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/  (スラント)~クライフの空間詩学~ (1) 

 フットボールの脱=構築批評を目指して、表題の論考を書き進めたことがあった。2017年のことである。たかだか6年前のアウトプットではあるが、フットボールもさらに進化するなかでいくぶんノスタルジックになったこともあり、ここに掲載するものである。

 臆面もなく当時作成した目次を以下に掲げるが、途中で放り投げたこともあり未完成であることはあらかじめおことわりしておく。

序章 1枚の写真から
1.マラドーナ対6人、密度の論理、「寸足らずの毛布」の最適化
2.体系化された密度理論 ラグビー理論 連続=展開=集散  数的優位  
  と集散
3.欲望のグラフ、戦術のイデオロギー 〜批評理論のアナロジー(フォル
  マリズムと脱=構築)
4.マラドーナの写真、再び=切り取られた空間、フットボール史の転覆
  クライフの切断、サッキの収縮、ブラジルの伝統、
  テレ・サンターナの非対称、イタリアのカテナチオ、
5.ボールと人の軌跡、ポスト・コロニアルからグローバリズム、現代サッ
  カーの見取り図
  ポスト・コロニアルからグローバリズムへ
  グローバリズムの言語=フォルマリズム、 単なる電話番号から共通言
  語へ 
6.空間と集散の論理
  戦術の2項対立の歴史 カウンターとポゼッション
  軌跡=集散/空間   /:スラント=斜線、

 最後まで読み進めるとタイトル「/」(スラント)の意味が分かるようになっている。
 当時の筆者のメモに『(結論であらわれた)この式をさらに積分(連続関数)すれば、フットボールの本質が見えてくるにちがいない。
が、いまはまだその方法を知らない。』とあり、筆者の次の妄想もしフットボールが∫|ψ(x)|2dx=1で表されたら(試論)」につがったわけである。

前に掲載した「一枚の写真から~マラドーナ編」は序章にあたる部分を修正・加工したもの。写真を前にあれこれ論じた後に以下本論が続いているとお考え下さい。
前置きは以上で、では本論へ。



…ここで読者のみなさんに喚起したいことは、本仮説に設定に必要だった情報の要素の検証である。筆者はここで長々と写真のシーンから推測を繰り返してきたのは、プレーヤーが数ある選択肢のなかからプレーを決定する要素を推測・仮定することである。一枚の写真は試合のなかから切り取ったひとつのシークエンスであるが、その静態的な情報から前後のシークエンスを推測することによって、そのシークエンスを決定する要因を探りたい、ひいてはそれがこのサッカーというスポーツを構成する基本的な要素であるかもしれないと考えられるからである。抽出した基本要素をさらに体系化することによってもしかしたら今までと見方とは異なる、新しいサッカーの見方を見出すことができるかもしれない。

1.密集、断片化された空間

序章で立てた仮説を構築するために検討した情報を以下にまとめる。

■被写体情報
 ・人の人数
 ・空間
 ・ボールの位置

■推測情報
 ・写っていないプレーヤーの数、
 ・余剰空間
 ・プレーヤーの位置

まず被写体から得られる情報として、プレーヤーとその人数、ボールの位置がわかる。また写真そのものが切断された空間を意味している。広大なピッチの一部分のみを切り取ったのがまさにあの写真である。さらに推測情報として、写真には写っていないプレーヤーの人数、スペースの広さ、ピッチの位置が挙げられる。これらから、情報を構成している基本要素をあげることができよう。
プレーヤー、ボール、スペースの3つである。これをここではサッカーの三要素としておく。

