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開所式開催して良かったという話。

お久しぶりです、株式会社NEXTAGE代表取締役の中村です。2回目の登場。
私たちは、2月14日バレンタインの日に、念願だった静岡R&Dセンター開所式を行った。

「ミッション実現のために私たちの思いに共感してくれる強いチームを作る!」
これができるか、できないかが社会実装できるか、できないかの鍵になると思っていた。

開所式では、そのチームを作るために動きまくったことが走馬灯のように頭を駆け巡り、支え続けてくれた参加者の顔を見て自然に感謝の思いが溢れかえった。
noteと言う場を作ったのでここまでの道のりを振り返ってみる。

1.挫けそうになる毎日だったころ
この事業に取り組み始めたころ、友人知人を頼り、事業壁打ちをしてもらっていた。
「本気でやるの?」「そんな無理だよ」と言われる毎日。
それはもう飽きるくらい毎回同じコメントでwww

さすがに挫けそうになったけど、わさび田が年々荒廃していくさまを見てきて、「なんとかしたい!」と使命感が湧いた感情だけで踏ん張っていた。
だけど、やっぱり少し落ち込むこともあって、その時はいつも軽井沢のわさび田まで車を走らせてはわさび田をただ眺めていた。「やっぱりなんとかしないとだめだよ」って毎度覚悟を決めなおした。「当たり前じゃん、失敗はするかもね。だって、挑戦しているわけだから。でも諦めたらおしまいだ。続けてみよう」と自分を奮い立たせていたことを思い出す。

2.片っ端からアポ取りの連絡
事業を始めた当初は、何から手をつけて良いかさえ分からなかった。
やれることは一つ。専門家に聞いて回ろうと、屋内わさび栽培に関係がありそうな企業や大学に、半ば強引に「わさび栽培の新しい選択肢を作りたい。話がしたい」とアプローチした。露地栽培の現場も生の声と現実が知りたいと思い、数軒のわさび農家さんにも連絡をした。
会ってもらえない現実を突きつけられるかと思いきや、実は、連絡した80%以上の企業や大学の方々に時間を作ってもらえた。わさび農家さんとは唯一1軒しかお付き合いが続いていないが、今回の開所式にも参加して、私たちの取り組みを「価値があること」と全力で応援してくれている。

3. わさび栽培棚初号機
数ヶ月間はヒアリングに明け暮れたと思う。仲間は事業計画の妥当性アップデートを続け、栽培技術に関する論文を読み漁っていた。もちろん、貴重な情報にも日々触れていたが、情報収集ばかりしていても、私たちの栽培技術を確立しない限り掲げるミッションを達成することは不可能であることも、また事実だった。
2019年夏、壁にぶち当たりながらも、いよいよわさび栽培棚を作ることを決めた。
場所は当時のオフィス内。わさび栽培についてまったくの素人だったが、当時はわさび栽培に関する知識量はかなり増えていたこともあって、DIYでわさび栽培棚を作って、わさびを育て始めた。これが私たちにとっての記念すべき「わさび栽培棚第初号機」だった。

話は逸れるが、強く思えば実現するものだという話がある。
ヒアリングを進める中で素敵な出会いをした会社があった。和歌山県御坊市(旧真妻町の隣町)で屋内わさび栽培に挑戦している大洋化学株式会社だ。彼らとじっくり話し、テクノロジーをうまく活用すればわさびの「促成栽培」を実現できるという私たちの話に興味のアンテナを立ててくれた。
CEOの一言で、うちのコンテナで実証試験やってみようとコンテナと栽培棚一式を丸ごと貸してくれた。ヒトモノカネが何もないスタートアップにはこの上ない条件だった。
いまはもう閉めたのだが、私たちが試したいことを丸ごと試せる幸せな場所であり、ここで学んだことがNEXTAGEのいまの栽培技術のベースになっていると言える。

4.事業作りは仲間作り
事業スタートからずっと、私が新卒入社したエンジニアリング会社の大先輩にも事業計画の壁打ちをしてもらっていた。彼の反応も他と何も変わらない。言われることはいつも「技術屋としては取り組みたいテーマでもあるがやめておけ」だった。
諦めずにしつこくアドバイスを求めにいく私と、会うたびになんだか少しだけ進歩している感じがしたのか、ついにその大先輩から初めての具体的なアドバイス、唯一の成功条件なるものが告げられた。それがまさに「チームを作ること」だった。

