見出し画像

「ワクチン」の歴史とカラクリ

今日は「ワクチンの真実(崎谷博征著)」という最近買った本を読んでいたのだが、ますます私の知っていた世界観はガラガラと崩れ落ちつつある。

ワクチンの起源

エドワード・ジェンナーは「近代免疫学の父」として有名な医学者で、世界初のワクチンを誕生させた「ワクチンの産みの親」である。古来より伝染病から運良く回復した人々は同じ伝染病の厄を免れることはわかってはいた。ジェンナーは、乳搾りの女性たちが「牛痘」に感染しても全身には広がらないことから、近縁である天然痘ウィルスに対する免疫を獲得できると考え、天然痘ワクチンに応用した。

ジェンナーは馬の膿疱(馬痘)が牛に感染して、それが人に感染して天然痘になると信じ込んでいたようで、主に馬の膿をワクチン(種痘)として使用していたそう。ワクチンというと聞こえはいいが、実際には腕を皮下組織までけずってそこに他者の皮膚の膿や牛/馬の膿を注入するという、かなり手荒い処置だった。

その頃は顕微鏡も病原体という概念すらもなかった時代。のちになって、実は牛痘と天然痘は全く別物で無関係であったことが判明。牛痘はいわゆる「できもの」で、感染症ですらなかった。一方、天然痘は人のみに感染する病気。

じゃあ、ワクチンという名で何を注射してたのか?

それは「バイ菌」です。この注射により、結核、らいびょう、梅毒、淋病などが蔓延した。ジェンナーにワクチン打たれたかの有名な彼の8歳の息子も実は生涯体調がすぐれず、20歳に結核で亡くなっているそう。

しかし天然痘は撲滅され、ジェンナーは今でも英雄視され、ワクチンは絶賛されている。

何が感染症を減少させたのか?

それは上下水道の整備と、衛生及び栄養状態の改善だと、崎谷氏は語っている(p56.)。天然痘の激減と、下水道の完備は時期的に一致する。これは文末で紹介するよしりんの話とも合致していて、よしりんはそれに加えて奴隷制度の改善について言及している。というのは、それまでは、奴隷や借金を返せない人が以下の写真のようにブロイラーの鶏ごときに押し込まれていたからだ。「レ・ミゼラブル」を観た人はお分かりかと思うが、当時の平民の生活は栄養、衛生共に劣悪極まりない状況だった。

『ワクチンの真実』(p57)から↓

画像1

ワクチン導入すると減少する「カラクリ」

この話も私的にはむっちゃ衝撃的だった。ポリオワクチンは1955年に導入されたのだが、ワクチン導入と合わせてポリオの診断基準が変更されたのだそうだ。この診断方法に変わると、ほとんどポリオの存在を証明できなくなり(つまりポリオの原因はそもそもウィルスではなかった)、めでたくポリオ撲滅に成功した。そしてそれまでポリオと診断されていたものが、ギラン・バレー、重症筋無力症、横断性髄炎、慢性疲労症候群窓と診断されるようになった(「ワクチンの真実」p67 写真参照)。つまり病名付け替えによって撲滅成功したというわけだ。

感染症の再定義と数字のマジックを使えば、いくらでもワクチンの有効性など操作できる。

画像2

....これって、新コロと似てないか??

と当然思うよね?陽性者数増やしたければ、PCR検査数を増やす。事故死、肺炎、癌が直接の死因でも、死亡時に陽性であれば「コロナ死」と判定する。ワクチン接種後は、どんなふうに判定基準が変わっていくのだろう?とりあえずct値は下げるんだろうな。死因も主原因を書きなさいと言われたり、金銭的なインセンティブが減ったりするのかもしれない、と想像したりする。


感染症の定義も、ワクチンの定義も、「集団免疫」とか、今まで当たり前に思っていた枠組み自体から見直さないといけないようだ。ワクチンが全くの詐欺だとまでは思わない。しかし、真実は何かを突き止めていく時、今までの理解とは違った景色が見えてくるだろう。

最後に:

1)ワクチンには大きな利権が絡んでいることを抜きに、ワクチンは語れない。

ワクチンには、とんでもない巨額が動く。だって病気じゃない人にもみんなに打てるんだもん。よしりんの動画にもあるように、病院にとって、予防接種は大切な財源だそうだ。もちろん悪意を持ってやっているわけではないとしても「オトナの事情」が絡んでいるのは否めない。

2)「医療ってなんだ?」「健康って何だ?」と改めて考える時に来ている。

どうしてもそこに行き着いちゃうよね。私たちは西洋医学の枠組みにすっかり慣らされてしまったけれど、これを機に変わっていくのかもしれない。感染症の予防も免疫を上げること以上に大切なことはないことが今回よーくわかった。

生きる、ってどういうことか?健康って何なのか?健康な食生活、十分な睡眠、太陽の光を浴びて、人に仕えて、ハッピーに毎日を過ごす。これ以上大切な「医療」はないし「免疫」はないんだろう。

人間の免疫は素晴らしく良くできてる。そこに立ち返り、人体を操作することよりも、その創造主の意図に根付くことが大切だと改めて思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?