足していた
2. 党員が議員の発言を信用していない
3. 党員が議員の発言を聞いていない、理解できていない
しかし石川博崇氏は、100回以上に渡り説明会を開催したと発言しており、1を原因とは考えにくい。2や3であれば公明党の党のあり方に大きな問題が生じているだけとも言えるが、政治不信が従来の次元とは異なり、国民と政治家の距離が絶望的に開いた可能性が高い。ある政治家が他党を支援する国民に大して信用されないというレベルから、党員からも信用されていないというレベルになった。

ニュースやSNSを観察して気がついたことは、5年前と大して主張が変わっていないことである。5年間、大して取得する気がなくとも住民は都構想について情報を取得していたであろう。5年後には、総論ではなく、各論の主張を求める人が増えていたはずである。しかし、賛成派、反対派ともに5年前と主張がほぼ変わっていない。行政を前に進めるためと言う賛成派、大阪市を廃止しても良いのかと言う反対派。総論のままであった。「大阪都構想の危険性」に関する学者所見(132名)等は発表されていたが、図書館内に埋もれた本と同様の扱いである。住民が全く勉強してこなかったために各論が求められなかったのか。テレビ業界のように、説明する相手の知性を異常に低く見積もっていたのか。

都構想を実施した後で、行政の運営コストはどうなるのかという基本的な情報すら提示せず、大阪市財政局の試算を捏造と評価した松井大阪市長の態度は、住民への説明責任が極めて限定的だったと言える。複数の試算が公開されて、どの試算が最も現実的かを議論する姿勢こそが、住民に見られるべきであった。

新しい政治体制を作ろうという希望に溢れた7年前と、利権と嘘が噴出し続けた現在。しかし7年前と同じように期待している多くの大阪市民。今後数年間は大阪は政局的に混乱し、大阪維新の会と自民党は政治勢力を維持しようともがき、不当な利権漁りに邁進するようになる恐れが出て来た。それが今回の住民投票がもたらすであろうことのひとつである。

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