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もういいんじゃない?

天職は子育てだ!と言えるくらい
子育てが楽しかった。
子どもの能力を引き出し伸ばしていくのがとても楽しかった。
結果、2人の子どもは自分の能力で道を切り開いていける大人になった。
それは、子どもたちからも言葉に出して、感謝を伝えられるくらい、本人たちも実感しているようだ。

何が楽しかったというと、とにかく、個性の違う子たちで、大変だったけれど、毎日がとても面白かったのだ。
例えば、長男ゲンは、私に怒られると、大きな声で窓から外に向かって「誰か助けて〜!殺される〜!!」と叫んでいた。
今なら、そんなこと叫ぶと通報されるレベルだが、当時の団地はみんな顔見知りでご近所さんも笑っていてくれた。

虐待でもないし、体罰も与えてはいないのに、外に向かってアピールをする
賢いのか、ズレているのか(後者だ)。
ゲンとのそんな日々も楽しく笑えていた。
だって、助けて殺される、とか言います??

そんな状況を観て育った2つ違いの次男ショウは
決してそんなことをしないのだ。
要領よく、立ち回っていくのだ。
できのいい子、賢い子と言われていた。

子育て話はたくさんあるけれど、今日書きたいことはソコではないので割愛。

息子たちは、東大を出て社長になり、もう一人は国立医学部を出て医者になった。
ソコまでスルスルと進んでいった。
現在、本人たちは最高の伴侶を持ち、望む生き方ができている。
子育ては大成功だったと思っている。

そして、去年の頭まで、進行性の難病で重度障害の夫を自宅で24時間介護をわたしはしていた。
余命よりも遥かに長く生きて、最後まで好きなことができるよう、全力でサポートした。
自営業だった仕事も全て辞め、夫の介護に専念した。
それは、わたしのカンと、やりたかったからやっただけだけれども、やってよかったと今でも思う。
夫をほったらかしにして仕事をしていても、きっと何にも得なかったと思う。
7年間介護三昧で、世の中から離れていたけれど、全く後悔はない。
慣れない介護の世界でストレスばかりでいろんな病気になったけれど、それもしょうがない。

と、ここまでの人生、わたしめちゃくちゃ頑張ってきたよな、とつい先日ふっと思った。
去年、夫が突然亡くなって、仕事をやらないと!食い扶持を探さないと!とすごく焦っていたけれど、
それよりもっと焦っていたのは、2つある。
①才能を生かして世の中の役に立ちなさいと、子育てしてきたのに、これからわたしはどうやって世の中の役にたてばいいのだろうか、と自ら言った言葉に責任を取らないとなぁと焦ってしまっていた。
②世の中に必要とされていないのではないか?という焦り。

要するに、頑張るのが好きで、全力投球が好き、生きがいが急になくなって、焦っていたのだ。
そして、自分がちゃんと立たないと子どもたちに示しがつかないなぁと思っていた。

しかーし、先日、ふと気づいたのだ。
わたし、子育てもちゃんとやった。
介護も全力でやり切った。
これまでの人生、全力で生きてきたよね
その上、これからもっと上を目指そうとなんかしなくていいじゃん
と、思えたら、すごく楽になった。

そう、わたしは、やり切ったから、これから世の中の役には立とうとしません。
役に立つ時は勝手に立つし
はい!わたし世の中の役に立ちます!!って言っても立たないものは立たないし
何よりそもそも、世の中の役になんて立たなくていい。
自分の人生、楽しく過ごせたらいいんじゃね
楽しく過ごしている姿をどこかの誰かが見て、「おっ!なんかいいじゃん、この人」ってなることもゼロではないし。
(それもそうならなきゃってことではない)

息子たちにかけた呪縛
「才能を活かして世の中の役に立ちなさい」はもう封印します。
いいの、いいの、生きてるだけで、それだけでいいの。
高いとこなんて目指さないでいいの。

才能を活かす仕事をするのはいいけれど、世の中の役になんて立たなくてもいい。
と、社会復帰元年の2023年にようやく気づきました。

新堂きりこ

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