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【A=A/第二回】 外を眺めに

成田空港に行くのは実に7年ぶりのことだった。
僕の地元からは直通バスが出ているから、空港へのアクセスは非常に便利だ。昔は京成ライナーか成田エクスプレスしかなかったアクセスも、今や関東近県のあらゆる場所からバスが通っている。さもよく使う口調で喋ったが、あくまで7年ぶりだ。バスは高速を駆け抜け、都内を走り、湾岸エリアから千葉県に入る。成田空港は千葉県の北側にある。なかなかに遠いくせに、以前の呼称は「新東京国際空港」だった。なかなか大胆なことをしている。

僕は移動の時に外を眺めるのが好きだ。
高速道路はいつも遠くを眺め、少しずつ風景が変化していくのを楽しんでいる。
成田までの道ははっきりとした変化があって楽しい。ベッドタウンは街並みも穏やかだし、工業地帯は、景色を見るだけで自分たちが産業を支えているという自負が伝わってくる。目線を遠くから近くへ。
ふと隣の車線に目をやると、昼間の高速道路は白いセダンの営業車が多い。
その多くは神妙な顔をして次の場所へ車を走らせていた。思わぬところで社会を感じてしまい、少し切ない気持ちになる。ごめんなさい、僕は今から海外に行きます。心の中でそう告げていると、いよいよ成田空港が近づいてくる。

第一ターミナルでバスを降り、成田空港に入る。よくよく見ると要塞のようだ。
ほぼ初めてに等しいので、入口を探すのに手間取った。一歩踏み入れると、
空港の高天井と一気に国際色が増すあの空気は、独特のワクワク感を与えてくれる。これが他には感じられない旅の醍醐味の一つ、といえば、皆分かってくれるだろうか。

チェックイン、手荷物預けを済ませ、登場までの時間を待つ。
シンガポールへは夕方に発ち、現地時間の深夜に着く旅程になっている。
正直搭乗までの時間はブラックホールのようなもので、何をしていたかはよく覚えていない。別にラウンジを使えるわけでもないし。一つ覚えている事といえば、なにか覚悟を決めたように「日本食としばしの別れ」とうどんを平らげた事くらいだ。

搭乗時間が近づく。
今回は大きいスーツケース一つを預け、手持ちのリュックにカメラやらパソコンやら、今回の旅に必須で絶対に無くせないものをパンパンに詰め込んでいた。特にリュックは、側から見ても結構な量だった。重たい荷物を背負って、広い成田空港を抜け、搭乗ゲートまでたどり着く。空港の壁は、飛行機が見えるように一面ガラス張りになっている。これから僕を含む旅客を連れていく飛行機がガラス越しに見える。飛行機はフォルムがシュッとしているから、大きくてもふてぶてしさがない。
搭乗が始まると、チケットのグレードが高い順に客が飛行機に入っていく。
ようやくエコノミークラスの搭乗アナウンスがされ、いよいよ7年ぶりの飛行機だ。
ボーディングブリッジを抜け、さあ搭乗。

とは行かなかった。

「Hey,excuse me?」

黄色い工事用の蛍光ベストを着た外国人の女性にいきなり呼び止められた。

「Come here.」

突然手招きされ、急にボーディングブリッジにある溜まりのような場所に連れて行かれる。え?なんだ、、?なんか悪いことした?顔怖かった??え?なに、、、
完全に「7年越しに飛行機に乗る感動シーン」に入り込んでいた僕は急に現実に引き戻される。

「Open the bag. What do you have?」

的なことを、不気味なほどにこやかな笑顔で詰められる。もしかして俺はなにかいけないものをどこかで入れられたのだろうか。密輸のなすりつけ?こんなところで人生を終えたくない。でも英語がまともに喋れない。困った。とにかく無罪証明せねば。

「Camera and PC and...」

必死で説明しようと試みると、

「Ahhhhh OK OK. Thank you♪」

と陽気に返されて終了した。なんだったのだこの時間は。
僕だけが感じていた7年ぶりの飛行機との感動の再会を邪魔された気分だ。どうやら荷物がパンパンだったから、念押しの確認だったようだ。でもこういうところの検査官は無愛想な人が多いだろうから、海外旅行ビギナーの僕には優しい人だった。

さてようやく搭乗し、エコノミークラスの席に座る。
比較的搭乗率は良い。航空券の予約がギリギリになって、まだ空いている席を取ったそうだから、シンガポール日本間の需要は相当のものなのだろう。
さっきの蛍光ベストのお姉さんとのやりとりを振り返り、あまりに自分が英語を喋れていないことに気づき絶望する。これでは一週間生き抜くことができない。現地人と会話ができない。さらっと絶望的な気持ちになっていると、飛行機はもう動き出していた。少しずつ、滑走路に近づいていく。
まだ薄明るい夕方の成田空港だが、すでに滑走路の道筋を示すライトが、地面に灯っているのが見える。僕が乗る飛行機も、飛び立つ順番を待っている。
僅かの時間に、多くの飛行機が飛びたち、降り立つ。世界ではあらゆる飛行機が、僕たちの移動の自由を支えている。その様を見るとつくづくすごい世界を生きていると感じるし、管制塔は偉大な仕事だ。さぁ、エンジンがかかり、滑走路を走り出す。巨体は少しずつ速度を上げ、やがて地面の灯は固体から筋のようになった。すごい速さだ。

ずっと外を眺めながら、考えている。何事も思い切りの良さは大事だと思う。
降って湧いたような海外行きは、まるでそこに自分の意思がないかのようにトントンと当日を迎えた。困ったものだ。正直今日バスに乗るまで、実感はなかった。
でもこの飛行機が空中に浮いた瞬間、僕はもう戻れなくなる。
ただ戻れないこの状態こそが、何かを変えていくのかもしれない。

気づいたらしれっと飛行機が浮いていた。バスからは具に見えていた景色も、飛行機から見れば細々していて感動がない。何かがいつもと違う。
始まったし、始まってしまった感じがした。