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やりたいことを語っていたようだ

パソコンの動きが何だかヘン。
記事を書きたいけれど、全く反応しない。
こんなことはこれまでなかったことだ。
電源を数回落として
ようやく今書き始めることができている。


このパソコンは、夫が亡くなってすぐ
息子たちからプレゼントされたもの。


持っていたパソコンは自宅介護では必要ない。
スマホとiPadがあれば十分だったし
そもそもそれさえも使う時間と余裕もなかったから
息子にあげた。


そんな私にパソコンが届いたワケ。


夫が突然亡くなった、その日の通夜の夜
家族親戚が集まって飲んでいる時に
私、結構酔った勢いでいろんなことをしゃべっていたようだ。


「これまでの波瀾万丈人生を文字にして世に出す」だの
「それを私にこれからの仕事にする」とか
noteを始めることを自ら通夜の夜に語っていたそうだ。


あまりのつらさと現実とは思えない状況に
お酒を飲みすぎていた私には
その日の記憶はうっすらとしかない。


その話を家族は聞いていて
息子たちが「このままじゃ大変だ
パソコン買って何かをさせよう」と思ったらしく
猛スピードでパソコンがプレゼントされることになったのだ。


あれから8ヶ月が経った今
予言?は本当になりあと3日もすれば
宣言通り私はnoteデビューすることになる。


ただただ書き溜めていたものが
誤字脱字や文章等を自己校正して
世に出ることになるのだ。


だから、このパソコンに向かって書いているときは
息子たちの思いもしっかり入っていて背筋が伸びる気がする。

いよいよnoteをオープンにするにあたり
このパソコンも緊張しているのかな。
これまでなったことのない、フリーズとかするのだから。
新しいのに、、、。


最近思うのが、モノにも感情?意識?みたいなのもがあって
大切にすれば応えようとしてくているように
noteを世に出すことで私と同じく「緊張」しているのかもしれない。

noteが誰かに刺さるかどうかさえわからないけれど
とにかくやってみてから考えよう。
今は、オープンに向けて、メンバーシップまわりをやっているが
これは後回しでもいいのかな
それすらわからない初心者がnoteを始めるのである。


大丈夫か?
でも、やるけど。

何だかスムーズに動かないパソコンを触っているうちに
一番最初に書いた記事を読んだ。
やっぱり、書くだけ書いていてよかった。
リアルな気持ちがストレートに書かれてあって
自分のことながら
他の人が書いているかのような気持ちになった。
あー、すっかり忘れていることがある。
あの時、そんな気持ちだったのかぁ。


今思い出して同じような文章を書くことは絶対に無理だ。
あの時の気持ちや感情はあの時書くことでしか
表現することはできない。
過去はどんどん過去になり、気持ちもどんどん変わっていく。


人が死んでしまって、それから前を向いて生きていく話が
はて、世の中のどれだけの人に刺さるのだろうか。
例えば私が、読む方だったら、刺さるな。
まるで自分の未来が書かれているかのような文章に
かなり考えさせられると思う。
ニッチニッチな方には刺さるのではないだろうか。


あと3日でいよいよオープン。
まずは自己紹介を完成させて
オープン時にきちんと出せるようにしておかないと。


さすがに、自己開示が嫌だ、苦手だ等
ウジウジしていられないところまできた。
こんなにたくさんの文章を書いてきて
世の中に出さないのは、違うだろう。

これからの人生は、自分の才能を活かす。
経験を学びに変えて、必要な人の役に立ててもらえるように
アウトプットするのだ。


しかし、まだ人目に触れるのには抵抗がある。
そもそも誰にも読まれない可能性もあるのに
どんな心配をしているんだろう。
笑える。


あれこれ考えずに、進んでいこう。
        (8ヶ月目)

振り返り
書き溜めていたものはこれにて終了しました(ボツにしたものも数あります)。人が亡くなり、残された者が立ち直っていくまでの実話を読んでいただきありがとうございました。誰かに届けばいいなと始めたnoteですが、結果的に自分自身を救ってくれました。特筆すべきこの効能についても改めて書きます。本当にありがとうございました。

新堂きりこ

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