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生徒諸君とポリアモリー

ここ数年でよく耳にする『ポリアモリー』的なワードについてちょっと疑問がある。


私は日本語が上手じゃない日本人だ。
母語話者なのに。
喋ることでお金を貰う仕事に従事しているのに。

そんな私はレガシーにコミットするインタラクティブなエグゼクティブでPONPON!である。よく分からない。
つまり、カタカナ語については日本語以上に苦手だ。

ちょっと昔に聞きかじったポリアモリーはその人の性自認に含まれる概念だったように思う。
つまり、1人だけを愛することが出来ない性質を持っているということ。複数を同じだけ全力で愛してしまう人の事を言った。
『生徒諸君』で沖田くんと岩崎くんを選べないナッキーがポリアモリーなのだと思っていた。(←古い)


それはとても愛情豊かで、素晴らしい事だと当時の私は思った。同時に難しいことだとも思った。
相手がそんな自分を受け入れてくれるか、嘘をつかずに生きていけるのか、相手がポリアモリーでも大丈夫か、嫉妬と不安はコントロールできるか、悩むことは多いだろう。

最近は
 『配偶者のことは嫌いだけど、子供のことは愛してる。離婚する気がないから、満たされない部分を外で補うだけ。家庭は円満だから良い。』という免罪符のことをポリアモリーと呼ぶ不届き者がいる。
(オープンマリッジについてもたまにある)
配偶者の”足りない部分”を外で補うかぁ……足りない部分ねぇ?
フワッとした都合のいい言葉見つけたから使おうとしてはいないかい?

売春のことを、援助交際とかパパ活とか言うのと似てる気がする。

ポリアモリーはカミングアウトするものであって、始めるものとは違うんじゃないのかい???
んでもって、配偶者の事は全力で愛しているのかい??
そこに愛はあるんk..

ちゃんと自分で『物足りないから不倫してる』と認識しないと、認知歪んでしまうんではないかい??
ポリアモリーを免罪符に利用するのは、ポリアモリーを理解してもらおうと頑張っている人に失礼なのではないかい??

もし私のこの記事を読んだ人が、どこかでポリアモリーという単語を目にしたら一瞬考えて欲しい。
「これはカミングアウトなのか。それとも浮気の免罪符か。」


ポリアモリー(性質)を持つ人たちが行うオープンマリッジ(状態)には大きく制約がある。

意思決定を全ての関係者と話し合いをして決める、ということはもちろん配偶者の了承を得なければならない。
ポリアモリーとして生きるために、離婚してまで平等にこだわったりする。しなかったりもする。

LGBTQが多様性だと受け入れられたのは、頑張って動いた誰かがいたから。
ポリアモリーは今まだその段階だ。自分の悩みと社会の狭間で頑張っているのだ。




追記:
  結局、現在ポリアモリーはライフスタイルの概念なのだろうか?それとも性質なのだろうか??
女装癖と性同一性障害くらいの差がある気がするが、他人の生き方に必要以上に発言するのはジェンダーレストイレの二の舞になりそうだからやめておこう。

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