「お前のやろうとしている事業に徹底的に共感し、必死になって一緒に汗を掻いてくれる企業や個人を探しなさい。できれば技術に明るい方々が望ましい。それが実現すれば、成功確率はかなり上がると思うよ」と。
冷静に振り返れば、エンジニアではない私とメンバーだけで追いかけるには、無謀なテーマに見えただろうし、私に諦めさせることも一つの目的としたアドバイスだったはずだが、当時の私は言葉をそのまま受け取り、「はい、やってみます」と回答した。

2. 200社以上へのプレゼン
仲間になってくるパートナーを探す日々。名刺を振り返ると有に200社を超えていた。
我ながら図々しいなと思うが、わさびに関連する、しないはお構いなしで連絡を取っては事業計画を聞いてもらった。会議で何も起こらなくても、最後に必ず誰かを紹介してもらい、得られたフィードバックを持ち帰っては社内に共有した。
国内は当然のこと、海外でも話が聞けるチャンスがあれば現地に赴いていた。
その中には、今ではとんでもない会社になった米国の植物工場企業もあった。作ってきた英語資料でプレゼンしようとしたら「プレゼン時間は5分だ」と言われ、汗だくだくになって説明しことも懐かしい。わさびの海外マーケットの可能性についてもよく理解できた。

3.沖縄で栽培できたら凄いかも
2021年、壁打ちプレゼンをさせてもらった1社から放たれた一言だった。数週間後、彼らのオフィスを借りて実際に沖縄での栽培実証試験が始まった。
実はこの取り組みで、会社として初めてプレスリリースを出すことになる。作成を全面的にサポートしてくれたのは同時期に紹介されたばかりの知人。「絶対にプレスリリースは出した方が良い」、彼の強いアドバイスがあった。
どうなるか全く予想できなかったが、このプレスリリースがバズった。問い合わせも急増した。それがきっかけでラジオにも出られたし、さらに幸運だったのは、アグリテック向けのピッチイベントに挑戦してみないかと声を掛けてもらった。

4.出会いと縁の繋がり始めた
これまでピッチイベントなんて出たことも無かった。けど、いつも通りのプレゼンをした。
その結果は、まさかのヤマハ発動機賞を受賞。この受賞がどれだけ大きなインパクトがあったかは説明の必要がない。その時いただいた選定コメントが秀逸だったのでシェアする。
「海外赴任の経験からわさびの海外での入手の難しさや品質面のもの足りなさを感じていたこともあり、事業の将来性や取り組まれている技術の価値を評価すると共に、日本の王道を世界にしっかりと届けていきたいという熱意を大変強く感じたことに好意をもちヤマハ発動機賞として選定致しました。」
受賞を決めてくれた担当者とはピッチイベント後すぐにミーティングをした。それからいまの今まで私たちの事業実現に本気でコミットしてくれている。
促成栽培技術で共同実証試験を進めているトヨタ紡織株式会社を繋げていただいたのも、共同実証試験場所を提供してくれたのもヤマハ発動機株式会社でした。
この辺りから、恩師が伝えてくれたアドバイス、「チームを作れ」の意味を噛み締め始めた。

5.繋いでいくことの大切さ
「そんなの無理だよ」からのスタートした取り組み。私たちの事業に共感いただいた方々の全力の応援があってここまで来たと思っている。ピッチイベントでの受賞後も、プレスリリースしたことで、導かれるように、株式会社マクニカ株式会社、株式会社イシダテック、焼津市役所、望月わさびと次々に私たちの仲間になってくれる企業や個人に出会ってきた。

彼らと何度も会話していく中で、皆様からもらう本気の応援が大きなエネルギーに変換されて、私たちの力となって、さらにもう一歩進めと背中を押してくれた。
開所式でいただいたそれぞれのパートナーの言葉に改めてハッとした。私たちは決して1社ではない。本気で応援してくれているパートナーに囲まれた運命共同体なんだと。
そう思えたから、感謝の感情が溢れ出たのだなと思った。

起業して大切だったことはと言われれば「覚悟」と「諦めずに続けること」だと思う。
私たちはこの素敵なパートナーと「新しいテクノロジーを活用して美味しいわさびを世界中に届ける」を必ず実現する。私たちの歩みを楽しみにしてください。

開所式様子


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