リレー小説 合宿2024(仮題) vol.8

先日の春合宿の際に、会員八名によるリレー小説を作成しました。今回で完結となります。

 顕現した三柱目の荒神——

 ギョロリとむき出した眼球と、細くとがった髭。鍾乳石のような牙を無数にのぞかせている、大きく裂けた口腔。蝦蟇がまがえるのごときその相貌から、かよわく愛らしいカイコガの姿を連想する者は、皆無といってよいだろう。
 かろうじて、巨大な胴体から真横につき出すように生えている八本の脚——ただし猛禽類のような鉤爪をそなえている——と、斜め上方に伸びた翅の格好に、その面影がみとめられないこともない。
 だが、冷え固まった溶岩のように黒々とした体表面の色調と質感は、カイコガの清純な白さとは似ても似つかない。
 第三の怪獣の出現に新たな脅威——より正確を期すなら絶望——を見た無知な群衆は、数知れなかった。
 もっとも無知という点では、被災によって麻痺状態の霞ヶ関の役人や情報収集に追われる市ヶ谷のお歴々も大差はなかったし、宗教的とさえいえる静かな熱狂のもとで新兵器の展開を着々と進めつつある横田の軍属たちも、自分たちの信じる神のことで頭がいっぱいだった。

 * * *

 古美術に通じた者であれば、院政期のとある掛幅装の地獄絵に描かれた「神虫しんちゅう」の絵姿が、この第三の怪獣と酷似していることに気づいたかもしれない。絵図の詞書に曰く、「瞻部州南方の山のなかにすみてひとつの神虫ありもろもろの虎鬼を食とすあしたに三千ゆふべに三百の鬼をとりてくらふ」。
 「神虫」は古代中国の伝統宗教および陰陽道の神々の一柱とされるが、国宝に指定されているくだんの地獄絵のほか、その霊験や素性を示す文書や伝承は一切存在しない。——というのが、国立博物館や文化財研究者たちの「公式見解」である。
 一方で、宮内庁陰陽部を中心とするごく一握りの官吏たちは、この「神虫」と呼ばれる存在が、人類の危機を乗り越える鍵となることを知っていた。
 ——いやむしろ、その保護と管理こそが、千年以上の伝統を継承してきた陰陽部の最大の使命だった、といった方が正確であろう。
 「神虫」に関して陰陽部が有する、門外不出の知識。それと重大な関連をもっているのが、とある僻村に伝わる「お蚕様」の伝承である。

 大戸村おおどむらというのは、国土地理院発行の地図にも記載されてない山中の小さな村だが、この村に伝わる土俗信仰に「お蚕様」というのがある。この名の由来については村の古老のうちにもいろいろな説があるが、もとは「大蚕様」と呼ばれていたというのが、妥当な説ということになっている。
 というのも、「お蚕様」は村の神社で飼育されている蛾のことなのだが、これが体色が黒く、通常種の数倍の大きさのある変種なのである。「お蚕様」は、村の生き字引として尊敬されている古老たちが生まれる何百年も前から、少しも変わらぬ姿で、古びた社の奥に鎮座している。といっても、その異様さに村人が違和感を覚えることはないのだが。
 「お蚕様」は村が危機に見舞われたとき、村の人間の中から「使い」を選び出すとされている。「しるべ」と呼ばれる選ばれし者が果たす務めに関する伝承は、神事を司る一族の最後のひとりが数百年前に村から姿を消して以来、村には残っていない。

 旧宮内省陰陽部が収集した古文書によれば、にわかには信じがたいことに、この「導」に選ばれた人間は、自ら吐き出した糸で紡いだ繭に籠り、しばしの眠りの後、ヒトならざる荒ぶる神へと変化するのだという。絵巻物の断片には素朴な筆致で、魁夷な化生けしょうの素描——中世の地獄絵に描かれた「神虫」にきわめてよく似ている——がしるされていた。
 詞書によれば、「御神羅」というのがその化生の名である。旧宮内省陰陽部の研究班は、一部の地域で蚕を「オシラサマ」と呼んでいることと関連づけて、これを「オシラ」と読むと推測した。この見解は、現在も踏襲されている。

