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マスクがもたらす弊害と、マスクをしつこく推奨するワケ

改めて、マスクがもたらす弊害と、なんでそんなにもマスクを推進するのかをまとめてみた。

まず、健康な人がマスクをすることでウィルス感染を防げるという科学的な証拠はほぼない。マスクの目の大きさとウィルスの大きさを比較すると、縦3つ重ねたサッカーゴール(マスクの目30μ)とビー玉(ウィルス0.1μ)の差がある。無症状の人がマスクすることによってリスクを下げるという確実なデータもない。飛沫、唾を防いでいるというのがよく言われることだが、表面に付着したウィルスの方が空中浮遊しているウィルスより長生きする。マスクつけてると、マスクをしていることで、ウィルスやその他細菌がそこに付着して、いつまでも留まる。

1)健康面におけるマスクの弊害:

第一に、マスクを一日中着用していると、体内に取り込む酸素の量が減ってしまう。すると、ぼーっとする(集中力低下)、だるい、疲れが取れない、頭が痛いなどの症状が現れる時がある。また酸素量が減るため、ミトコンドリアの活性が下がるので免疫が下がってしまう。また、子供は、発達中の頬の筋肉に影響により、歯並びが変わることだってある。

マスクをすることで口腔環境が変わるので、雑菌が口腔内に繁殖して、歯周病等の問題が増えているそうだ。ちなみにコロナで重症化した人には歯周病の人が多かった。これからは熱中症も心配だ。

2)心理学的な弊害

マスクをすると当然ながら、顔が半分以上見えない。これはコミュニケーションへの影響を及ぼす。特に幼い子供たちは、表情を観察しながらコミュニケーションを学ぶ機会を失ってしまっている。

それだけじゃない、顔が隠れるということは、犯罪者に有利ではないだろうか。また顔が見えないため、責任を取らない行動も助長しえる。BLMやアンティファによる暴動も、マスクなしだったらここまで拡がっただろうか、と思う。

3)社会的な弊害

マスクは人を「(マスク)してる人」「してない人」と二分してしまう。マスクは顔につけるもんだから、すぐにわかっちゃう。マスクに異議を唱えている人も、コロナ自体に矛盾を感じている人も、同じように振る舞わなければいけない、というプレッシャーが働く。マスクは同調圧力を呼び込む社会形成のツールとなりやすい。

ソーシャルディスタンシングによって人々は孤立させられている。昨年から友達との飲み会、お茶会、近所とのBBQがめっきりなくなった。高齢者に遠慮して、祖父母の家に行く機会を減らしている家族も多いだろう。そういえば、お年寄りの認知症も増えているそうだが、交流が減ってしまったことも起因しているのではないだろうか?自殺が急増していることも本当に悲しいことだ。

なぜそこまでマスクをど〜してもさせたかったのか?

いくつか仮説を立ててみた。

仮説1)ワクチンを打たせたいから(金かその他の理由で)

「ワクチンだけが解決策」というナラティブに追い込まれ、イベルメクチン、HCQ含む他の治療方法やセラピーが削除されまくった。また、ワクチンパスポートという別のプレッシャーもある。「ワクチンを打てば前の生活が戻ってくるのだ」というシナリオが繰り返し喧伝された。

仮説2)免疫を下げたいから。
なんで人類の免疫を下げたいんだろ〜ね??

仮説3)監視社会を可能にする社会主義体制を世界レベルで構築したいから
マスク&ソーシャルディスタンシング&メディア掌握は、管理社会を形成するための三種の名器だったと言える。マスクで恐れと同調圧力を煽り、ソーシャルディスタンシングで人々を孤立させ、メディアで絶え間なく吹聴することで洗脳する。こうして、個人の自由と自立、思考力が弱められ、支配層が世界全体をより支配しやすい状態に育てられていく。

仮説4)酸化グラフェンをいっぱい取り込んで欲しいから。

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じゃあ、どうやって生きればいい?

提案1)マスクには弊害があることを認識した上で、マスクとうまく付き合う。やむ終えない場合はまだしも、せめて散歩の時は外されることをお勧めします。

提案2)免疫を上げる。健康的な生活とは、本来の人間らしい営みに立ち返る生き方だと思う。体に良いも自然のものを食べ、運動し、朝日を見つめ、笑って過ごす。そういったシンプルで満たされた生活が体にエネルギーと判断力を与えてくれる。

提案3)情報を「受ける」から「追及する」へシフトする。まず、意味もなくテレビをすぐつける習慣はやめたほうがいい。テレビはどのチャンネル回しても同じメッセージを発している。そうすると「みんなこうしているからこれが現実だ。これしかないんだ」と簡単に思い込まされてしまう。

情報は、勝手に入ってくるものではなく、自分で選んで取捨選択して取り込むものだ。判断力を用いずにただみんなと合わせてついて行っても、一緒に崖から雪崩落ちてしまう。真実を愛し追求することは、社会全体にとっても最終的に益であり、そうして初めてよりよい次世代を残す希望も見えてくるだろう。

本記事の音声バージョンは:https://youtu.be/D5pCtCuk2jU

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