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私が書く理由(1)

人生で初めてだったかもしれない
人の死に目にあったのは。

昔、母方の祖父と父方の祖母が亡くなった時
会いに行った記憶はあるが、ほとんど覚えていない。


以来、親戚が亡くなるとか
友達の親御さんが亡くなるとかはあったが
型通りの挨拶をする位で
全く自分に置き換えることはなかった。


夫が亡くなって様々な経験をして
ようやく人の気持ちが少しわかるようになってきた。


当事者にならなければ理解できないほど
死はとても遠いものだった。


夫の死で
人は必ず死ぬんだと初めてわかったし
大切な人を失う悲しさは
とてつもない恐怖になって私に残った。


その一方
どうせ死ぬんだから、頑張っても一緒じゃないか
どうせ死ぬんだから、人生を思いっきり楽しまなきゃ損じゃないか
と考えがだんだん変化している。


夫を亡くしたことはとてもつらいことだけれど
私に人生の方向転換をさせてくれる
良いきっかけになった。

自然の多い田舎でのびのび育った子ども時代。
人を疑うことがなく
みんな良い人ばかりだと思って安心して生きていた。


両親は真面目だけれども仕事に恵まれず
いつもお金がないと言っていた母。


父は私のように
後先考えずに生きているタイプで、自由な人だ。


私は、将来の夢はなんとなく描くけれど、
あくせくすることもなく、ただぼーっと生きていた。


社会人になった20代
仕事に魅力を感じることなく
夫と出会い結婚し、出産を機に退職。
子育てに専念した。


2人を産んで
幼稚園に行かせるお金が足りないことに気づき
働き始める。
販売職やパートを経験し
同年代の女性と仲よく楽しい日々を過ごした。


30代に入ってすぐ、大手企業の現地採用となり
そこから営業マン生活が始まる。
この営業は本格的なものだった。


仕事を始めてすぐに、体調を崩す。
暑い夏の盛り
左耳から音が全くしていないことに気づく。
何の音も聞こえない。
突発性難聴だった。


いくつもの病院を周り、聴力の回復は難しいと言われる。
最後に行った耳鼻科の先生が
「私が治してあげるよ、大丈夫!」と言ってくれたその一言で
「あー私の耳は治るな」と確信した。


その病院に2か月ほど入院し
高音以外は完全に音を取り戻すことができた。


病院内には、たくさんの同じ病気の人がいたが
その時ほぼ完治したのは、私一人だった。


私より若い大学生は完全に音を失っていたし
片方だけでなく反対の耳の聴力を失っている女性もいた。


発病しながらも、私は運がいいのかも
ってことにうっすら気がついてた。

売り上げ目標が定められた営業の仕事は
病気になる位、ストレスも抱えていたけれど
人に会う仕事で、問題を解決し力になっていくことが
私にはとても合っていて、楽しくもあった。


成績はいつも中の下で、よくも悪くもない。
跳ねることも落ちることもない
中途半端な成績。


一流の会社の人たちから学ぶことは
刺激が多くてとても楽しかった。


その頃から、私の勘違いが始まる。
断然稼げるようになった私は
自分はすごいんだと勘違いをし始めていた。


デキる人たちの中にいることで
さらに、勘違いが加速したように思う。


よく言えば
本来の私の能力が発揮され始めていて
水を得た魚のように
毎日がつらく大変だけれども、楽しかった。


仕事の楽しさに舞い上がり
虚栄心ばかりが大きくなり
自分はすごい能力を持っているんだと
全くの勘違いをしていた。


夫は、私の仕事ぶりを褒めてくれて
自由にやらせてくれた。


いつもそう。
夫は私を丸ごと認めてくれて、好きなようにやらせてくれる。
だから、夫といるのはとても居心地がよく、大好きだった。

突発性難聴を患った時
生き方を変えよう」と本気で思った。


けれど、病気が治ってくると
すぐに忘れてしまう。


あの頃、真人間になり
虚栄心や身の丈知らずな野望を捨てていたら
まだ夫は元気に生きていたんではないかと思う。


それくらい、やりたい放題だった。
人生は、私の思い通りになる!
と鼻息荒く生きてしまっていた。


私は
病気になったり
大切な人を亡くさないと
「生き方を変える」ことはできないんだなと痛感している。

介護生活は本当に過酷だった。
ストレスは営業マン時代よりもはるかに大きかったと思う。


夜は眠れない
胃は痛い
プライベートがないし
夫が日に日に動けなくなっていくのを見るつらさ。


毎日泣いて、毎日怒っていた。
たくさんの病気になった。
病気になるもの当然だと、今はわかる。


あの時、生き方を変えていれば、
今日は違う日になっていたかもしれないな。


でもそれができなかった。
私の最大のウィークポイントである
夫を失うことをしないと、気づけない。

人生には絶えず
メッセージが降り注いでいる。


それを受け取って気づく人と
気づきもせずに間違った道を進む人。


その差は歴然。


でも、気がつけないんだから
それは 学びなのだ。


ようやく
私はメッセージに気がついた。


この世に生まれてきた幸運を知り
この人生を味わうために
自分の使命を世の中に提供していくのだ。


その一つが、書くこと。
だから私は書いているのです。
       (5ヶ月目)

新堂きりこ

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