 * * *

 宮内庁陰陽部長官の執務机の上、宮廷費の一部を流用して購入された最新型の薄型モニターは、軍事用衛星の中継電波を受信して、焦土と化した丸の内の行幸通りで睨み合う三柱の荒神を映し出す。暴食大怪獣、双頭怪獣、——そして、新たに覚醒した古代の神。
「——事前に策定された計画に則り、出向者を通じて市ヶ谷に限定的な情報の提供を行いました。三匹目の怪獣は、大戸村の伝承に従って『オシラ』と命名されたようです」
 水干姿の長身の女がスマートホンでの通話を終えて、長官に報告する。平素の無表情を取り戻した彼女の様子に、先ほど見せた動揺の影は、既にない。
「ガルガンチュアにヒドラザウルス、そして今度はオシラ、か。……行政向けの記号とは別に、マスコミ対策として通称を用意する必要があるのはわかるが、日本国家の、いや人類の存亡がかかっているというのに、いよいよ特撮映画じみてきたな」
 何度目かになる溜息を吐くと、陰陽部長官は退屈なテレビ番組を眺めるように緩慢な動作で、モニターに目を向ける。
「紅葉山での遺伝子操作と『怪獣文法』の実験が実を結んでいない以上、我々にできることは何もない。アメリカさんの例の新兵器が都心を死の土地に変える前に、オシラ様が我々をお助け下さればいいんだが——」
 そのとき、沈黙の牽制と睨み合いが続いていた画面に動きがあった。

 先に動いたのは、暴食大怪獣ガルガンチュアだった。
 地鳴りのような唸り声を発するや、その図体のスケールとは不釣り合いなほどの俊敏さで、新たな敵——オシラに向かって突進する。
 尖った脚を持ち上げて、羽虫を圧し潰そうとする大怪獣。巨大な背中の陰に隠れて、一刹那、オシラの姿が見えなくなる。
 ——次の瞬間、辛くも倒壊を免れていたオフィスビルの割れ残った強化ガラスが一斉に砕け散り、イグアナのような巨体が、弾かれたように跳ね上がった。
 ガルガンチュアは、長い尻尾の先でひび割れたコンクリートの路面に深い溝を刻みつけながら吹っ飛び、画面外に姿を消した。
 蒼穹と土煙を背景に代わって登場したのは、強靭な翅を高速振動させて空を舞う、巨きな黒き蛾。

「ほう、……翅の振動で衝撃波を起こしてガルガンチュアを吹っ飛ばしつつ、空中に翔び上がったのか」
「人智を超えた、凄まじい力ですね。……そういえば、私の記憶では確か、カイコガは飛ぶことができないはずですが」
「あれはイレギュラー、尋常な生物の理を超越した存在だ。カイコガ如きとは生物としての次元が違う。飛べたところで不思議はない」

 ヒドラザウルスも衝撃波のあおりを喰らって転倒したが、弾みをつけて四本の脚で立ち上がると、長い尾を振り回して攻撃しようとした。だが空高く舞うオシラには掠りもしない。
 双頭怪獣はしばし無駄な足掻きを続けていたが、流石に形勢が悪いと感じ取ったのか、唐突に動きを止めた。
 突如として、ヒドラザウルスの全身の虹色の輝きが、背中に寄り集まりはじめる。眩いほどの極彩色の光が二列の背鰭を駆け上がり、二本の長い首を這い上って、二つの頭部に達した。
 四対の眼が空中の敵をロックオンし、仰け反った双頭が振り下ろされると同時。
 ヒドラザウルスの二つの口が裂けて、白色の閃光が迸った。

 サーチライトのように空気を掻き回す二本の純白の熱線が、互いに絡み合い離れながら、青空を灼く。
 光量オーバーで、画面が真っ白に溶けた。
 ややあって、自動調整プログラムが機能し、視界が回復した。
 ——熱線を掻い潜った偵察用無人ドローンのカメラが、白光を機敏に躱しながら飛翔するオシラの姿を捉える。

