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手間を楽しむ生活

中途半端な利便性、効率化のために、日本やアメリカ、ヨーロッパでは石油を浪費している。自動販売機、24時間営業のコンビニ、24時間操業の工場、貨物トラック、便数が過剰な商業飛行機等である。石油消費量を1/1000にするためには、それらを禁止する以外に方法はないが、中途半端な利便性、効率化を捨て去るためには、高度な利便性、効率性を追求しつつ、手間を楽しむことである。

ある著名僧侶が口癖として「手間を楽しむ」と仰っていたが、その一言こそが22世紀の中心になる発想である。20世紀から中途半端な効率化のために分業が徹底され、手間を楽しむことができず、労働は苦役にしかならなくなった。斎藤幸平氏も分業の問題点を指摘しているが、分業の津波はまだ続いている。しかし分業の津波は、普通の津波のように古い建物を流してくれる効果はなく、単に人々を堕落させただけである。

分業の結果、労働者は疲弊し、消費者は堕落し、両者はメタボになり、医療費を通じて国費を食い潰す。そして、そのツケを若者に押し付け、若者は生活が成り立たないほどの薄給で働かされて、奴隷化している。50歳以上の医療費は100%自己負担かつ薬の投与量は現状の1/100にすべきで(難病指定者や障害者は除く)、50歳以上の人々にあらゆるワクチンは不要であるだけでなく、害を生むだけである。

多くの分業を法的に規制することで、石油消費量を抑え、生きる意味を感じられる生活をすべきである。愛情とは急に芽生えるものではない。愛情とは触れることから始まる。触れないものに愛情を持つことは難しいが、触れても愛情が芽生えないことも多い。児童虐待が例である。触れても愛情が芽生えない作業形態を全て禁止する。そのためには体制を整える必要がある。個人レベルでは1に断捨離、2に掃除、3にストレッチである。組織レベルでは、1に書類廃棄(ペーパーレス化)、2にSalesforce、Podio、Slack等でのやり取りの徹底、3に全職員の正職員化、4に10時間労働制(週)である。

現在の自民党議員の発想は、日本会議の人々の「明治に戻りさえすればあらゆる問題は解決する」という発想に囚われている。明治に戻りたくても戻れないのが現状であり、少しでも歴史を学べば、明治がいかに酷い時代であったかは明白である。

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