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お誘いいただく、そして気づく

お昼前なのに、noteに書く話が早速できたので、書いています。
先ほど、お隣のお母様に「うちの家で講師が行うパソコン教室に参加しない?」
とお誘いいただく。

これまで通っていたパソコン教室が閉鎖されるにあたり、継続するためにご自宅に講師の方がいらしてくださるそうだ。
ご自分一人では申し訳ないので、何人か希望者がいれば集めようとされているそう。
お世話好きで、勉強熱心で、真面目な方だ。
↑ココ、そうココ。

私とは全く異なる、コツコツと積み上げていく方のよう。
もう20年以上、お隣さんだけれども、年齢が違うし、私は仕事や介護で日々忙しくしていたので、じっくりと話す機会はなく
むしろ、ご近所付き合いを避けていた(時間がないので)くらいだから
先ほど、学ぶ意欲が素晴らしいなぁと気づいたくらいだ。
遅すぎる、、、。

いやいや、今日の話はそこではないのだ。
自宅パソコン教室に参加すること
うーむ 難しい。
例え、お隣で徒歩10秒でも、決められた時間に参加するとか無理、、、。
まず、パソコンについて学びたい気持ちがない。
ネットで調べたら出てくるし、感覚で触っていたらなんとかなる(なってきた)。

要するに、縛られるのが嫌なのだ。
決められた時間に座って人の話を聴く、、、うーむ、苦痛。
よぽっど、自分の興味のある話なら聴く、むしろ前のめりで聴く!!!

そうそう興味のないことに(ごめんなさい)、時間を縛られるとか無理なのだ。
お隣さんやご近所さんと会話しながら、見えてくる自分の特性。
夫が亡くなってから、自由を得てから、ますます縛られることが苦痛になっている。

私がどれだけ、協調性がなく自由人なのかをお伝えし、その場を離れる。
その会話と時間の中で、自分の特性にしっかり気づかされた出来事だった。
今、私を縛れる、いや言葉が違うな、
今、私を動かせるものは、犬だけだ。
犬のためなら「自由」を横に置ける。
なんだこれ、私を止められるのは、犬だけなのか?
悔しいけれど(別に悔しくはない、ちょっと書いてみた、文章的に 笑)犬だけだ。

パソコン教室で学びたかった?私?
いや、それはない。
いつか学びたい時が来るかもしれない、その時までお隣で自宅パソコン教室が継続されていたら。
でも、決められた時間にじっと座っていられないだろうな。

小学校1年の先生が嫌いで、勝手に家に帰っていました。
そんな私です。

新堂きりこ


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