「耐えてくれたか」
 思わず身を乗り出して、食い入るようにモニターを見つめていた長官は、ほっと肩の力を抜いて、特注の革椅子に凭れかかった。
「同格の怪獣との戦闘によって、変態が促進されているのでしょうか……?」
 いつの間にか長官の横でモニターを覗き込んでいた水干の女が、思案げに呟く。
 確かに、これまでヒドラザウルスが熱線を吐いたという報告は上がってきていない。ということはつまり、双頭怪獣は、戦況に適応して新たな能力を獲得したということではないか——。
 事前にシミュレートされた中でも最悪の可能性が、二人の脳裏で現実味を帯びはじめていた。

 数分に亘って吐き出され続けた熱線が漸く止まると、すぐさまオシラが反攻に出た。
 牙の並んだ大きな口から、泡状の溶解液を噴射。液体が付着したヒドラザウルスの片方の頭と背鰭から、濛々と白煙が上がった。金属質な苦悶の声。

 ——そのとき、画面右下に髭鯨のような巨大な顔が割り込んできた。
 ガルガンチュアの傷ひとつない巨躯は、ビルの残骸の上に倒れ伏したヒドラザウルスを踏みつけて、オシラの真下まで突き進む。
 降り注ぐ溶解液の雨に何の痛痒も感じていないらしい大怪獣は、ガバリと宙に向かって大口を開くや否や、凄まじい勢いで大気を吸い込みはじめた。

「……これは不味いな」

 漆黒の翅を高速振動させて飛翔する黒き巨体が、大きく開いた口腔に、徐々に徐々に吸い寄せられてゆく。
 ゆっくりとだが着実に、オシラとガルガンチュアの巨大なあぎととの距離は、短くなっていた。
 ブラックホールのような大口の中に黒き羽虫が捕食されるかに見えた、その刹那——オシラの漆黒の翅が燐光を帯び、黒い霧が放出された。

「——あれは!?」
「オシラの鱗粉攻撃だろう。……古文書の記述が正しければ、鱗粉は死せる者には極楽の恵みを与え、生ける者には地獄の責苦を与えるというが」

 思い切りオシラの鱗粉を吸い込んだガルガンチュアは、途端に地獄の底から響くような苦悶の声を上げて倒れ、のたうち回った。振動で、東京駅の赤煉瓦が霰のように飛散する。
 再び飛翔し、体勢を立て直すオシラ。
 だが暴食大怪獣はその大口で地面を撫でるように浚い、ビルの残骸や瓦礫を胃袋に収めると、大きなおくびをひとつして、何事もなかったかのように八本の脚で立ち上がった。

「……膠着状態ですね」
「オシラの攻撃が決め手を欠く以上、このままでは埒があかないな」
 ——戦況に適応して怪獣がさらに変態する可能性がある以上、むしろジリ貧といった方が妥当な判断だと心中思いつつ、長官はモニターを見据える。

 だが——

「……長官、オシラの様子が……!」
「クソ、寿命、、が来たか——」

 ——高解像度を誇る最新型の薄型モニターが映し出したのは、無情な現実だった。
 滞空しているオシラの翅の振動が、突然弱くなった。羽搏きが徐々に力ないものに変わり、ついには静止する。
 巨きな黒き蛾は重力のままに落下して、瓦礫の山に墜落した。砂埃が濛々と立ち上がる。

「伝承の通りなら、オシラは短命な種だ。もう余力はないと見るべきだろう。——さて、絶望的な状況だな」
 台詞とは裏腹に顔色ひとつ変えず、長官は呟く。
 と、画面を横目にスマートホンの着信に応えていた水干の女が、声を震わせて叫んだ。
「米軍が核熱線砲の展開を完了、既に発射シークエンスに入ったとのことです——」

 * * *

 皇居の二重橋を背に展開された、核熱線砲部隊。横田の司令部から完全リモートで操作される戦車の隊列が、いまにも人工の神の炎を放たんとして、砲門を三体の怪獣に向ける。
 あまりにも強大すぎる故に実戦投入はおろか、無人地での実験すら叶わなかった超兵器。遠く離れた本国では、既に勝利を既定路線として、戦後工作の段取りが立案されていた。

