リレー小説 合宿2024(仮題) vol.4

先日の春合宿の際に、会員八名によるリレー小説を作成しました。3/28から4/4にわたっての八日間での連載を予定しています。

ひどい夢を見た。僕は虫が大嫌いである。自分の口から糸が……、思い出しただけで吐き気がした。体を起こす気力もなく、心臓の鼓動を鎮まるのを待つ。暗闇にだんだん目が慣れる。しかし早く忘れてしまおうという意思とは裏腹に、新しい衝撃が僕を襲った。部屋がおかしい。僕の部屋は自慢じゃないが散らかっている。そのうえ床から積み上げた本の塔は優にベッドの高さを超え、起き抜けには視界に飛び込んでくるはずなのである。今僕を取り囲んでいるのは、一面殺風景な壁、壁、壁……壁ではないのだ。
夢じゃなかった。糸吐きは順調に終了して、純白の繭に全身を包囲されている。
繭の内側で僕は蛹であり、その中はぐちゃぐちゃでどろどろの液体であり、ほとんど原型なんて留めていないはずだ。なぜ目が見える?
蛹の中の自意識が、実態を失ったはずの脳髄が、一つの記憶をたぐり寄せる。

そうだ、旅行に来ていたんじゃないか。これは旅館の壁だ。
一気に頭の混乱が解けて、布団を跳ね除ける。
寝ぼけていたせいだ。いや普段旅行に行かないせいだ。いやそれだけでは説明がつかないくらい今朝の僕はどうかしている。
遮光カーテンを開けると陽光が目を刺す。大きな窓。無駄に大きい部屋を一人で貸し切っているのだ。
日本のどこかの片田舎に来ている。どこなのか自分でもよくわからない。適当に旅行先を決めたせいだ。海は近いが、寒く冷たく、サーフィンはおろか何もできないこの時期に、ここにやって来る物好きは少ない。
どうせ四畳半に閉じこもって小説に読み耽るだけの生活なのだ。旅行、それも観光名所も何もないわけのわからないところに─と言っては失礼だが─行きたいと思っていた。転地療法的に。
東京の大学に通い、都心に住んでいながら、ほとんどあの薄暗い部屋を出ずに生活している。控えめに言って学費の無駄遣いだ。
卒業後にやりたいことなどない。昔は探偵になりたかった。なろうと思ってなれるものではないのだ、たぶん。探偵と名のつくものになれたとて浮気調査や素行調査で駆けずり回るのが関の山だ。
名探偵として名を馳せるにはまず近くで事件が起こってくれないと。
とりあえず旅に出る。そこで何かに巻き込まれよう。僕なりに人生を切り開こうとする足掻きだった。方向性が明らかに間違っていることを感じつつ。他にやりようも、やることもなかったのだ。
しかし謎の殺人は人里離れた山荘とか孤島で起きるんじゃないかと不謹慎な期待もしていたのに、これじゃ殺人者も殺人対象もいないだろう。言葉を交わすのも平凡な旅館の亭主くらいだ。こんな時期に素泊まりで滞在し、何時に起きて部屋を出ていくかもわからないような学生を迫害しないでくれるのはありがたいけれど。

「昨日はよくお休みになれましたか?」
「ええ、まあ……」
「私は昨日ここらが怪獣に襲われる夢見て散々でした」
「そうなんですね」
他人の夢ほどどうでもいいことはないし、それにこちらは自分が蚕のような何かにされているのだ。怪獣くらいで同情する気にはなれない。

今日も今日とて風に吹かれながら何もない海を眺める。何もないことはないのかもしれない。もしかしたら水底では巨大な何かが揺蕩っていたり。
でも見かけはただの海だ。自分の人生と同じくらい、つまらない。

あの人ならヒントをくれるかもしれないのに。きらきらした黒髪の、明るく朗らかな、何を聞いても知らないことのない、すばらしく綺麗なひと。

「お別れだね」
どこに行くのか、とは聞けなかった。
「もう会えないんですか?」
「そんなことはない。また来るよ。然るべきときにね」
特に共通点のない、取り立てて取り柄もない、自分のような人間を後輩に任命してくれた人。我儘は言えない。特別な感情を持つことも罪のような気がして記憶に蓋をした。それをすっかり掘り起こしたような今朝の夢は、なかなか意識から振り払うことができない。

旅館に放任されているのをいいことに、また部屋に戻って布団に寝転がる。その白さに夢の記憶が蘇る。
先輩の髪も白くなかったか?
トレードマークの長い黒髪が、その艶やかな美しさを残したまま反転したような純白。まるで蚕の糸のように。……気持ち悪いことを考えるのはやめてくれ。

然るべきときっていつだろう。先輩が会いに来てくれるというなら一度くらいは蚕になってみてもいい、かもしれない。そんなことを考えていると瞼が重くなってくる。引き摺り込まれるような、全身が融けてしまいそうな、眠気。

あれ?

遠くにベルの音が──。

(鳴沢)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?