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『ストーリー・ストーリー』(アイドルマスター シャイニーカラーズ)
毎月更新 / BLACK HOLE:新作コンテンツレビューEXTRA 2020年5月
小説家がアイドル的であるように、アイドルもまた小説家的である。
小説家とは、小説というコンテンツを商品として提供する存在であり、だとすれば読者に弱音を見せるべきではない。自分の小説の面白さを信じ、輝かしいものとして世に送り出さなければならない。
一方でアイドルもまた、輝かしい少女の偶像を演じる立場にある。
その在り方は類似したものではあるが、しかしアイドルの場合、競争市場に差し出されるコンテンツとは、同時に生身の人間でもある。
たとえば小説への無根拠な誹謗中傷が電子の波を漂ったとする。それが作家の精神を傷つけるとしたら悲しい話だが、高々個人の心が裂かれるだけなら、まだマシといえるかもしれない。
言葉の刃先がアイドルに向くとき、心ない視聴者の暴力的な目線がカメラ越しに少女を襲うとき──被害は個人に留まらず、現実の人間関係すら軋ませ得る。
そんな恐ろしさが、『ストーリー・ストーリー』の山場の一つだ。
五人組のアイドルユニット・アンティーカが出演するのは、あるテラスハウスが舞台のリアリティショー。若手の有望株が注目される、学業を除く日常にカメラが密着した共同生活。
と書くと聞こえは良いが、家が仕事場になる状況は、当然大きな負担でもある。
定期試験を控えた高校組を支えるべく年上組が奮闘する一方で、来たる大舞台への出演が決定している年上組の宣伝として、可能な限り撮影を長続きさせるべく高校組も画策する。
視聴率を稼いで打ち切りを避けるための作戦は、しかし空回る。
互いを思いやる感情は、すれ違う。
「手伝いはさせてくれないのに、手伝ってくれようとはする」……アンティーカという五人、そのままのようなぎこちなさ。
互いに想いを打ち明けたことで、幸いにも事態はひと段落して──急転する。
発端は、悪質な切り抜き編集。
望んでいた視聴率の代償に、望まない誤解を引き起こす放映。
というか、アイドルを曇らせる展開の解像度が異常なんですよね。〝業界の負の側面〟に対する描写の質感、『小説の神様』で見たようなそれ。ライターさんはアイドル経験者でいらっしゃる?
捏造されたユニット内の軋轢を火種として集まる衆目は、暴力的な無理解として少女たちを襲う。こうなってしまえば、撮影班が密着した生活とは、もはや恐怖に他ならない。
もしもカメラの前で仲良くしたら、また関係を捏造されるかもしれない。
好意や敬意が、歪められるかもしれない。
単なる誹謗や中傷に留まらない、交友関係すら捻じ曲げるそれは暴力だ。現代のアイドルが直面し得る、息苦しくて胃が痛い、地獄のような逆境──それでも少女たちは、再び羽ばたくことを選ぶ。
それこそがアンティーカという五人を好きにならざるを得ない理由だし、アイドルを支える立場のプロデューサーがここぞという場面で最高にかっこいいのも良いし、「からっぽの家」を筆頭にサブタイトルの扱いも巧く、そしてシャニマスは絵が上手い。
アイドルという虚構、物語の物語として、文句なしに良い作品である。立ち向かうための逃避行、いいよね……。
加えて述べるなら。
本作の特筆すべき点は、アンティーカにとっては最悪と言うほかない悪質な切り抜き編集が、決して悪意によるものとは言い切れないところではないかと思う。
そこにあるのは、数字を稼げない番組を放送し続けることはできない、という企業の論理で──彼らが欲した撮れ高を生み出せる天性の面白さが少女たちにはなかった、という無慈悲な事実だ。
それはある意味で、悪意以上に過酷なことではあるのかもしれない、けれど。
ご都合主義の純粋な悪役なんていなくて、食い違う正義が相容れないというだけの残酷なリアリティは、厳しい現実に近しいからこそ、希望を含んでいるのだと思う。
なぜなら──純粋悪と解りあうことは決定的に不可能だとしても、理屈で動く他者には、言葉が通じ得るからだ。
行動原理の筋が通るなら、歩み寄ることができる。発想の限りを尽くして、努力に尽力を重ねて、要望と理想を近づけることができる。
困難だとしても、不可能ではない。本質的に同根ではなくとも、漸近することはできる──はずで。
その先にはきっと、僅かだとしても、伝わるものがある。
残酷な現実を模したこの虚構は、それゆえに美しい祈りだと思う。
文責:うつろなし
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