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鼻血を出しながら髪を切った話

私が生まれて初めて鼻血を出したのは美容室だった。

2階のガラス張りで陽当たりのよい空間。
ジャージャーと音を立てながらモコモコの泡頭で『セーラームーンの様に足首まで髪の毛を伸ばしてくるくる廻りたい。』水の音に負けない様に少し大きな声で私は話をしていた。小学1年生の私はロングヘアに憧れて、髪を切りたくないと意気揚々とシャンプー台で熱弁していた。

そんな子供の夢に美容師のお姉さんは優しく『そっか〜髪を伸ばしたいんだね。それじゃあお父さんに聞いてみようか』と話してくれていた。

実は、子供ながらに打算的な作戦だった。自分で髪を切りたくないと言うと絶対にダメだと言われると思ったので、美容師の綺麗なお姉さんを味方につけて父に『それなら』と言わせる作戦を立てた。

父は子供に厳しく母に極甘な人間。アイラブユー妻と額に書いて生きる人だ。58歳になる今でも母の事が好きだ!!と家族会議で言い放つくらいに真っ直ぐ母を見て生きてきた。母の言う『子供たちを美容室行って短くしてきて』というお題は父にとって絶対なのだ。

わしゃわしゃとくすぐったい手で髪の毛をすすぐ時間が終わると、運命の時はやってきた。

シャンプー台を降りて、連れられて父のところに行く。私は『髪を伸ばしたいから切りたくない』というと父は案の定『ダメだ』と言った。

そこでお姉さんの登場である『もうくりあちゃんもお姉さんですし髪の長さを残したままカットしましょうか?』っとナイスな言い回しと提案をしてくれた。心躍らせて父の方を見た。すると間髪入れずに父は『いえ短く切ってください!』とやや強い口調で言った。選択の余地を与えない物言いだ。

その言葉に私は父を睨んだ。奈良美智先生の女の子の絵の様にキッっと睨みつけた。私の様子を見て父は私をなだめようと頭に手を振りかざす。頭に手を置いて諭そうとしたのだ。わがまま言わないで。そうなだめたかったのだろう。

頭に近づこうとするその手を抜群の反射神経で

避け。。。。。

避けきれなかった!!!!!

父の人差し指は私の鼻の穴を直撃し見事にクリティカルヒット!!!

ドバーーーと鼻血が溢れた。鮮やかな流血にその場が凍りついた。

手を避けようとしたばかりに床に血が滲んだ。

そこからは号泣しすぎで涙で視界がふさがれていたのであまり覚えていないい。引くに引けなくなった父は、とにかく切って欲しいとお願いし鼻にティッシュを詰めながら髪を切ってもらった。

私は毛先が綺麗に一直線にそろった実直なヘルメットカットを鏡で見てまた泣いた。

気がついたら一緒にいた妹も綺麗なヘルメットカットになっていた。ロングヘアはとても遠い存在に思えてまた泣けてきた。

月野うさぎに憧れて、髪の毛をロングにしたかっただけだ。誰も初めから金髪にしたいなんて言っていない。

それ以降その美容室には父の意向で行っていない。鼻血を出した後のカットが終わるまでの時間、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったと言う。
私の鼻血はカットが終わる頃にはすっかり止まっていた。

美容室にまつわるエピソードは何かあったかな?と思い返すと約30年ぶりに鼻血を出しながら髪の毛を切ってもらったことを思い出した。父に電話をしてあの時どんな感じだったか?と記憶の答え合わせをする様に質問すると、後ろめたそうに話すので少し申し訳なかった。大事な娘を流血させてしまったのだからきっと嫌な思い出だ。聞く人が聞けば児童虐待と言われかねない。
私にとっては案外面白ネタとして記憶に残っている。妹にも電話をして当時の記憶を聞いていると話しながら笑いが止まらない会話になった。

同じ出来事でも人の記憶の残り方は人それぞれだなぁと感じた。父にとっては苦い思い出。私には笑い話。妹には2人のバカな話。連絡先が分からないので聞く事が出来なかったが、髪の毛を切ってくれた美容師さんにも本当は話を聞きたかった。妹の記憶だと相当動揺しながら切ってくれていたらしい。

あれから28年経って、私は34歳になった。あの時はロングに憧れて鼻血を出しても髪を伸ばせなかったけど、今ではロングはもちろんショートにもボブにもしてきた。金髪にしたこともある。右が金髪で左が黒髪なんてアバンギャルドな髪型も経験した。
自分の好きな髪型ができるってなんて幸せだろう。
自由っていいな。大人になるっていいな。って思った後に思い出っていいなって思った。

書く事の勉強に使いわせていただきます。もっと素敵な文章が書ける様になりたい。