では、その三要素の属性、つまり三要素が序章で語られるときに三要素それぞれ付帯している情報はなにか、というと、

■三要素とその属性
プレーヤー :数と位置
ボール   :位置
スペース  :広さ

ここでは、プレーヤーの個々のスキル・仕様を属性には含まない。これらはサッカーというゲームをより魅力的にしている欠かせない要素であるが、いまは、最低限の要素、より純化した要素を抽出するために、個々のプレーヤーを標準的なあるいは無個性な要素としてとらえておくこととする。
写真に戻る。
写真は、限られた空間のなかで本来もっと広がって位置しているはずのプレーヤーが密集している状況をとらえたものであった。そして序章における「密集」という言葉は、プレーヤーの人数とスペースの広さで規定されるものであった。写真に映った限定された空間に6人と相手プレーヤーと1人のボールホルダー。そして写真に写っていない空間と残りのプレーヤー。まさに密度がプレーの判断に決定的なキーワードとして浮かび上がってくる。
そしてこの密度こそが、次のボールの動きを決める決定的な要素ではないか。

選手に目線で考えれば、選手はボールをつなぐことを考える。その場合第一のボールの預け先の選択肢として、第1にフリーの選手、第2はマークを受けているがボールを受けることができる位置にいる選手、第3は味方選手が走り込んでカバーできるオープンスペース。密度・密集という言葉に置き換えると、第一の選択肢、フリーの選手は、密集度が低い状態、第2は高い状態、第3は低い状態、といえる。
だれもが普通に考えるのは、ボールをパスする味方選手の周りには相手選手が少ない、あるいはいない対象の選手を選択するのが一般的であろう。

一般に「ビルドアップ」と呼ばれれるプレイである。
自陣後方から「構築」するというイメージでパスをつなぎ相手ゴールに向かうことを共通理解として日本で流布されている用語である。

スペイン語では、「サリーダ・デ・バロン」という用語がサッカー理論にあると坪井健太郎氏が指摘している。
 ※(c)坪井健太郎 「スペインサッカー指導者留学 サッカーの見方を 
     変えるためには」 2017/4/18 Web http://www.spain-ryugaku.jp

以下氏の著書からの引用である。

「例えば、日本語で「ビルドアップ」というと後方からパスを繋ぎ、まさに「構築」するというイメージをいだきますね。この表現をした人はパスを繋ぎボールをキープしながら相手ゴールを向かうことを、攻撃を「構築するようなアクション」と解釈したのだと思います。
かたやスペイン語では日本のサッカー用語には存在しない「サリーダ・デ・バロン」という表現がスペインサッカーの理論には存在し、直訳すると「ボールの出口」となります。ちなみにこれは日本のビルドアップに近いプレイアクションを指します。
(中略)
日本と決定的に違ったのはサリーダ・デ・バロンには相手のプレスのことも含まれていたことです。
ビルドアップはどちらかというと自チームのことだけのイメージを私に与えていましたが、サリーダ・デ・バロンは相手のアクションによってできるスペースを踏まえての自チームのアクションンまでが考え方に含まれていたので、日本にいた時とは全く違う解釈を与えてくれました。」(引用終わり)

観戦者の目線からは、ピッチのなかの選手の粗密が目にはいる中でボールホルダーに群がる相手選手が集まれば、ボールは当然相手選手が動いたことによって空いたスペースにボールが出て行くイメージを想像する、いわゆる「ボールの出口」である。

ここで重要なのは、「ボールの出口」は「プレス=選手の集散」と「選手が動くことで空いたスペース=オープンスペース」によって生まれる、という指摘である。
「ボールの出口」という言葉では、選手と選手をパスという仮想の線でつなぐ、という一般的な観戦者のイメージがここでは覆され、スペースに焦点があたっているのだ。
さらには、ボールが密度の高いところからオープンスペースに向かう、という構図は、水が高いところから低いところに流れるように自明のものとあらためて気付かされる。

前述した三要素をさらに今得た知見で再構成すれば、以下のように書き換えられるかもしれない。

・プレス:人の集散
・スペース:「人の集散」の陰画としてのオープンスペース
・ボールの出口:ボールの軌跡

では抽出したこの3つの観点から現代サッカーを見直してみよう。

以下次号に続く。


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