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傲慢という名のコートを脱いで

夫の体調が悪くなってから
多系統萎縮症と診断されるまで
かなりの時間がかかった。



発病してから数えると
この病気の余命とされる10年をはるかに超えている。



訪問診療のドクターも
最後までイキイキしている夫の姿を診て
感心しておられた。



そして、進行性難病の患者を
多くケアしてきた訪問看護師さんも
夫の進行の遅さと元気さに
いつも驚いていたものだ。

そうは言っても
日々確実に夫の状態は悪くなり
そばで見ていた私はつらい時が本当に多かった。



そんな中でも明るく生きている夫を見ていると
それまでの仕事をやめて自宅介護に専念したことが
正解だったんだなぁと幾度となく感じていた。



動けなくなる夫を見ているのはつらいけれど
病状がどんなに進行しても
最後まで家でみようと決心していた。



夫の両親には早くから
施設に入れたらいいのにと言われていたが
私にはそれは絶対にできなかった。


施設に入れた途端
夫の命は終わってしまうだろうと
なぜか感じていたのだ。

施設に入っても元気に生きている人もいるけれども
夫はそれができないだろうなと感じていた。



50代になったばかりで
高齢者ばかりの施設に入ることはとてもつらいだろうと感じたし
私が頑張ればいいのなら、家でみようと思った。



施設に入れる、という選択肢は全くなかった。

家で見ると決めてから
私の仕事が夫の介護になった。



それからが、大変だった。
慣れない介護の世界は
これまでの私がやってきた仕事とは全く違う世界で
一言でいえば
時代がずいぶん昔の世界だと感じた。



だから、戸惑った。
知らない世界で、慣れないことをやることは
とてもとても困難なことだった。


知り合いもいない、助けてくれる人もいない。
まず、この難病がまだ解明されていないから、治る見込みがない。



薬は気休め程度だなと最初から感じていた。
未知の病気と未知の介護が始まった。



これまでの私の経験は全く役に立たず
知らない世界で右往左往していた。


ケアマネさんもトータル7名くらい代わったと思う。
あまりに代わりすぎて正確な人数すら覚えていない。



私の気持ちを汲んでくれるケアマネさんに
出会うまでが長かった。
自宅介護をすると決めたなら
本気で全力で取り組もうと思った。
そんな私の気持ちを理解してくれる
ケアマネさんに出会えてから
介護が少し楽になった。
その方とは介護終盤に、出会うことになるのだが。


今思うと、私のやる気がかえって、真剣すぎて
うまく回らなかった理由のひとつだとわかる。



肩に力が入りすぎていたから
周りの人の力をうまく使わせてもらうことが
できなかった。
なんでも一人でできる
私が頑張ればなんとかなる
そう思っていたけれど
それでは回らなくなる時がやってくるのだ。



私の傲慢さがポキポキひとつずつ折れて
ようやく周りが見えるようになってきた。

この介護生活で
私は自分の傲慢さに嫌というほど気付かされた。



私は傲慢でできていると思う。
今は、この壮絶な介護経験を経て
だいぶ人間に近づいてきたけれど
まだまだ傲慢だ。


10年以上に及ぶ介護生活を一言で表現するなら
「夫がくれた成長の時間」かな。



自己満足で始めた介護が
私の器を少しだけ大きくしてくれたと思う。



人に助けてもらうことを覚えたし
感謝することをたくさん学んだ。



一人で決して生きられないことを痛感した。
そして何より
私には奇跡を起こせないことを理解させられた。

私が介護することで、治らない難病が治る
と、信じていた。
私が本気で臨んだら、できないことはない
そう思っていたから。



なんて傲慢なんだろう。
神でもないのに、奇跡を起こせるはずがない。
現実を認めたくなくて、あれこれやって
あがいて、最後まで奇跡を信じていた。

奇跡は起きず、夫は天国へと逝ってしまった。
誰からも好かれ、愚痴もこぼさず
人の悪口を絶対に言わない。
いい人だった。



いい人を早く死なせてしまうとは
神様は馬鹿だと思う。
傲慢な私が先に行くべきだと思う。
傲慢だからこそ
この一連の経験をさせられているのだなと
今では理解している。



だから、神様はちゃんと見ているのだ。
傲慢という分厚いコートを脱いで
私が良い人間になることを待っているのだと思う。
辛抱強く。



神様の存在なんて信じていないけれど
この経験を経て、きちんと理由があるんだろうなぁ
とは感じている。


自宅介護をスタートさせて10年以上。
本気で取り組んだ7年。
私には自由な時間も好きなことをする時間も
ほとんどなかったけれど
たくさんの経験と学びを与えてくれた。



気づけば7年経ってしまったが
後悔は何ひとつない。



むしろ、夫を介護しない選択を選んでいた未来は
後悔だらけだったと思う。
それは間違いないな。

 

傲慢なまま今になっていたら、恐ろしい。
ホラー以上の怖さだ。

夫と家で過ごしたこの7年
この道を選んだことに全くの後悔はない。



やり残したことで後悔はあるが
それはどれだけやっても後悔だらけだったと思う。



最後が突然だったので、お別れもしないままだったけれど
この人生を全うしたらまた会えるだろう。



それ位のご褒美はください、神様。
神様を信じてはいないけれども 
お願いします。
          (7ヶ月目)

振り返り
過去最高の記事の長さです。あえて削除せず、まんまアップします。書き溜めていた記事も残りわずか。この後は、壮絶な介護を経験した私が、今現在介護をされている当事者の方、ご病気の本人様へ、今伝えたいことを書く予定です。誰かに届くといいなぁと思います。いよいよ、終わりが近づいています。1本残さず読んでいただいた方、本当にありがとうございます!

新堂きりこ

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