 愚かな人間の思惑をよそに、暴食大怪獣と双頭怪獣が、地に倒れ伏した共通の脅威を蹂躙しようとした、そのとき——
 若い女が瓦礫の上にふらりと現れると、手を二体の怪獣の方に向けて、何事か唱えはじめた。白く艶やかな白髪が、上質な絹のように輝く。
 どこか人間離れした鬼気を放つ無表情を、ドローンのカメラが拡大して捉えた。

「神巫、何をする気だ?」
「……あれはまさか——」

 瞬間、世界が動きを止めた。

 * * *

 潮騒がきこえる。
 ぼくは、ゆっくりと目を開けた。
 なんだか不吉な夢をたてつづけに見ていたような気がする。
 ここは——そうだ、ぼくはお姉さんと海を見に来て……オネエサン?
 ……そうだ、お姉さんはお姉さんだ。どこで出会ったかは覚えていない。空き地だったか、森だったか、神社だったか。
 いつのまにか、つねにすでに、お姉さんはお姉さんとして、ぼくのそばに居たのだ。
「あ、やっと起きた」
 浜辺に立っているお姉さんが、ぼくに微笑んだ。白い髪が陽の光にきらめく。……白い髪?
「君の出番だよ」
 巨大な瀕死の生物が二体、砂浜によこたわっている。遠近法がくるったような、不思議な感覚。
 お姉さんが小さな声で何か唱えると、二体の化け物——怪獣?——の硬い皮膚が、波打つようにゆらめいた。
 ひとつ、ふたつ——無数の人の顔が、頭が、肩が、怪獣の体表面から生えてきた。首という首に、絹のように細くしなやかな糸が巻きついている。無数の糸は出航する客船から投げられた紙テープのように、きらめく海へと漂っていく。
「さあ、手を貸して」
 お姉さんのしっとりと冷たい手が、ぼくの手に触れる。導かれるままに、怪獣から生えた上半身をつかむ。
 力を込めると、ぬるり、とあっけなく抜けた。
 引き抜いた身体を浜辺に降ろす。亡骸は跡も残さず砂浜をすべって、絹糸に引かれるように海に呑み込まれていった。
 ぬるり、ぬるり、……わけもわからないまま、つぎつぎと人の身体を引き抜いていく。
 生えてきた人はカーキ色の兵隊さんの格好をしたおじさんが多かったけれど、幼い女の子や、まだ若い男の人も混じっていた。みんな死んでいた。
 亡骸を海に帰すにつれて、双頭怪獣と髭鯨怪獣の呼吸が徐々に弱々しくなり、ついにはぴくりとも動かなくなった。
 いつのまにか、怪獣から生えている身体は、ふたりだけになっていた。どこか威厳のある顔をしたおじさんと、平安時代の人みたいな古めかしい格好の女の人。
 近寄ってよく見てみると、ふたりにはまだ息があるようだった。

 そのとき、海がひときわ強い輝きを放った。
 意識が点滅し、激しいめまいが襲う。
 遠くにベルの音が——

 * * *

「目標、消失を確認」
 荒ぶる神々は、現れたときと同じく、忽然と姿を消した。陰陽部長官室に弛緩した空気が流れる。
「ひとまず危機は去った、か。結果は身をもって知っているとはいえ、何かイレギュラーが起こるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
 平然と言う長官の顔には、しかし汗ひとつない。
「霞ヶ関も市ヶ谷も大混乱でしょう。米軍も虎の子の決戦兵器を消滅させられて、牙を抜かれたようなものです」
「——支度は整ったな。これからが本番だ。いまこそ、まことの神の手にこの国を帰すときだ」
 「君側の奸」として千年のときを雌伏してきた陰陽師の末裔にして、旧宮内省陰陽部の最後の生き残りのひとりでもある男は、皺の刻まれた威厳のある顔に、笑みを浮かべた。

(赤い鰊)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?