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「ガリ勉の男」はモテないが「知的な男性」はモテるワケ

この文章はショーペンハウエル『知性について』のパラフレーズです。

学ランを着用のうえメガネをかけ、机に向かって必死に問題を解いているガリ勉。

持ち前の知識を活かして周囲の人間から尊敬の眼差しを集める知的な男性。

この差はなんでしょうか。
「情報のインプット」という共通点がありながら、ガリ勉はなぜマイナスのイメージがあるのでしょうか。

東大か、パーティか

ガリ勉は、必死に勉強する学生の姿を想起させます。

靴は履かないのか?

大人を形容する際に、ガリ勉ってあまり使いませんよね。

ガリ勉は言うなれば、
「ガリガリと書く音が聞こえるレベルで受験勉強に勤しむ人」
でしょうか。
試験に備えて、一生懸命、参考書の知識を頭に詰め込んでいる印象です。

それに対して「知的な男性」とは、持ち前の知識をその場で最適な形で披露し、周囲から尊敬の眼差しを向けられている状況を想起させます。タートルネックを着たパーマのイケメンが僕の脳に今、笑顔でこちらを向いています。

つまり、ガリ勉は得た情報を脳内留めておき、試験会場までこぼれないように運び込み、答案用紙という荷捌き場に降ろす人たちです。

知的な男性は、蓄えている情報の幅が広いもしくは応用が効く形でインプットされており、場所や状況を問わず、アウトプットすることに長けている人のようです。

ガリ勉の努力が報われるのは試験会場のみであり、
知的な男性は社交が発生するすべての場所において力を発揮します。

自分の頭で考えてるヤツのほうがモテる

ガリ勉と知的な男性との決定的な差は、「思索の量」です。

知性のある人は、得た情報をそのままの形で覚えるのではなく、誰かに伝えることを想定したり、どのような場面で活用できるかを自分の中で解析します。知識に経験的要素が混ぜ込むのです。そうすれば、知識はより定着し、より深くなります。

マネキンの服装を、思考停止でそのまま真似するのではなく、
「多分、自分の体型と顔ならアウターは変えたほうがいいな」など、
頭を使わない限り、ファッションセンスは身につかないのと一緒ですね。

知識が豊富で引き出しが多く、アウトプットに気を遣っているので、説明が上手くて笑いも生む。
そんなやつ、絶対モテますよね。せめて服装のセンスが壊滅的であってほしい。

知的な男の例

ガリ勉と知的な人との差は、この知識の応用力です。
青チャートから学んだ知識で日常会話は成り立ちません。

情報に柔軟性を加えることができているか否かが、
ただインプットをしただけの人と、知的な人とを分ける条件です。
ただ高学歴なだけの人が、使えない、と評価される理由かもしれませんね。


余談

ショーペンハウエルは「自分の頭で考えないやつは愚かだ」的なことを彼の著書に散りばめています。読んだ方はご存知かと思いますが、思考力のない人間を引くほど下に見てます。

『ご冗談でしょう、ファインマンさん 下』にある、ただの学んだだけの人と、知識を咀嚼した人との差を表現した、私の好きな1シーンを紹介してこのnoteを終えます。
(私による若干の変更あり)

彼はギリシャ語の学位をとるために試験を受けにきた学生に、
「真実と美との関係についてソクラテスがどう考えていたか?」とたずねてみた。学生は答えられなかった。そこで今度は、「饗宴の第三部で、ソクラテスはプラトンに何と言ったか?」ときいたら、学生は急に元気になって、一語一句まちがえず暗誦してみせた。

ところが、その饗宴の第3部で、ソクラテスがプラトンに話したことこそ、真実と美の関係だったのだ。


おわり

X:https://x.com/MajinNewType

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