リレー小説 合宿2024(仮題) vol.3

先日の春合宿の際に、会員八名によるリレー小説を作成しました。3/28から4/4にわたっての八日間での連載を予定しています。

「ハ……??」

 僕の体内から伸びる白く長い繊維は糸のように撚られており、艶めいた光沢を放っていた。まるで絹糸のようだった。一瞬その光沢に魅入られたものの、糸に纏わりついた滑りがどうにも不気味だ。取り敢えず吐き出そうと糸を引っ張ったが、口から糸が排出されるのに伴いナニカが体内で紡がれていく気持ち悪い感覚が臓腑を走った。反射的に糸から指を離す。
 糸が口からダランと垂れる様は、さぞ間抜けに映ることだろう。しかし先輩は僕を睨め付けたままで、笑うそぶりはなかった。
 とにかく先輩に文句を言おうとした、しかし狼狽のあまり水面に頭を出した金魚の如く口をハクハクと動かすことしかできない。足元から忍び寄るも気づかないふりをしていた、危機感がようやっと僕の首を絞めている。

「どうやら、当たりを引いたようね」

 まだ目が外界の眩しさに慣れていないのだが、先輩はニィッと口角を上げた、のだろう。悠然と仁王立ちする姿はいっそ神々しい底知れなさがあった。僕は瞬きを繰り返す。 
「とにかく、ドアチェーンを外しなさい。良いこと?」

 僕は反射的にコクリと頷き、ノロノロとドアチェーンを外した。その瞬間、先輩はドアノブを引っ掴んで豪快にドアを開け、勢いよく玄関に体を滑り込ませる。僕はその勢いに気圧されて二、三歩後ずさった。素足がペットボトルの蓋を踏みつけ静かに悶絶。
 玄関に散らばる靴、包装パッケージが落ちている廊下、部屋に散乱した服……とかく僕の部屋は散らかっている。しかし先輩は床の障害物を一瞥もせずに、なんなら踏みつけて、ズカズカと薄暗い部屋に土足で踏み込んでくる。容赦無くいろはすのペットボトルを、ブラウスを、プリントを踏みつけていく厚底スニーカーにはわずかに泥がついていた。

「あら、カーテンは閉まったままなのね? よろしい。運が良かったというべきか、悪かったというべきか」

 先輩はデスクチェアに我が物顔で座り、「硬い」とボヤいてから「座りなさい」とベットを指差した。僕は「僕は渋々先輩に従っています」という顔をしてまだ温かいベットに腰掛ける。
 先輩は僕の不満タラタラな顔を見て溜め息をつき――テリトリーに文字通り土足で入り込まれて溜め息をつきたいのは僕の方だ――マァイイワ、とでも言いたそうな呆れ顔で僕の目をジィッと見た。

 「……うん、日光を浴びていないおかげで変態が進んでいない。まだ、食い止められる」

 先輩は雑多な僕の部屋をグルリと見渡した。整理整頓とは対局にある部屋が恥ずかしくなって僕は先輩から目を逸らす。一昨日夜食にした菓子パンの袋、枕のそばに放置したままだ。あとで捨てておこう。
 
「ほら、ご覧なさい。マッタクこれだから!この部屋には手鏡のひとつもありゃしない」
 
 クルリと先輩はスマホ画面を僕の面前に突き出した。指紋一つないキレイな画面は先輩らしくて素敵だ。いや、そんなことはどうでも良い!スマホに映った僕の、眼は、真っ黒に塗り潰されたミラーボールのようになっていた。それはいうなれば、蟲の複眼。

「え」
「何なんですかコレは」 
「先輩!」

 脳を襲った文句の濁流は現実世界で言葉に成れなかった。異形に成り果てた眼を自覚した瞬間、僕は猛烈な眠気に襲われてパタリとベッドに倒れ込んだ。枕がぽすんと頭を受け止める。そのまま意識は夢に塗りつぶされた。僕が苦しむ様を肴に、目を三日月に細めてウッソリ微笑んだ先輩に「なんて薄情な」と言いたかったのに。

「おやすみなさい、イレギュラー。君は蛹化を経て、羽化に辿り着く」
 
 先輩は謳うように言葉を紡ぐ。僕はそれを子守唄に、深い眠りに落ちていった。

 寝息をたててスゥスゥ微睡む後輩にそっと布団をかけて、女は花がほころぶような笑顔で笑った。まもなく後輩は目を閉じたままノソリと起き上がる。そして、口からシュルシュルと糸を吐いていく。繭を作ろうとしているのだ。まもなく後輩はベットと壁、天井に糸を渡し始めた。足場をつくり、繭を形成しようとしているのだ。蚕が繭を作るのに要するのは数日だが、彼はおそらく一日もあれば繭を作るだろう。
 女は年不相応な程、無邪気に寿ぐ。物が散乱した大学生の俗っぽい部屋の中で、女だけが清純に澄んだ空気を纏っていた。

「おめでとう、イレギュラー。君は揺籃のなかで幸せな夢を見て、羽化するんだ」

 飼い慣らされた蚕は、運良く羽化しても大空に羽ばたくことさえできず死んでいく。彼が蚕の運命に従って物言う口さえ持たず連中に飼い殺されるか、それとも運命に抗って風の冷たさを知るのか。それを知るのは運命を織る女神だけだし、生憎女は神を信じてはいなかった。

「おやすみなさい、よい夢を」

 女はツカツカ外に出て、玄関のドアを雑に閉める。部屋に残されたのは、体内で繊維を撚り糸を挽き、繭を作る男だけだった。

(依冬)

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