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羊は声を聞き分ける

聖書ではイエスのことを「羊飼い」人のことを「羊」とも呼んでいる記述がある。

彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」ヨハネ10章4~5節

神に属する者は神(聖霊)の声を聞き分けることができる。彼の声を知っているから。誰かが騙して連れ去ろうと思っても、悪い奴だと気づくことができ、それを回避できる。

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。詩篇23篇1~2節

イエスを心の中に迎え入れる時、神の霊(聖霊)が内住するようになる。その時羊飼いがいつも私たちを良い計画で導いて、必要な草と憩いを与えてくれる。なんてホッとする聖句なんだ〜。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。ヨハネの福音書 10章11~13節

良いリーダーは羊のために命を捨てるリーダーだ。コントロールするリーダーではないし、強制するリーダーではないし、私たちが滅びる方へと導くリーダーでもないし、国民を食い物にして私腹を肥やすリーダーでもない。

「草刈り場の管理人」とは、まさにこの「羊の所有者でない雇い人」だと思う。オオカミが来ると保身に走りさっさと逃げていく。そして国民が食い散らかされるのを震えながら黙って見てるか、もしくは狼の分け前にあずかっている。

人間は羊?

羊とは自分では判断できない知能が低い動物と考えられている。

でも聖書によれば、羊は「羊飼いの声」を聞き分けて、ついていくべきリーダーにつながる事ができるのだ。羊のように知能が低くても誰についていくかは判断できるはずなのだ。

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「私たちの服従が今の状況を作り出してしまった。不服従がそこから出る道だ。」- Will Witt 

何も考えずにこれ以上ただついていったらいけない。崖は近づいてるよ〜。

「国民のために命を捨てる」リーダーも存在する。私たち国民はそれを見極めることができるはず。

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